東北への派遣任務や、珍しい案件での海外出張が重なり、我が家の扉を開けたのは実に2ヶ月ぶりだった。先ずは換気だな、と少し埃っぽい室内の空気に項垂れながら帰宅間際の通り雨に些か打たれたジャケットを脱ぐ。一歩踏み出した先、ひやりと濡れた床。爪先から侵食される靴下。普段なら玄関の取手を握る前から感じるはずのその青年のあまりの気配のなさに今更ながら気がついて、違和感を抱くーーレースのカーテン越しに月明かりを浴びる細い白髪から滴る雨の雫を後ろめたくも、美しいと思う他なかった。

「……どうした?」

 リビングの真ん中で立ち尽くすその姿に問う。昔からの付き合いで合鍵は渡してあった。けれど、何の連絡もよこさずに彼が此処へ来ることはあまりない。そして……瞬きひとつ、しない。まるで人形だな、と随分様子のおかしい彼にため息が溢れる。珍しいこともあるもんだ。

 いや、そう言えば……心当たりがなくもなかった。

 正直なところ、疲労が勝っていたから詳しい話はあまり覚えていない。でも確か、飛行機の中で受け取った連絡は高専からのもので……彼の親友が呪詛師に降った、と状況を整理すれば。まぁ、無理もないか。他人事のように欠伸を殺した記憶はある。
 脱衣所に踵を返し、手に握ったままだったジャケットを洗濯機に放り投げる。代わりにタオルを2本手に取って、空いた右手で靴下を脱ぐ。冷えたフローリングが些か身体に沁みる。随分小さく見えた立ち姿を瞼の裏側で思い出しながら今夜は眠れなさそうだと思えば笑うしかなかった。一丁前に見えても、まだまだ餓鬼だ。すっかり忘れていた。大人とはなんと都合の良い生き物か。

「風邪をひくぞ」

未だ、ぽたりぽたりと、雫を侍らす頭にタオルを掛けながら自身の濡れた髪にもそれを押し当てる。早速熱い湯に浸かって、それからビールの一本でも喉に流し込みたい気分だったが、諦めるしか道はないのだろう。
 精一杯、わたしを頼って来たこの青年の、こんな姿を見せられてしまったのだから。

「おーい、聞いてるか?悟……ほら」
「おれ……さ」
「図体だけか、でかいのは。自分でやれ、馬鹿が」

 二度ほど濡れた髪をタオルで擦ってやれば、痛い痛いと渇いた声が溢れた。すっかり冷えた頬にそっと手を伸ばす。陶器のように滑らかな白い肌の真ん中で、小宇宙さながらの瞳が揺らいでいる。全く、良くも悪くもこの青年は昔からわたしの前でだけ、特別素直だった。それを奇しくも愛おしいと思ったのは勿論片手で足りるほど。きっとそうだと、半ば言い聞かせるように深く息を吸う。
 あぁ、泣き虫め。長いまつ毛に乗った雫を拭う。高専に入ってまた一段と呪力の扱いに慣れ、任務も悠々とこなし、憎たらしい程大人びた顔つきになったと思っていたが、今わたしの目の前に立っているのは確かにまだほんの17歳の少年だ。似ても似つかない程に、彼は初々しい。

「……青春ってのは、時に酷く苦いもんさ。
 無理に飲み込まなくて良い」
 この腕の中にすっぽりと収まっていた幼い身体を懐かしみながら、よもや此方が身を委ねるように抱きしめる。しっとりと、雨垂れを纏うその身体からは懐かしい香りがした。全く、蛙の子は……蛙、か。
「お前は確かに五条悟だが、お前の人生はわたし達と変わらない。どんな道を選んでも……たった、一度きりなんだから」

 わたしみたいに、後悔はしないでくれ。

 愛しい人の、愛しい子。
 お前の涙を見るのは、思っていたよりも……

 ずっと辛い。
せめて、君の青を救えたならば
わたしの後悔も塵にしてしまえる気がした


あとがき+α
一切の情報が出てこない五条家にわたくし、高屋はありとあらゆる夢と希望を抱いております←
最強が手放しに頼れる場所くらいあったっていいじゃん?ってなもんで、でも勝手な話が、彼ーー五条悟にとって頼れる場所と、愛しむ場所はおそらく違うんじゃないかなという勝手な考察から、なんかすごい歪んだ立ち位置のキャラが出来てしまいました。多分、親戚。そして悟パパに恋をしていたが、報われなかった女性。悟パパも悟ママも彼があんなだから、天然人タラシ属性だと勝手に思っております。不憫なヒロイン。


20230815

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