瞳を奪うパステル
微かに香るアルコールの匂いは嫌いでなかった。視線を逸らせた先にあるはずの快晴の空も、いずれ葉を落としてしまいそうな秋枯れの木々も。全ての音に満ちているこの世界は自分にとってかけがえのないものだった。

「……入らないの?」

息を飲む音が聞こえた。そして響く軽い足音。いつもはもっと強く自信に溢れているのに、今日のそれはえらく元気がない。上体を起こしたリラの隣に腰掛けたシェリルはジッとその顔を見つめたまま黙っている。

「そんなに見つめられると照れるわ?」
「……思ってもいないくせに」
リラのジョークに小さく笑う声が、少しばかりの余裕を見せたときだった。部屋の片隅で漫然と流されていたテレビの音声に、シェリルの意識がピンと張りつめたのを彼女は目敏く感じ取った。

「あれはシェリルの演出、というより奏者の腕前を嫉んで意図的に止めさせたのではないか、という意見も出ているようですね」
「けれど奏者の彼、間に合わせの代役なんでしょう?それ以上の演奏が困難だったから、って訳じゃないんですか?」
「代役には変わりありませんが、彼は何を隠そうあの国立音楽大学に現役で通う――」

お昼時のワイドショーでは先日カフェで行われたシェリルのワンマンライヴについて取り上げられているようだった。あの日、はじめのワンフレーズを歌い終えたシェリルは、次のメロディに入るとアルトの手を取りそれ以上の演奏をさせることはなく、曲の八割をアカペラで歌い切ったのだ。
当初はそれがシェリルの演出であり、奏者であったアルトが急場凌ぎの代役であったことなども一切知られてはいなかったが、どこから漏れたのか一週間経った今ではそれもすっかり公けになっている。

「早乙女家のご子息だってね」
「……グレイスでしょ」
「折角代役が見つかったのにって、嘆いてたわよ」
小さな口元を白い手で隠すように笑ってリラは決して光を捉えはしないその瞳にシェリルを映す。アメシストの透き通った瞳に捕らわれて、シェリルは降参だ、とでもいうように小さく息を吐いた。

「素直に気に入らなかったのよ……アイツの音が。上手いとか、下手とか……そういうんじゃなくて……ひとり、置き去りにされるみたいに感じたの」
「シェリル。多分……彼もそう感じたと思うわ?」
まるで幼子を諭すように、優しくそう紡いだリラは、そっと掛け布団を身体から払いのけると枕元に畳んであったカーディガンを羽織る。面食らったように目を丸くしていたシェリルだったが、外の空気を吸いながら話さない?と少しだけはしゃいで微笑むリラの表情には、毒気を抜かれたように「仕方ないわね」と側にあった車椅子に手をかけた。

20120207 Takaya
敵うはずがなかった
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