この人がこんなにも取り乱す姿を見たのは初めてだった。
先程から分単位で次々と部下に指示を出している様子はいつもとなんら変わりない。ぱっと見ても普段との変化に気付くのは自分も含め、たった一握りの人間だけだろう。けれども、確かに今の彼女は心が酷く焦っているようだった。
煌々と夜空を照らすのは月明かりではなく、人工的な爆炎で、額に滲む汗がついにその頬を流れる。そして――

「ッ大丈夫ですか」
「ああ、視界はまだ良好だ」

彼女の一番近くにいた風見が、傾いた身体を慌てて支えた。進行方向とは垂直に一歩踏み出した足を戻す。
捲き上る爆炎のせいで辺りは十二月も半ばだというのにコートなど必要を感じぬほどに熱い。熱すぎる。盗み見た彼女のワイシャツに滲む赤が徐々に面積を広げていることに、誰も気付かないわけがなかった。それでも、彼女が現場を指揮するものとして有無を言わせぬ表情で指示を出すものだから、皆それに従うことを黙って飲み込んでいたのだろう。

微かな消防のサイレンが嫌に遠く聞こえた瞬間、目の前の建物の西側が呆気なく倒壊した。時間の問題だと、誰もが思った。
表情の読めぬ横顔だったが、その瞳だけは大きく揺らいでいた。綺麗なカーブを描く顎を滴る液体を問うのは野暮だと思った。

「総員ッ……撤退だ!」

爆発音に劣らぬ声が響き渡る。仲間も、敵も、情報も、全てを放棄し被害を最小限に抑える旨を伝える声が微かに震えていた。

「でしたら一ノ瀬さん、早く手当を!」
「重傷者や一般人の避難は済んだのか!?」
「全力で今やってます!」
「ならそれに集中しろ!私にかまうな!」

彼女を支えていたはずの風見は呆気なく彼女の手により突き飛ばされた。全く、奴は公安の風上にも置けない。
腹部を撃たれたそれも女性に、いとも簡単に跳ね除けられるだなんて。
そして、その直後、我々の眼下で赫耀と炎を纏い燃え上がっていた建物が激しい爆音とともに全壊した。誰もが振り返り、息を呑む。わずか数秒の出来事が、一生の出来事のように瞼に焼きつく。
あの中に、一体何人の仲間がいた。

近づいて来たサイレンの音も今となっては煩わしいだけだ。ゆっくりと地に膝を折った彼女は、焼けて熱を持ったアスファルトにも構わずそのまま両手を付いた。

「一ノ瀬さん」
「……っ。わたしの……せいだ」
「誰のせいでもありません」
「ッるさい……それ以上、喋るな」

ほら、怪我が増えます。崩壊した建物からは未だに爆発音が鳴り止まない。しゃがみ込んで彼女の顔と位置を合わせながらその手を取った。静かに滴るそれが手の甲に乗る。恐ろしく冷たいように感じた。



「誰が……ッ、先に、逝けとっ……言ったんだ……ッく、そ」



俯いたままの彼女の顔にかかる髪の隙間から、震える唇が見えた。血の気を失い、今にも倒れてしまいそうな横顔。
取り残された仲間を助けるために、奴が炎の中に飛び込んだのはわずか三十分ほど前だった。正義感の強い男ではあったし、考えるよりも前に行動してしまう少し無茶な性格だったため、納得だと言えばそうであるが……止められなかった自分の力量を、彼女はきっと悔いているのだろう。
そういう人だった。





「あの……勝手に殺さないでもらえますか?」

ガバリと音がしそうなほど勢い良く顔を上げたのは彼女も自分も同じだった。煤まみれで「バッチリ生きてるんですけど」と苦笑するその顔にため息が出る。全く、悪運の強さは自分といい勝負だと思う。

「流石、しぶといなぁ」
「降谷さん、それ全然褒めてないですよね」
「当たり前だろう。後先考えずに行動するのも大概にしろ」

残される者の身にもなってみろ。
生憎、その言葉は飲み込まざるを得なかった。なぜかと言えば、ふらりと立ち上がった彼女の強烈な右ストレートが彼の頬を打ったからである。
彼に助け出されたであろう脇にいた同僚が慌てるように彼女を宥める。多少の怪我はあるようだが、目の前で怒り狂って拳を振り上げる彼女の方が重傷なので、扱いには困っている。

「っお前は!むしろ一度死んで頭を冷やせッ!」
「先に逝くなって言ったり、一回死ねって言ったりあんた無茶苦茶ですよ!」
「あぁ゛!?上司に口答えか!いい度胸だな!」
「理不尽だっつってんですよ!」

夫婦喧嘩は他所でやってくれと言わんばかりに傍観していたが、そこではたと気がついた。いよいよ彼女の出血量が危ない気がする。
案の定、糸が切れたマリオネットのように重力に従って崩れ落ちた彼女を間一髪のところで抱きとめた。

「さすがに……騒ぎすぎですね」
「……ごめんなさい」

朧げな瞳を嗜めるように睨めば、意外と素直に謝罪の言葉が帰ってきた。なるほど、思っていた以上に弱っているらしい。
そして、このまま到着した救急車のところまで彼女を運ぼうとその膝裏に手を掛けたところで「ストップ」と膨れっ面の後輩が目の前で仁王立ちしていた。

「それは俺の仕事ですから。たとえ降谷さんでも譲りませんよ」
「元はと言えばお前が彼女に無理をさせたんだ」
「だからですよ」

返して下さい。とやけに強気なその姿勢に、毒牙を抜かれてしまい、視線のあった同僚達と「公私混同もいいとこじゃあないか?」と思わず笑った。
行き着く先が地獄でもいい
ただ、貴女を置いて逝くなどあり得ない

「目、覚めたんですね」
「降谷くん、きみにひとつお願いが」
「なんでしょう」
「あのバカをわたしの代わりにあと5、6発は殴っておいて頂きたいのだが」
「承知しました」
「まぁ……殺さない程度によろしく頼む」
「加減できるかなあ」
「ちょっと!何物騒な話をしてるんですか!」
「「何って、次の任務だが?」」
「そんなものは任務とは言いません!」


あとがき+α

やってしまった……memoにて書き下ろした短文の続きというか、シリーズというか。アルコールの力が此度は良い意味で働きました。笑
降谷さんがバーボンとして組織に潜入するもっと前のお話。公安としてもまだ半人前ぐらいの頃を想定しております。風見くんはちょいちょい良い演出してくれそうなのでそのまま引っ張ってますが。笑
降谷さんと一ノ瀬さんと稲垣くん、我ながらいい距離感だなぁ←

20180726
Title by 彼女の為に泣いた

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