「さすがオレの子だ!!」
麗らかな午後。
澄んだ青空から降り注ぐまばゆい光が、大地を原色に染める。
もとより温暖な気候の木の葉の里は、ここ連日続いた晴天のおかげで、清々しい空気に満ちていた。
気温、湿度はともに快適指数を示している。
空を仰げば、青の中に黒いインクを垂らしたような小さな点が見えた。あれは鳶だろうか。
円を描くように滑空する鳶は、殆ど羽ばたかない翼で空を切りながら、遥か地上にまで鳴き声を響かせている。
黒いケープの裾が風にさらわれた。
九は高台の方から吹きおろす風に一瞬目を細めると、つまらなそうな顔で校門を見やった。
忍者アカデミーの校門前は、卒業試験に合格した子供とその親族でごった返している。
「卒業おめでとう!」
「今夜はママ、御馳走作るね!」
門前の人だかりからは喜び合う声が絶えない。
それと同時に、至る所で親のひいき目ではないかと思われるような賞賛が飛び交っていた。
最終学年の生徒が受ける毎年恒例の卒業試験は、必ず忍術(実技)だ。
そのため、試験の合否は試験直後にその場で言い渡される。
受験生は27名。
今年はその全員が、教師の杞憂を嬉しい形で裏切り、晴れて卒業生となった。
「……邪魔だなァ」
九は、ふて腐れたように呟く。
我が子の合格の知らせを受けた保護者たちが、門前に集合する光景は、もはや毎年恒例となっているそうだ。
それをもっと早く聞き及んでいたら、人が集まる前にアカデミーを去ったのだが、この様子では後の祭りだ。
「…あーあ。お祭り騒ぎなら他所でやって欲しいものだね。ちくしょうが!」
忌ま忌ましそうに吐き捨てる。
普段は他人に感心を寄せる事の少ない性分だが、この時ばかりは苦虫を噛み潰すように顔を顰めた。
「ねぇ、あの子……」
「“礼の子”よ。…あれも受かったみたいね」
「一人だけ落ちればよかったのに…!」
「本当だわ。あんなのが忍になったら大変よ」
「火影様もどうしてあんな子をアカデミーに通わせたのかしら」
少し校門に近づいただけで、早速聞こえてきた。どうやら、九の右手に握られた額宛てが見えたらしい。
……目敏いことだ。
一部の保護者がひそひそと囁きだすと、その様子は瞬く間に広がっていった。
保護者たちは一様に眉をひそめ、まるで責めるよに九の事を睨みつけた後、何事か囁き合っている。
そして、そんな親の態度を見て嫌らしい笑顔を浮かべたのは、その子供たちだった。
親の背中を見て育つとはよくいったもので、親の仕種や態度は子供らにたやすく伝染する。
加減を知らない子供が、面白半分に他者を排除しようとする行為は、真綿で首を絞めるように残酷だ。
また、容易にやり返す事ができないという点でも、歯痒いものがあった。
「おい、見ろよアイツ。今日も一人寂しく下校だぜ」
九を見て、子供が指を指した。平凡な顔つきだが、眼だけが意地悪く尖っている。
明らかに悪意を持って口許を吊り上げる様は、醜悪と言えよう。
「親も友達もいねェんだもんな」
「あんなヤツにダチができるわけねーよ。親だって、アイツが嫌で捨てたに決まってる」
「やべーなにそれ!かっわいそー!」
「でもダチにはなりたくねーよ!絶対!」
「ハハハッ」
それに便乗した数人の同窓生が口々に言い放つ。
そして愉快な目のまま、九の様子を窺い見ていた。
九は心の底から呆れ返って、その子供らを一瞥した。
厭うなら無視してくれたらいいのに、とつくづく思う。愛のアントニムは無関心ではなかったのか。
だが子供らは、そうして罵る事を一種の娯楽と考えているようだった。
九は、どこ吹く風といった様子で校門を抜け出た。
途端に、憎しみとも嫌悪ともつかない視線が刺さる。
数多多数の嫌悪や嘲笑を含んだ視線に曝されても、何も感じないと言ったら、それは嘘だ。
しかし、反論や落ち込んだ素振りを見せる事は、状況を悪化させるだけだと身に染みて解っていた。
九は色の無い瞳に彼らを映したあと、今日は飛び切り甘いものを食べようと、心に決めたのだった。
校門を出て十数メートル進むと、深い緑色の藪がある。
元はただの空き地だったらしいが、誰も手入れをしないため、藪に様変わりしてしまったようだ。
その藪の真ん中辺りには、目を凝らしていないと見落としてしまいそうな脇道があった。
クナイで切れ込みを入れたような一本道だ。歩いてみると、10分程で抜け出る事ができた。
その入口で、行く手を塞ぐように垂れ下がっている唐松の枝が、風に煽られて、ゆらゆらと揺れている。
九の家は、そんな粗末な道に寄り添うように、ひっそりと佇んでいるのだ。
「九君。ちょっと、いいかな」
慣れたように枝をかい潜った所で、後ろから声をかけられた。
振り向かなくても声で解る。
ミズキという教師だ。
九は、ふと思い出した。
この教師は“原作の主人公”を使って、何か面倒臭い事をやらかしていたはずだ。
不鮮明な記憶ではあるが、悪役のような笑みを浮かべたミズキが脳裏を過ぎる。
明らかに、厄介事がやって来た。
そう思うと、底辺をさ迷っていた気分がさらに降下した。思い出さなければよかったと、辟易する。
今すぐにでも戸棚にしまい込んである抹茶味のバームクーヘンを、お腹が壊れるまで食べたくなった。
「…はい。なんでしょう」
九は、能面に貼付けたような笑顔で振り返った。
「ちょっと大事な話があるんだ。……ここじゃなんだから、移動しよう」
対するミズキは、優しい顔で微笑んでいる。言葉も、幼い子供に言い聞かせるように柔らかい。
ここにクラスの女子がいれば、間違いなく頬を赤らめただろう。
中性的な顔立ちをしたこの教師は、女子の間では断トツの人気を誇っていた。
確かに、整った顔立ちであることは間違い。
垂れ目がちの瞳は子供の頃の円さを残し、頬から顎にかけてのラインは緩やかな曲線を描いている。男性特有の骨張った硬さが、あまり無い。
一言で表すなら、優男という言葉がぴったりくるだろう。
性格は、穏やかで真面目だが、同僚のイルカと違って冗談を飛ばす茶目っ気も持っていた。
授業は要領が良く、解りやすい。生徒を怒鳴りつけた事は一度もなかった。
生徒からしてみれば、ミズキは、絵に描いたような理想の教師だった。
「はい、解りました。…せんせい」
九は従順に頷く。
こうなると、刀の手入れを怠った事が悔やまれた。
最近抜く機会が無かったため、そういう細かい作業がすっかり疎かになっていたのだ。
これが済んだら、念入りにケアしてやろう。
せっかくの頂き物。錆びらせるには、惜しいのだ。
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