マネージャーになった理由
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私が中学で迷わずバレー部男子のマネージャーを選んだのは、父が監督をしているクラブに物心ついた頃から父に連れられ、小さい頃からバレーをする人の近くにいることが当たり前だったからだ。
はじめは自分も選手としてバレーをしていた。
ーー でも、小学四年生の頃、自分がバレーをするよりもバレーをしている人にドリンクを出したり、テーピングを巻いたりする方が好きだと感じるようになった。
初めて人にテーピングを巻いてあげたのは、侑だった。その次の練習では治に巻いた。
二人にテーピング巻くん上手やなと素直に褒められた時は本当に嬉しかったし、それがきっかけでマネージャーをやりたいと思うようになった。
父はそれに反対しなかったし、寧ろ珍しくて優しい考え方だと応援してくれた。
それからテーピングの巻き方や選手のサポートの仕方などを教えてくれるようになり、マネージャーとして育ててくれた。
でもある時、「マネージャーって別におってもおらんくても一緒やない?」とチームメイトが陰で言っていたのを目の当たりにしてしまったことがある。小学五年生の時だ。
うちのクラブは双子の宮兄弟を中心にした強いチームで、その中でのマネージャーというポジションはそれなりに自信を持ってやっていた。でも、そう言う考えを持ったことがなかった訳じゃない。
聞かなかったふりをしようと思って、その場を立ち去ろうとした時だった。
「アホちゃん。マネージャーが優秀なチームは強いて知らんの?」
「は?なにそれ知らんし」
「別にはなこちゃんは優秀とかちゃうやん」
「そーそー。先生の娘やからって、マネージャーなって練習サボるん許してもらってんねんで絶対」
私がいないことをいいことに笑いながら陰口を言っていたみんなのところに来たのは、左手をポケットに入れて右手でボールを持つ治だった。
マネージャー反対派がまた騒ぎ始めると、めんどくさそうな顔をした治の背後から今度は侑がやってくる。味方が意味不明なプレーやミスをした時に見せる怖い顔で。
それを察したみんなはちょっと静かになって、一歩二歩下がった。
「お前らアイツにテーピング巻いてもろた事、あんの?」
みんなは黙っている。
当然だ。この時時点で私が巻いたことがあったのは侑と治だけだったのだから。
「じゃあなんで優秀やないて分かるん?」
全員の背筋が凍ったのが、コソコソとその状況を見るこちらからでもわかった。
治と侑はよく似ているけど侑は時々怖いとみんなも噂していたけど、なんとなくわかった気がする。
「お前らがマネージャー要らんのやったら、俺らの専属マネージャーにするから。俺らは必要やし。な?サム」
「おん」
『(…えっ?)』
何言ってるんだろうあの人たち。
火に油を次々と注いでいく侑に同意する治。この二人は喧嘩している時よりも意見や気が合っている時の方が怖い。…緊張で心臓が痛い。
でも 嬉しかった。
最強の味方がいることは、何よりも心強かった。だからそれ以降私は自信を持ってマネージャーをするようになった。
故に中学でもバレー部のマネージャーを迷わず希望した。
中学に入学して同じクラスになった治がお前マネージャーやるやんな?と当たり前のように確認してきたことも、隣の隣のクラスから走って来て、はなこ!わかっとるやろな!?と確認しに来たことも、きっといい自信につながったと思う。
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