コポコポと、最新モデルのコーヒーマシンから響き渡る音を優雅な朝のBGMに溢れた欠伸を噛み殺した。無機質でだだっ広いその部屋には、ほんの一握りの家具だけがバランスよく置かれている。少数精鋭とは、実にこういうことをを言うのだろう。
 3人掛けの広々としたソファとオットマン。それに合わせたガラスのローテーブル。鞄とコートが無造作に掛けられるのは無駄のないシンプルなハンガーラック。控えめな存在感で窓際の天井から吊るされているのは、引越し祝いに自分が送りつけたアイビーの鉢植えーーもうかなり蔓が伸びていた。
 テレビもなければ、時計もない。鏡や本棚、あっても良さそうな家具は殆どこの部屋には見つからない。挙げ句の果て、都会の喧騒を一望できる大きな窓には、カーテンすら掛かっていないのだ。
 全く、麗らかな女性の一人暮らしだというのに、プライバシーを遮るものががないのは些か不用心ではないだろうか。この部屋の主人である彼女は、些かセキュリティに甘いと思う。だがしかし、気配を殺して通り抜けた寝室にはキッチリと重たい遮光カーテンが掛けられていたことや、真っ白なシーツの海の中で彼女がわずかに寝返りを打ったにもかかわらずスプリングの軋む音が一切響かなかったことから……睡眠には相当のこだわりがあるのだろう。まぁ、職業上どうしたって日中にしか休めないこともあるし、その辺りは分からなくはない。

 上質な革張りのソファに腰を下ろしながら、自身の長い足すら持て余すサイズのソレを値踏みしていたところで、寝室に繋がる扉がゆっくりと開いた。少しだけ隙間を持たせていたので、コーヒーの香りがきっと目覚ましになったのだろう。
 おっはよう。朝メシ、食べるよね?
 調子よくそう声をかけたものの、下着にロングガウンを引っ掛けただけのその姿には、不覚にも少し、面食らった。だが、彼女の方もまさか自室に予期せぬ侵入者がいるとは思っていなかったようで、少しだけ驚いたようにその目をパチクリとさせている。
 ほんの少し、優越感。


「えぇっと……五条くん、
 君はいったいなぜ私の部屋ここに?」


 次の瞬間には何事もなかったかのように、彼女は長い前髪を掻き上げながら、スタスタとキッチンへ足を進める。はだけた胸元を直すことすらしないこの部屋の主は、起き抜けに年頃の男の熱い視線が自分に向けられていようが全く気にならないようで、対面式のキッチンの向こう側で水を注いだグラスに口を付けた。まだ少し重そうな瞼が、色素の薄い灰色の瞳を数度覆う。色っぽいなぁ。
「なぜって、窓が開いてたら、入るでしょ」
 けど不用心だなぁ、その格好も。僕としては万々歳なんだけど。少しでも余裕のある素振りを見せなければ、寝起きだと言うのに悠々とした彼女の放つ空気に飲み込まれてしまいそうで、誤魔化すように足を組み替えた。
 「絶景。ちょーいい眺めだよ」と付け足せば軽く鼻で笑われる。本当に、この人だけにはあまりにも勝てる気がしない。

「たとえ開いていたとはいえ、14階の窓から当たり前のように入ってくる非常識かつ残念な人間は……きっと君くらいだろうね」
 カチンと上品な音を立てたあと、彼女の手元で弄ばれたライターが太陽の光を受けてわずかに煌めいた。細くて長い指先に捕えた煙草を口許に運びながら「次からはエントランスを通って欲しいなぁ」と燻らせた煙の奥でそっと瞳が細められる。煙草一本吸う仕草、たったそれだけのことなのに彼女がするだけで、あたりは酷い色気に包まれた。どうしてこうも違うものか。脳裏に浮かんだ同級生のその姿は目の前の紫煙の先にたちまち消え去っていく。

「それで?朝ご飯、用意してくれるって?」
「まっかせなさーい。美味しいコーヒーも淹れてあ、げ、る」
「ふふ、悪くないね」

 やんわりと笑んだ彼女は幾度かとても美味そうに煙を飲み、カウンターの上にあったカットガラスの灰皿に残りを押し付けた。それから大きく伸びをする。一切の無駄がないウエストに浮かぶ腹筋とそれを支える細い腰。決していやらしさを感じさせない黒いレースの下着に映える白い肌。さながら美術品のように滑らかでバランスの取れた四肢。憂いを帯びた唇が「卵、目玉焼きよりはスクランブルエッグが好きだなぁ」と、冷蔵庫の扉に向かった自身の耳元に甘く紡ぐ。
 ぐい、と細い手首を取って無抵抗なその体を広いシンクと自分の間に閉じ込める。挑戦的に弧を描いたその口元にずいと近寄れば、存外甘いシャンプーの香りだろうか、頭がくらくらしそうだった。

「可愛い後輩を誘惑するなんて、悪いヒトだなぁ」
「不法侵入者が何を言うのかと思えば」
「いっそ合鍵、くれたらよくない?」
「コラコラ、くすぐったいよ」

 ガウン越しにするりと手を回して腰を引く。闇よりも深いその髪を反対の手で一束とって、そっと唇を寄せた。やはり、甘い。頭の中が溶かされそうだ。

「残念ながら、ここ……ペットは駄目なんだ」

 細い腕が伸びてきて、無造作にわしゃわしゃと頭を撫でられる。君みたいに大きいのは、特にね。と頬に流れてきた指先で肉を摘まれる。ふにふにと楽しげに人の頬肉を摘み続ける彼女が、ふだんあまり見たことのない少女のような顔で笑うもんだから、こちらまで笑ってしまった。
狡賢いかしこい嘘のかわし方
甘ったるく囁かれる唇を見つめないこと

「冷蔵庫の中さ、結構ちゃんとしてて、いがーい」
「あぁ、全部七海くんが作り置きしてくれたからね」
「俺はダメで、なんで七海はいーんだよ」
「言っておくけど、以前にした飲み会だよ。硝子と歌姫、あと伊地知くんもいたかな。冥は来れなかったけど」
「あれ?それ僕、誘われてなくない?」
「うん、誘ってないからね」
「なんでよ。僕がいないとさみしーでしょ」
「大丈夫。今、独り占めしてるから」
「……ずっる」


あとがき+α
本当は可愛くてたまらないんだけど、まだまだお子ちゃまな高専の後輩だから少し意地悪しながら愛でている感じ。五条くんも一人称僕もまだ浸透していなくて、一瞬七海にジェラシー感じた時とか戻っちゃう。ちなみにアイビーの花言葉は"永遠"とか"不滅"とか、"死んでも離れない"とか
。なかなか五条くんメンヘラじゃん。うちでは外堀から埋めていくタイプ。
でもそんなの全部把握してて、ちゃんとお世話してたりする心の余裕がマリアナ海溝よりも深くて広いお姉様です。そして勿論呪術界でも実力派。
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