「今日は不思議な夢を見たの、私が死ぬ夢だよ。とっても不思議な感じ・・・」
「・・・え?ああ、そう」
唐突に、小夜にそんな話をされて、梔子は答えに困っているようだった。この二人の関係は相変わらずぎこちない。
俺は雨樋を伝う水滴を眺めながら、何とは無しに二人の会話に耳を傾けていた。
「雨、止まないね」
「この分じゃ暫く止まないよ」
小夜は軒先に顔を向けたようだ。梔子もそれにつられただろう。
バケツをひっくり返したような豪雨だ。冷気をまとった粒が地面を穿つ。
自生している椿の蕾が、首を落とすまいと耐えている。
梔子は見るからに辟易していた。雨天は嫌いらしい。
廃寺の軒下で雨宿りというのも、趣があって悪くないと思うが。
「でもねぇ、トール君はね。一番最初に死にそうなの。死んだらどうするの?」
聞こえてきた小夜の問いに、俺はため息をついた。梔子がドン引きしているのがよく分かるからだ。
梔子の引きつった顔を見たダイコク先生が、苦笑いを浮かべて俺を見る。
俺は首を振った。あの会話に混ざりたくない。ダイコク先生は頷いた。
「・・・俺は死なないけど、もし死んだらどうにも出来ないでしょう・・・俺は死なないけど」
大事な事なので二回言ったのか。
小夜は「ふーん」と気の無い返事をした。
梔子は死という単語が嫌いだ。
それはあいつが一番恐れているものだからだ。
あの年代はどうしようもなく無鉄砲で、己れの死など得ないと思っている頃だ。俺もそうだ。
忍として働き里外に出るようになった今も、死が身近に迫っている感覚は鈍く遠い。
しかし、現実主義者の権化である梔子にそんな若さは無い。一番歳下なのに。
「死んでもできることはあるよ」
そう言った時の小夜は、珍しく意思のこもった眼をしていた。
珍しいこともあるものだ。いつもは虚空をそのまま映したような眼をしているのに。
俺はそれに暫し見惚れた。
「あのね。私が死んだらね、さよならを言いに行くよ・・・皆の枕元に立ってお別れをするの」
想像した。怖かった。
「やめて下さい」
梔子はキッパリと断った。正しい判断だ。
死んだ小夜が、あの虚空の眼のまま枕元から見下ろしている姿は、流石に、無理だ。
幽霊の類は信じていないが、小夜なら本当にあり得そうで困る。
「じゃあ、風になるね」
小夜は椿を見つめていた。
いいことを思いついたとばかりに表情を緩ませている。
「そうしたら、怖くないもんね?」
今度は梔子の目を見て、にこりと微笑んだ。
可憐な笑顔だと思う。今この瞬間だけ 梔子になりたい、なんてな。
「・・・怖くはないけれど、それはとても悲しいね」
梔子は静かに言って、小夜が見ていた椿を同じように眺めた。
年老いた者にだけ混じる寂寥が滲みだすような声だった。
「椿の花は首から落ちるぞ。あまり眺めるな」
俺は堪らず声をかけた。
梔子は驚いたような顔で振り向く。
「お前でもそんな事を言うのか」
面白そうに言った。
「任務前だ。少しばかり、縁起が悪いと思ったまでのこと。小夜、お前の話もだ」
俺たちは雨が止み次第任務で里外に立つ。とある富豪の護衛をするためだ。
「帰って来る頃には、この辺りは赤い絨毯が敷き詰められてるよ。綺麗だね」
小夜が言った。落ち椿を比喩したのだと理解するのに数秒有した。
寂寞たる廃寺庭に差す椿の紅の寒々しい美しさ。
何故だろうか。ただの想像に胸が騒ぐ。
「小夜、椿の話はもういい」
俺は少し語調を強めた。小夜は残念そうにこくんと頷いた。
「この雨、止みそうにない。どうしますか?」
梔子がダイコク先生に視線を寄せて、徐に立ち上がる。言外に出立を請うていた。
「この時期の雨は寒いが、時間の浪費は避けなければね」
ダイコク先生も諾いながら立ち上がる。
俺は尻に着いた埃を払った。
「小夜、雨合羽を着ろ。フードはしっかりと被るんだ」
里の備品の雨よけも、この土砂降りではあまり役に立たないだろうが、無いよりはマシなはずだ。
小夜の装いを点検していると、梔子はわざわざ傍に寄ってきてぼそりと呟いた。
「お母さん」
「黙れ殴るぞ」
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