▼ 蛇寮のデコ




 嵐のようなハーマイオニーが去って行った後、コンパートメント内は険悪な空気に包まれていた。
といっても、険悪なのはロンのまとう空気だけなのだが、その真向かいにおとなしく座っているハリーは非常に困っていた。
 一言で言えば、とっても気まずいのだ。今のロンに話しかけるのは、地雷原に足を踏み入れるのと同じくらい危険だろうし、だからと言ってトムに話しかければ、ロンの地雷を踏みまくることになるのは火を見るより明らかだ。
 その結果、ハリーは固く口を結んで、自分の膝を眺めたりロンの様子を伺ったり、時々トムをチラ見するはめになった。
 ……だれかこの空気何とかして!

 そんなハリーの心情を知らないロンは、穴が開くのではないかと思えるほどトムを睨んでいた。その目付きの鋭さといったら、まるでハリーが非現実的なことをやらかしたときのダーズリー叔父さんのようだ。
 それに、ここは魔法界だ。本当に視線だけで穴をあけることも可能かもしれない。と、ハリーは少しヒヤヒヤした。

 一方トムは、何を考えているのかわからない表情で、何をするでもなく、窓の外をボンヤリ眺めていた。その横顔すら絵になる。
 ハリーはトムに倣って、窓の外に視線を移した。
 長閑な田舎の景色があっという間に過ぎ去っていく。はじめは多々見かけていた民家も、列車が進むにつれだんだんと減っていった。
 ホグワーツがどれだけ辺鄙な所にあるかを物語っている。

「昔はホグワーツに行くのも大変だったろうね」

 ハリーはつい、こんな事を呟いた。
 12歳が沈黙を守り続けるのには限界がある。ハリーの限界はここだった。

「それがそうでもなかったらしいよ」

 独り言のような呟きにも、トムはにこやかに応じた。
 トムの真っ黒な瞳が微笑む度に弓を描くのを、ハリーは不思議な気持ちで眺める。

「姿現しという遠くに一瞬で移動できる魔法もあるし、空飛ぶ箒もある。それよりかは時間がかかるけど、魔法生物に馬車を引かせるという手もある。昔はそういったものを駆使して移動していたらしいよ」

 トムの言葉はスラスラと淀みなく流れ出る。まるで教師が教鞭を振るうように、分かりやすくハリーに知識を分け与えようとしてくれる。
 ―――ハリーは知らないが、トムが人に自分の知識を与えようとするのは、一種の職業病だ。 

「それっておかしいよ、絶対」

 ハリーがひたすら感心していると、ロンが噛みつくように反論した。

「だってホグワーツでは姿現しはできないって、兄さんが言ってたもの。君、そんなことも知らないの?」

 小バカにしたような口調だ。
 そんな態度はさすがに良くないと思ったハリーは、ロンを注意するべく口を開いた。しかし、はじめてできたに等しい友達を非難するのは気が引ける。

「そうだね、だから姿現しのできる魔法使いはホグワーツの側まで姿現しをして、そこから箒で向かったんだよ。そうすることでマグルに目撃される危険を減らせるからね」

 ハリーが言うか言うまいか迷っているうちに、トムはロンの反論をあっさりと覆した。しかも、ハリーに向けるのと変わらない笑顔のおまけ付きだ。
 ロンは微笑まれたことに対して嫌そうに顔をしかめたが、ハリーはなんとも言えない気分になってローブの端を握った。
 自分のことを嫌っている人間に他と分け隔てなく接するのは難しいことだ。しかもロンは、嫌悪をあからさまに態度に出している。
 しかし、トムは事も無げに微笑んだ。それは、とてもハリーには真似できないことだ。
 リドル・マールヴェルトはとても遠いところにいる。そう思ったハリーは、苦虫を噛み潰したような気持ちで、ローブのシワを増やした。 


 それから暫くは、また沈黙が続いた。
 ハリーは何となく身動ぎながら、ふとコンパートメントのドアを眺めた。
 すると、ドアの外から人の話し声が聞こえる。外に誰かいるのだろうか、と思っていると、コンパートメントのドアが勢いよく開かれた。

 またハーマイオニーだろうか。それともネビルだろうか。
 そう思ったのか、ロンは嫌そうにしかめた顔をドアに向ける。
 トムは、きょとんとしながら窓辺りに頬杖を付いたままの体勢で視線だけを動かした。 

「ここにハリー・ポッターがいるって聞いたんだけど……」

 コンパートメント内に入ってきたのは、予想していた人物のどちらでもなかった。
 きらきら光るプラチナブロンドを上品にオールバックに整えている身なりの良い少年。
 見覚えのある少年だ。ハリーはマダム・マルキンの店で彼と一度会っていることを、すぐ思い出した。
 少年はハリーとトムを交互に見て、トムに微笑みかけた。

「君がハリー・ポッター?」
「違うよ!そんなわけないだろ!」

 間髪いれずに答えたのはロンだった。
 しかし少年は、憤りを顕にするロンには目もくれずハリーを見て、気取ったように鼻をならした。

「へぇ、じゃあ君がそうなのか」

 少年の視線はハリーの額に向けられている。なのでハリーは前髪をかき分け、傷跡を見せてやった。

「名乗るのが遅れたね。僕はドラコ・マルフォイ。こっちらクラッブとゴイルだ。よろしく」

少年、マルフォイは後ろに従えている少年二人の紹介もついでに済ませ、ハリーに握手を求めた。
 ハリーも礼儀として、出されたマルフォイの手を握ろうと腕を伸ばす。しかし、ロンが忍び笑いをしているのを見つけたマルフォイが手を引っ込めてしまったので、行き場を失ったハリーの手は宙ぶらりんの状態になってしまった。

「僕の名前がそんなに可笑しいかい?ロン・ウィーズリー…。君の名前は聞くまでもなくわかったよ。ウィーズリー家は赤毛のソバカスで、育てきれないほど子供がいるってね。そのせいで、君は親から礼儀作法すら教えてもらえなかったようだね」

 暗に自分の名前を馬鹿にするなと言っているのだろうが、マルフォイの薄いブルーの瞳は蔑みに満ちている。この少年は、こうやって他者を見下すことに慣れているようだ。マルフォイはそうやって生きることが許されてきたのだと、ハリーは思った。

「そっちの君の名前も教えてくれないか?」

 ロンの射殺さんばかりの視線を浴びながらも、マルフォイは唐突に話題を変えた。
 マルフォイの視線の先にいるのはトムだ。

「僕はリドル・マールヴェルトだよ」

 トムはのんびりと答えた。足を組みかえる様はやはり優雅で、マルフォイの眼にもとても育ちが良い人物であると映っただろう。

「マールヴェルト?聞いたことがないな……まさか、マグル出身者じゃないだろうね」
「いいや、違うよ」

 だからこそ、マルフォイは吐き捨てるように言ったのだが、トムはそれを軽く否定した。

「そうか、ならいいんだ。もし気を悪くしたなら謝ろうか?」

 マルフォイは幾分明るい声で言った。

「別に気を悪くするようなことは言われてないさ」

 トムはにこりと微笑んだ。それを見たマルフォイは満足そうに頷き、再びハリーへと向き直る。

「ポッター、いずれ君にもわかるだろうけど、嘆かわしい事に、魔法界には家柄のいいのとそうでないのがいるんだ」

 トムとロンを交互に見やったマルフォイは、ロンをあからさまに侮蔑しながら言った。

「だから僕が教えてあげるよ。君が悪い相手と付き合ったりしないようにね」

 日焼け知らずの手が、再び差し出された。ハリーはそれをムッとした気持ちで見つめる。
 マルフォイの名前を笑ったロンに非がないとは言わないが、だからと言ってここまで蔑まれなければならない謂れはないはずだ。
 ハリーはふとトムを見た。トムは窓の外を眺めている。彼はこの件に関して、全く関心がないようだ。

 ハリーは立ったままのマルフォイを見上げて、なるべく穏やかな笑顔を浮かべながら言った。

「僕は友達くらい自分で選べるよ」
「……君はもっと賢いと思ったのに。後悔するぞ、ポッター」
「ご心配どーも」

 マルフォイは苛立たしげに鼻をならして手を下ろす。それを黙って見ていたロンは、嬉しそうな顔をハリーに向けた。

「行くぞ。クラッブ!ゴイル!」

 すっかり気分を害しましたと顔に書いてあるマルフォイが、物欲しそうに蛙チョコを見つめていた後ろの二人に荒々しく声をかけ、そのまま早足で出ていった。
 クラッブとゴイルは、それでも蛙チョコに熱い視線を送ることを止めなかったが、廊下からマルフォイの声で叱咤が飛んできたため、名残惜しそうに退室していった。……どれだけ蛙チョコが好きなんだろう、ハリーはそう思った。

「あいつの、マルフォイの家のこと……
聞いたことがあるよ」

 ハリーが一息ついて居ずまいを直した時、ロンが神妙な顔で口を開いた。

「名前をいってはいけない“例のあの人”がいなくなった時、真っ先にこっち側に戻ってきた家のひとつなんだって。魔法で服従させられてたって言ってるらしいけど、うちのパパは信じてないよ。マルフォイ家の当主なら“例のあの人”に従うのに理由なんかいらないはずだって、そう言ってた」 

「そうなんだ」

 ハリーは何となく頷いた。まだ、魔法界に来てから日が浅いハリーにとっては、親の仇だという“例のあの人”のことも、その部下だったかもしれないマルフォイの父親のことも、教えられてもいまいちピンとこない。ただ、敵か味方かと問われれば確実に自分の敵になるのだろうな、とぼんやりと認識する程度の危機感はあった。

「ねぇ、リドル」

 ハリーは無意識のうちにトムに声をかけていた。ロンは嫌そうな顔を隠さなかったが、それには目をつぶった。

「リドルはどう思う?……その、例のあの人のこと……」

 ハリーの突拍子もない問いかけに、トムはきょとんとした。そして、それから少し考え事をするように視線を反らす。

「んー…そうだね。少し、滑稽かな」
「え?滑稽?」

 今度はハリーがきょとんとする番だった。ロンに至ってはギョッ!としている。

「うん。だって、ただ一人の人間が世界を手中に納めるなんて、どう頑張ってもできやしないんだよ。それは歴史が既に証明しているし。それに、人間は人間以外のものにはなれないんだ。それ以上もそれ以下もない。だけど“例のあの人”…なんて呼び方は止めようか、馬鹿馬鹿しい。そう、彼の名前はヴォルデモート卿だ。このヴォルデモート卿が目指したものって、きっとそれ以上のものだったんだよ。彼は人間以上の何かになりたかったんだよ。偉大だなんだって言われてるけど、こうして考えてみると滑稽だろう?なれないものになろうとするなんてさ」

 ハリーは開いた口が塞がらなかった。
 今まで会ってきた魔法界の住人は、老若男女問わず、その誰もが名前も呼べないほど、例のあの人に怯えていた。それはつまり、それほどまでに例のあの人の力は絶大で、恐ろしいもので、ハリーの想像を絶するほどの何かをやってのけたということだ。
 だのに、それを滑稽だと言い切ってしまう魔法使いが存在するなんて、ハリーにはまるで白昼夢を見ているのではないかと錯覚するほど衝撃的なことだった。
 しかし、生粋の魔法界育ちであるロンはハリー以上のショックを受けたようだった。

「き、ききき、君は正気なの!?例のあの人のことを、そ、そ、そんな風に言うなんて!!まま、まともじゃない!どうかしてる!まともじゃないよ!!」

 ロンは思わず席を立って、悲鳴のような甲高い声をあげながらのけ反っている。
 対するトムは参ったとばかりに頭をかき、「まぁ、そのチャレンジ精神は認めるけどね」などとフォローしたが、それはフォローになってないとハリーは心の中で訂正した。



 
 そんなこんなで、列車はホグワーツに無事到着した。


 
 

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