「こんにちは。お久しぶりです」

と言われた瞬間、俺はそいつの顔を思い切り殴ったのだと、ふと、思い出した。






 来世があるなど考えもしなかった。人生は一度きりだと空想していたし、またそうあるべきだと感じていた。

 生まれ変わりという稀有な体験をした者は、俺の知る限り自分を含めて三人いる。
 春野サクラの双子の妹である春野クモリと、羽紫羽一族の宗家次男である羽紫羽綾丞だ。
 この二人とは、前世にて同じ施設で育った縁がある。
 俺は春野クモリを『ニア』、羽紫羽綾丞を『マット』と呼び、少なからず特別な思いを抱いている。

 なぜ俺たちは生まれ変わったのか。この奇妙な事象についての考察はまだ完成していない。むしろ、考えるだけ無駄だとすら思っているくらいだ。
例えこの事象に理由や原因があったとしても、どうせ神の気紛れ程度の言葉で片付くのだろう。

 俺は今、校舎の中庭でマットとともに昼食を摂っている。
空はよく晴れていた。校舎に囲まれた四角い空には、春風に乗った鳶が己の羽を自慢するように飛んでいる。
俺は登校中に小店で買ったおにぎりを一口齧った。
 マットは学校の売店に売られていたコッペパンを食べるつもりのようだ。表面がかさついているそれを少し不味そうだと思った。
「まさかニアと組むことになるとはな」
 マットが唐突に呟いた。苦笑混じりの口調だった。
俺は先程の憤りが再び込み上げてくるのを感じ、苦い胸中を隠すようにおにぎりに齧りつく。
「これで、教師どもの目が節穴だったと証明されたな」
「だな。あいつらにロジャーぐらいの観察眼があったら、俺たちを一緒の班にはしなかったよな」
 俺の言葉に、マットも呆れたように同意する。
 ロジャーとは前世で世話になったハウスの管理人だ。ニアの尻を叩くことのできる唯一の人物だったこともあって、強烈に記憶に残っている。
「…ここにロジャーがいたら、お前が手を抜いてるってことを見抜いて、ガミガミ説教しただろうな」
「それは勘弁してほしいな」
 かつてを思い出し、二人揃って懐古的になった。当時は煩わしい以外の何者でもなかった保護者も、時を経れば鮮やかな思い出だ。
 マットはコッペパンを一口大ににちぎり、ふと何かを思い付いたように顔を上げた。
「そう言えばさ、なんでニアの成績ってあんなに悪いんだろうな?ハウスじゃ常にトップだったのに」
「さぁ、何でだろうな………」
 マットの言葉は俺の機嫌を急降下させるには十分だった。
しかしそんな子供のような感情を悟らせるわけにもいかず、食道にお茶を流し込むことで平静を取り繕う。
「手抜きでもしたのか?俺みたいに」
「それはないだろ。あいつ、遠慮ってものを知らないから…」 
 マットの疑問は俺も気になっていたことだ。
 俺はニアと、かつてワイミーズハウスでそうだったようにこのアカデミーでも成績を競うことになると思っていたし、またそうなることを望んでいた。
 しかし、蓋を開けてみれば一位の座はあっさりと俺の手中に落ちていた。その時のニアの成績は、上位十番代にすら入っていなかったそうだ。そして、その後もニアが首位争いに台頭することはなく卒業の日を迎えた。
 俺はニアと戦って勝ちたかった。しかし今回は、互いに同じ土俵にすら立っていない。
 前世であんなに望んだ一番を手に入れても、満足できるはずはなかった。
「じゃあニアは忍には向いてないってことか?」
「それも違うな。体術が苦手なのはマイナス点だろうが…それでも俺の頬骨にヒビを入れるぐらいはできるし、あいつのチャクラコントロールは既に医療忍者クラスだ」
「あー…懐かしいな、お前の右ストレート。あの時は止めにはいるのも大変だったぜ」
「そりゃ悪かったな」
 ニアを殴った日。それは数年前に遡るが、あの日のことは今でも鮮明に覚えている。頭が一瞬で沸騰したことも、俺の拳はニアの鼻骨をへし折った感触も、ニアに蹴られてヒビが入った頬骨の痛みも何もかも。
 あの時、ニアは自身の折れた鼻を自力で治していた。あれは間違いなく医療忍術の類いで、あいつはもうそんなところまで進んでいるのかと酷く焦ったことを記憶している。

「女子で一番成績よかったのって誰だ?」
 首をかしげるマットを見て、俺は教えてやるべきかを迷う。
他人に殆ど興味を示さないマットに女子の名前を言ったところでピンと来ないだろう。誰それ、と更に問いかけられることは目に見えている。
 少し考えて、ここは沈黙で受け流すことにした。
「…やっぱり、ニアは手を抜いていたのかもな」
 俺はそう言ってから、具が落ちそうになっているおにぎりをパクリと平らげた。
 府に落ちる理由ではないが、それ以外にニアの成績が低い理由を思い付けない。

 ニアの成績は、双子の姉である春野サクラの情報によると中の下程度らしい。そして教師曰く、くノ一で最も優秀だったのは春野サクラと山中イノだそうだ。
春野は頭脳面で、山中は体術面でそれぞれ好成績を残したと聞いている。
 しかし、あのニアが恋だ何だと姦しいだけの女どもに劣るだろうか。
 ……かつてこの俺が何一つ敵わなかった、あのニアが?
(あり得ない…)
なら答えは一つ。ニアが故意に自分の実力を隠していたということだ。
その行為には目立つのが嫌だった等の理由をつけられなくもない。

 俺は自己解決して二つ目のおにぎりに手を伸ばした。冷えても美味いおにぎりを開発した人間は偉大かもしれない。
「……案外、優秀過ぎて教師に理解してもらえなかったのかもな」
「………なに…?」
 マットの軽い口調が俺をハッとさせた。
「あり得る」と口が勝手に動く。それに驚いた顔を見せたマットを一瞥し、俺は小さく舌打った。

 教師の認識では、ニアは質問攻めで大人を困らせて面白がる生徒ということになっている。だが、確かにニアの性格はひん曲がっているが、そんな下らないことをするような馬鹿ではない。
これはニアの高度な質問に答えられなかった教師が、そんな自分を正当化するために作り上げた虚像だ。 
 そして、ニアはやはり記述でも実技でも理由なく手を抜くような奴ではない。
だのに成績が低いのは、採点者側がどうしようもない愚図だったということを示しているのではないか。
「ニアの非凡さを理解できない凡庸な教師、か…」
 だがこれは、裏を返せばニアは凡人には理解できないレベルの天才ということであり、ニアはこの世界でも俺の更に前を進んでいるということである。
 悔しいことに、俺は凡人たる教師陣に十分な評価をもらってしまった。

「なぁ、メロ」
「………なんだ」
 思考に耽っていたせいで、マットの問いかけに反応が遅れた。
 マットはコッペパンを一口大にちぎりながら俺の背後を見ている。
「あれ、ニアじゃないか?」 
 言われて振り返ると、確かにニアがいた。
 無造作に伸ばされた女っけのない白髪に、地の底に続く洞穴のような漆黒の瞳。洗いざらしの白いシャツと脱色されたジーンズ。ニアの姿は白昼の幽鬼を連想させる。
 ニアはジーンズの裾を引きづりながら、俺たちに背を向ける形でのそのそと歩いていた。そしてその後ろを恐らく同級生の女三人がチョロチョロとついて回っている。
「ははーん、ありゃいちゃもんつけられてるな」
 マットが物知り顔でニヤリと笑った。
「モテるよな、メロって」
「…下らない…」
 情況がわかってうんざりした。
 俺にはアカデミー主席という肩書きがある。安い女はそういった肩書きにつられて言い寄ってくるのである。まるで電灯に群がる蛾だ。
「助けてやれよ、メロ」
 気持ち悪い笑顔を浮かべたマットは俺の顔を覗きこみながら言った。
「断る」
 俺は即答する。
 女同士(ニアを女として括るのは難しいが)の諍いに巻き込まれるのは御免だ。
 だがあろうことか、ニアはふらりと立ち止まり、くるりと俊敏に振り返った。俺たちの視線を感じ取ったのかもしれない。
 あの忌々しいニアは俺の姿を認めると、口許だけでにんまりと笑った。
「………」
「見つかったな」
 マットの我関せずな台詞が無性に癪に障る。
 ニアは纏わり付く女を器用に避けながら、こちらへ進路を変えた。すると当然周りにいた女たちも俺とマットの存在に気付く。
「ケイル君!」
 女の一人が駆け出し、ニアを抜かして俺の前までやって来る。しかし他の二人は戸惑ったように顔見合わせ、ニアの後ろで立ち止まった。
「私、ケイル君と同じ班になりたかったなぁ」
 女は地面の上に直に座っている俺を、身を屈めて見下ろした。
 健康的な肌の色をした少しつり目の女だ。教室で何度か見たことがある。常に二三人の取り巻きを従え、甲高い声でペチャクチャとお喋りをしていたはずだ。
 馴れ馴れしい態度で話しかけてきたが、言葉を交わすのはこれが初めてである。
 「……何か用か」
俺は女の先程の台詞は聞かなかったことにして、ぶっきらぼうに応えた。
「えー…用って言うかぁ…」
「私もご一緒させて下さい」
 やけにモジモジと体を揺らす女の横から、白い頭がぬっと現れた。
ニアは俺の顔を見て再びニヤッと笑う。そして俺たちの返事を待たず、勝手にその場に座り込んだ。
「おい、誰が座っていいって言った」
「これからはチームメイトとして働くのですから、今から親睦を深めましょう」
「お前が親睦とか白々しいんだよ」
「心外ですね」
 ニアが相手では、言葉の応酬は意味を成さない。
ぬけぬけと布包みを取り出すニアに、食べかけのおにぎりを投げつけたい衝動をグッと堪えた。こんなことで自分の昼食を失うわけにはいかない。
 ニアが持ってきた包みの中身は、こじんまりとした弁当箱だった。色は愛らしいサーモンピンクで、蓋の真ん中には白いふわふわのウサギが描かれている。
「ニア、その弁当箱って…」
「親の趣味です」
 少し引いているマットの問いかけに、ニアは渋い顔をしつつ即答した。
そう言えばこいつには親がいる。
ニアとしても、その弁当箱を使うのは本意ではないようだ。いい気味だ。
「ちょっとアンタなんなのよ!私がケイル君と話してたのに…!」
 俺がお茶の缶に手を伸ばした時、今まで黙っていた女が突然ヒステリックな声を上げ、ニアの髪を鷲掴んだ。
 マットが「うわ」と不快そうに顔を顰める一方で、当のニアは淡白な眼で女を一瞥する。
「まだいたんですか」
 そしてさらりと言い放った。人の神経を逆撫でるニアらしい一言だ。
それが女のヒステリーに容易く火をつける。
「ウッゼーーんだよお前はいっもよォ!!」
 女はニアの髪を後ろへ引き、そのまま地面に後頭部を押し付けた。
ニアは黙ってされるがままにしているが、その口許は不愉快そうに歪められている。
女の取り巻きたちはぎょっと目を見開いて立っていたが、俺の視線を気にしつつも女を囃し立て始めた。
この女たちとニアの間に何があったのか知らないが、何やら相当の確執があるのだろう。
「痛いですよ」
「うっせーー!黙れよこのォ!!」
 女がニアに馬乗りになり拳を振り上げる。
 ニアはそれを見て面倒臭そうな、しかし余裕綽々の溜め息をつく。

 俺とマットは手を出さずにただ見守った。体術が苦手と言ってもニアはそれなりにやる奴だ。下手に手を出せば嫌味を言われかねない。

 降り下ろされた女の拳はニアの顔を捉えていたが、ニアが柔軟に体を捻ったことで、あっけなく的を外した。
ニアは避けその腕を掴むと、巴投げの要領で女を投げ飛ばす。
「きゃあ!」
 悲鳴だけは少女のようだが、投げられて立ち上がった女の顔は鬼瓦のように顰められていた。
「やりやがったなクモリ!嫌われ者のグズのくせに!」
「グズ…?私が愚図、ですか…」
 反動をつけて身軽に起き上がったニアは無表情のまま相手を見据える。
だがあの眼はコイツどうしてやろうかと性格の悪いことを考えている眼だ。
(あの女、終わったな)
「女って……」
 マットの呟きは途中から空気に溶けて消えた。 
 俺はニアと女から目を離し、バッグに忍ばせていたチョコレートの端を齧って空を見上げた。

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