鈍い痛みに瞼を閉じる。目の前の暖かい平和に慣れ始めた身体が僅かに軋んだ。今でも度々夢に見る戦火を忘れたわけではない。けれど、もう戻ることも救うこともできなかったあの日々に溺れられるほど自分は強くできていなかった。
涙で世界は救えない 12
「あの……すみません、助かりました」
看護師に呼び止められたナナセとも別れ、そのままブレラに病室まで送り届けられた歩生は、車椅子からベッドへの移動も手伝ってもらったところで、漸く気不味い沈黙を破った。
丁寧に車椅子を畳んでいた顔が持ち上がり、紅い瞳が射抜くように歩生を見る。先ほど自分が見た彼の優しい眼差しは何かの勘違いだったのだろうかとさえ思う。冷たく、はないがかといって友好的でないのも事実だった。
「パイロット……なんですよね」
おずおずと会話を続ける歩生から目をそらせたブレラは、今度はライアが開け放したままになっていた窓をそっと閉める。あぁ。と短いが肯定の返事が返ってきたため、歩生はそのまま気になっていた質問をする。
「えっと……なら、貴方が俺を助けてくれたんでしょうか」
「いや、その場には居合わせたが……貴様を助け出したのは自分ではない」
歩生の中でずっと引っかかっていたのだ。フロンティアとは航路も違う船団のパイロットである自分が、どういう経緯で助けられる結果に至ったのか。
あの日、ユニヴァースは突如襲いかかってきた化け物共によって他船団との通信手段を断たれていた。よって、救難信号を受け取ってユニヴァースの飛行宙域にたどり着くということは確率的にありえない。ならば、どうして。
「あの日、もう1人パイロットがいたのを覚えているか」
「あぁ、あのやたら綺麗な顔の……?」
「……あぁ、そいつが貴様の乗った機体の破損した一部を見つけて、結果我々の船団のものではないことが分かった訳だが、機体を探しにいくと言い出した」
此方を振り返り、窓枠に寄りかかったブレラは呆れたような表情で言葉を続ける。けれども一パイロットであった歩生にしてみれば、それがどういうことなのかは簡単に想像ができた。
一言で言えば実に無謀だ。機体のある程度の位置が分かった上で探しに行くのならまだしも、漂っていた機体の破片だけを頼りにするには情報が少なすぎただろう。
「人の上半身程度の大きさはあるとはいっても、この広い宇宙の中じゃ埃やゴミを見つけたのとさして変わらない。傷がまだ新しいということを理由に彼奴は捜索することを押し切った」
案の定、そう続けた彼の表情が微かに堅くなる。視線の先に自分以外の誰かがいることを直感的に察した歩生は、徐に振り返った。白衣のポケットに両手を突っ込んで、ライアが立っていた。その瞳は強かにブレラを捉えたあと、ゆっくりと歩生に向けられた。
どことなく2人の相性の悪さを感じ取る。
「結果、死に損なったお前が搭乗した機体が小惑星の群れに紛れて見つかった、ってわけだな」
「でもそんな簡単に……船団の航路はかなり違ったはずなのに」
「貴様がフォールドしてきたんじゃないのか?発見地点はそう近くはないとはいえ、この星系内だったが」
「え……?」
言葉に詰まった歩生の様子に、ブレラとライアが視線を再び交わし、そして……状況を整理しようとした歩生の頭が僅かに痛む。
この星で目覚める前、最後に誰と言葉を交わしただろうか。最後に見た景色は?記憶を搾り出そうとすればするほど、靄がかかって曖昧な映像が流れ込む。
軍への緊急招集がかかり、住民へシェルターへの避難勧告がなされ、爆撃されて行く上官や友の機体を目の当たりにし、絶望を感じたあの状況。思い出したくはない記憶の蓋が、自分の意思とは裏腹に閉じようとしているのだと、歩生は客観的にそう感じていた。
20170705