彼女がここ数日まともに眠れていないことには薄々気付いていた。化粧で誤魔化してはいるが、うっすらと下瞼に影のように広がる暗い色が日に日に濃くなっていたからだ。だからといって、大丈夫かと問うたところで、その言葉は何の意味も持たない。誰に向かって聞いているのかと一笑されて終わる。
全く素直ではないその性格を可愛いと感じるようになったのは、わりと最近の話だ。いよいよ自分も可笑しくなってしまったのかもしれない。なんてことを多少疑いはしたが、同僚にそれとなく聞いてみれば彼らの中でも彼女は思いのほか可愛いと評判らしいことが分かったので、幸いそれが世間的にはまともな部類の思考であることは理解ができた。
ただし、自分の今までの人生から辿るにしてはとても異質な感情だったが。

「ほら」

軍の施設から出てすぐのところにある自動販売機で購入した安っぽいスチール缶のホットコーヒーを背後から冷えた頬に当ててやると、熱いわバカ、とやはり可愛げのない回答。いや、そんな返答すらどこか愛おしいと思わず笑みが浮かんでしまう辺り、自分も相当キていると思う。
可愛げのないところが可愛いだなんて、なんという矛盾だろうか。

「でもゴチになります」
「大分煮詰まってるのか?」
「ああ、まるで蟻地獄に落ちたようだよ」

外気にされされて冷めるのが早かったのか、もとより然程熱くなどなかったのか、ゴクゴクと喉を鳴らせてコーヒーを飲み干すその様は見ていて少し違和感がある。それは真夏の水分の摂り方だろう。言葉にはしないが表情には出ていたらしい。
喉、乾いてたから。とどこか不貞腐れたように、けれども自分のはしたなさを反省するその仕草は、自分が彼女を抱きしめるのには充分な理由だったと思う。空になった缶がコンクリートを打つ高い音も苦にならなかった。

「え、何この状況。待って!どうしろと!?」
「どうもしなくていい」
「や、無理だろ!意味が分からん!」
「俺がしたくてしているだけだ。気にするな」
「いやいや気にするわ!」

大して小柄なわけでもない、むしろ女性にしてはたっぱもある部類に入る彼女だったが、腕の中に収めてしまえばその体がいかに小さかったのかを思い知らされた。決して大人しいとは言えない動きで慌てふためくその細い体を傷めぬように、そっと抱きしめる力を強くする。ふいに唇が首筋に触れて彼女の熱を感じた。
力加減を一歩間違えれば、折れそうだ。

「ブレラ……ほんとに、困るって」
「困る……?何がだ」
「……たい」
「悪い。聞こえなかった、もう一度」

ピタリと騒ぐのをやめた彼女が、消え入りそうな声で呟いた「泣きたい」という言葉。やってしまった、と思った。勢いに任せて、彼女の気持ちなど微塵も考えずに本能のまま抱きしめてしまったが、それは彼女が泣きたくなるほど苦痛なことだったようだ。人には滅多に弱さを見せない彼女が震えるほどに。

「、すまない……」

慌ててその肩に手を添えて、自分との距離を作る。何をしているんだ、と自身を頭の中で叱責しながら、俯く彼女の様子を探るように視線を落とせば、未だ小刻みに震えている。どうしたものかと思案したが「すまない」と言葉にする以外の方法が見つからない。

「謝らなくていいから、こっちは見るな」
「……嫌なら嫌と言ってくれれば」

我ながら酷い言い訳だと思ったが、突き飛ばされればきっともっと早く止めていたと思うし、その体温を感じて調子に乗ることもなかっただろう。とても自分本意な狡い思考に嫌気がさした。これは完全に嫌われたな、と珍しくも落ち込んだ。心が苦しいとは、こういう気持ちなのかと自嘲せざるを得なかった。


「そうじゃないから、困るって言った」


思わず耳を疑った。
眼前で一切顔を上げずに自身の爪先と睨めっこをしていた彼女がゆっくりと視線と顎を持ち上げる。長めの前髪の先から覗く瞳がしっとりと濡れていた。
泣きたいどころか、本当に泣いているではないか。けれど、嫌ではなかったと、彼女は確かにそういう意図の言葉を紡いだのだ。

「あ!こっち見るな!って言ったのに!」
「了解したとは言ってないぞ」
「なんでそう難癖つけるかなあ……」

あーもう。と自棄気味にため息をついた彼女は次の瞬間、自らその額を自分の胸にしっかりとくっ付けていた。
ちょっと待て。これはどういう状況だ?
今度は自分の方が混乱する結果になり、空いてしまった両手をどうするのが正解なのか合間で思索するが全くもって答えがわからない。

「寒いんだけど」
「ああ……冬だからな」

それにお前は少し薄着過ぎるだろう。と大真面目に返答すれば、今度はあからさまに脱力した吐息が胸元から聞こえた。

「結局さ、器用なの?不器用なの?どっち?」
「お前は……どう思う?」
「悪いけどなかなかのバカだと思う」
「なら、そうなんだろう……」

しがみつくようにシャツを握った手にはもう震えはなかった。ひんやりと冬の冷たさを吸い込んだ髪ごとその頭を左手で抱き、右手は一回り小さな手を包む。視界に入った耳が赤く染まっていたのは多分、寒さのせいだけではなかったと都合よく解釈した。
私たちだけの儀式
愛を語るには、幼過ぎるから

「ちなみにいつまでこうしているつもりで?」
「やはり嫌なのか?」
「嫌じゃないけど、流石に人目が」
「俺は見せつけてやるぐらいの気持ちでいるが」
「はぁ?誰に?何のために?」
「お前はお前が思っている以上に、愛おしいということだが……理解できるか?」
「あーダメだ。サム過ぎて死にそう。違う意味で」


あとがき+α

企画以外じゃ滅多にこの人の話書かなかったんだけれども、ということでブレラスターンは突然に。←
高屋的には、彼はわりとストレートな人だと思ってます。感情が乗っかれば更に。好きだなぁと思えば抱き締めてしまうし、間違えたと気付けば謝ることしかできない。器用なの?不器用なの?からのセリフの流れは結構気に入っている。愛しい人には何言われても気にならないんだね。
ちなみにヒロインは整備士設定。

20180731
Title by Jubilate

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