「兄弟」
骨喰は部屋の押し入れに向かって声をかけた。独り言ではない。襖一枚隔てた、布団や座布団が仕舞われているだろうこの中に鯰尾藤四郎はいた。
すんっと鼻を啜る音が聞こえる。
演練から帰り、主に「まずは一期さんに話を聞くから」と鯰尾を頼まれた骨喰はもう数十分ほど押し入れの前で途方に暮れていた。
骨喰は口数の多い方ではないし、口が上手い方でもない。もっと自分が上手く話せる性格なら……とどうしようもないたらればを考えたのは、主に励起され鶴丸が来るまでの数日間ぶりだろうか。
「兄弟、なぜ泣いてる」
骨喰は口が上手い方ではない。
上手くなれない。
「俺はどうすればいい?」
ならば黙り込むよりストレートに聞く。それが過去より学んだ骨喰藤四郎の答えだった。
「黙ったままでは分からない。言ってくれないと気付けない」
俺では頼りないか?
そう続けると拳ほど襖がスライドし、中から「ほねばみぃ……」と頼りない声が聞こえた。
そっと手を差し込むと中で二人手を繋ぐ。
じんわりとお互いの体温が溶け合う感覚に心がほぐれたのか、ポツリと鯰尾が言葉を落とした。
「……主に迷惑かけちゃった。いち兄にも怒鳴った。他の本丸やみんなにも……」
「おれ、やっぱりここにいない方がいいよ」
「それは違う!」
思わず声を荒げた。ビクッと鯰尾が驚いたのが繋いだ手を通して伝わってくる。
離れそうになる手を強く握った。
「兄弟がみんなにかけたのは迷惑じゃない。心配だ。主もみんなも心配してる。兄弟がいない方がいいと思うのは一振りだっていない」
やっと笑ってくれるようになった鯰尾を見て、影でどれだけの仲間たちが笑顔で手と手を打ち鳴らし、ほっと息を吐いたことか。
「そうだよ鯰尾」
「いち兄」
ごく自然に会話に混じってきた声の方を見れば入り口から一期が顔を出した。
____鶴丸は?
自然と思い浮かべてしまったそれを骨喰は慌てて振り払う。どうしたらいいか分からない時、つい彼を探してしまう癖が抜けない。
いや、今この時においてはある意味鶴丸がいないことは不自然ではあるのだが。
なんせここは鶴丸国永の私室なので。
一期は兄の顔で骨喰の横に膝をついた。
「鯰尾、すまなかった。私が悪かったんだ。お前から直接聞いたわけでもない事を勝手に決めつけた。そのままでいい。そのままの方がお前が安心できるのなら、顔を見せなくてもいいから、だから私と話をしないか?」
努めて穏やかな声が部屋に溶ける。
耳鳴りのする静寂。ピンと張り詰めた糸のような空気が、やがて緩んだのを感じ取った。
「気持ちいい話じゃない」
「いいよ」
「多分、支離滅裂になる」
「構わないさ」
「何の解決にもならないかも」
「鯰尾のことを知りたいだけだよ」
「俺だって、ぜんぜん整理ついてない」
「ならば一緒に考えよう」
それだけの時間は十分にあるさ。
押し入れの中で鯰尾がそっと骨喰から手を離した。骨喰は手を抜くと一期と目を合わせ、それに頷いた一期が代わりに手を差し入れる。
暗闇の向こう。顕現してから初めて触れた弟の手は震えていた。