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アリスの姿が見えなくなるまで見送ったパロマは屋敷へと引き返し、ある場所へと急いだ。
ドアをノックしてから、ゆっくりとドアノブを回す。壁一面の書棚は相変わらず本がぎっしりと立ち並び、暖色のソファは新品同様に盛り上がっている。奥のデスクには書類に目を通すブラッドがいた。
「アリスはもう帰ったのか。ちゃんと舞台の招待状は手渡せたか?」
ブラッドは入ってきた人物を確認もせずに話しかける。
「はい。来てくれるかどうかは分かりませんが、チケットは受け取って頂けました。・・・あの、長い時間仕事をお休みにさせて頂いて、ありがとうございました。」
「ああ。」
パロマはお礼を言いに上司の書斎兼仕事部屋まで訪れたのだった。ペコリと頭を下げて笑顔で顔を上げると、エリオットの机に乗った山積みされた書類が雪崩の起きる一歩手前になっている事に気付いて目を見開いた。
急いで駆け寄ってトントンと少しずつ書類を整理していると、ブラッドが思案気に地図を広げた。
「あいつ、態度が何処かおかしくは無かったか?都合の悪い何かを心にひた隠しにしていたぞ。」
「えっそうですか?そんな風には見えませんでしたけど。」
「いや、何かあったな。行動を自粛せざるを得ない程の『何か』が、ハートの城の地下深くで蠢いているのかもしれない。まあ、勝手に自滅するならそれも良し・・・。」
パロマが手を止めて、ブラッドの話を頭の中で反芻した。そう言えば、アリスは何故あんなに元気が無かったのだろう。
ペーターの態度が急に変わるとは思えないが、彼と喧嘩でもしたのだろうか。この世界の事情に疎いパロマには、想像できる範疇が限られていた。
「ところで、舞台稽古は順調に進んでいるのか。ガストン=ブラウンはその道で個々の才能を見抜く天才と称された人物、訪れる志望者をバサバサとなぎ捨てていく独裁主義で名高いそうだが。」
「クリスティーヌ先生は鬼です。」
パロマが間髪入れずに答えた。
彼、いや彼女にはバッサバッサと力一杯なぎ倒されている。ケチョンケチョンに言いたい放題で、捨てられないのが不思議な位だ。
「主役の座と守るのも、存外に過酷なのだろうな。」
パロマの胸がグサッと抉れた。せっかく綺麗に整頓した書類に肘が当たって、結局雪崩が起きてしまう。慌ててしゃがんでかき集め出したパロマだが、表情は苦しい物に変わっていた。
ブラッドは知らないのだ。
パロマがキャストから外されている事を。
舞台の知識が無いブラッドには詳細は伝わっていない筈。だから、自分からそう伝えないといけないのに、それを言ったらせっかく役目を見つけてくれたブラッドがガッカリしてしまうだろう。
しかし表現力の乏しさをカバーするには経験値が不足し過ぎる。精一杯やっているつもりでも、クリスティーヌの求めるアリアまでは到底到達出来ないのだ。
「あの・・・ボス」
「何だ。」
瞳が合うと、どうしてもその先を口にするのを躊躇ってしまう。その表情が落胆で曇るのを見たくない。
それでも・・・と、心を決めて口を開いた所で急に窓の外が暗闇に包まれた。
窓辺に近づき空を見上げると雲一つない満点の星空が。時間帯が昼間から夜に変わったのだった。


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