▼ 素っ気ない君はネコに似ている
Δサーバーのエリア某所にて。
靄がかった意識の浮上を意識したとき、長めに設定した目先の前髪が風に流されていた。邪魔だなぁと眉を顰める。急速に覚醒が進行し、間もなく欠伸が小さく漏れ出る。……どうやら寝オチしていたらしい。
よくも魔物やPKに襲われなかったものだ。少しばかり感心しながら、天上の白雲棚引く青空を仰ぐ。
――そこで。
ちょこんと。
ハギツギだらけの鮮烈な赤が、膝を抱えて座っていた。
どうにも虚無的な表情を正面に向けて。
両頬に赤いボディペイント。ゆったりとした赤い衣服。現The Worldではほとんど見かけない意匠だ(まぁ、PCエディットのパーツなんて無数にあるのだけれど)。膨らんだ帽子の耳垂れで、現在の表情は窺えない。けれどきっと、いつも通り、なのだろう。彼は、いつだって。
ただ、この三白眼はどうにかならないものだろうか。起床直後にこれはちょっと……。
この謎多きPCを認め、思わず私は苦笑する。彼も最早、私の目覚めにおける絶対的な立会人と化していたから。
最初のうちこそ驚きや戸惑いもしたが(ぶっちゃけあからさまなストーカー行為であったし)、それが連日ともなれば慣れもする。毎度毎度、微妙な距離を置いて傍に控えている、感情に乏しい少年PC。
もうどのくらいになるのやら。
彼は。
メンバーアドレスを要求するでもなく、また危害を加えるわけでもない。ただ義務的に居る、そんな感じ。そこから真意は汲み取れない。
ただ、彼は私が<一般>としている定義からは凡そ圏外に居るってことは確かだ。じゃないと、無限と言っても過言ではないエリアから私の居るエリアを探し当てるなんて芸当ができるだなんて、ゲーム管理者くらいのものだし。
しかしその場合、管理者ならば上記の回りくどい手段など取らず、まずは登録アドレスにメールしてくるだろう。内容を問わず。よって彼は運営的観点とは無関係であり、つまりは相当の物好きサンという訳で。
お構い無しに欠伸を漏らしてから、いつの間にか何だか可愛らしく膝を抱えて座り込む隣の少年PCを見上げた。寝転んだまま大の字に四肢を伸ばして。
「おはよう」
「…………」
「キミも毎日飽きないねー」
とんでもないネットジャンキーなのか、もしくは――私と『同類』なのか。またはその枠にすら彼は属さないのかもしれない。彼にはどこか常人離れした印象を抱くのだ。
ともあれ。
自分の環境上、パーティの加入及び勧誘の不可が最も無念であり惜しい問題だった。もちろん、恣意的に何かしらの裏面工作を行使したわけでなければ、不正プログラムを使用した覚えもない。引いては、ハッカー技術なんてものも、当然持ち合わせていない。
自分にはリアルがない。
……『リアルを認識できない』と言ったほうが正しいのか。もしくはAIとして独立しているのか。
判断するには、証明の材料が不足しすぎていた。
つまるところ、自分はそういう『異分子』なのだ。
まぁ、つまり。そんな立場に在ると、必然的に、他の一般プレーヤーとの関わりを避けるようになって。
そんな中、彼のように気兼ねなく傍に居られる存在というのはこの上なく喜ばしいものであって。
「ねぇ。いい加減名前教えてくれない?」
「…………」
「……やっぱりアウト?」
こんな他愛の無い質問をするだけだというのに。無意識に、硝子細工を扱うような、慎重さを帯びてしまうことに自嘲する。どんだけ神経が細いんだか。
不可侵を望んでいるのか、それとも偏に名乗る必要性を感じないのか。少年は黙したままこちらを向かない。普段と同じやり取りにも関わらず何だか無性に不安に駆られて、ごめん、と取って付けた苦笑と共に呟いた。――ら。
「……あ、」
不意に。
出会って初めて、少年が生き物らしい(といったら変かな。一応ゲームだし)動作を見せた。
ゆらりと、力の抜けた緩慢な動きで膝に手を付くことなく立ち上がる。背中を押されるような、自力じゃなかなか難しい体勢で。それから、これはいつもだけど少し首が傾いている。
普段は、こちらが二、三言話しかけたら蒼い炎のエフェクトを纏ってあっさりと消えてしまうのに。
――って、え?
なんか浮いてない彼?
「ど、どうかした?」
「……あぁぁあぁ……」
初めて声、らしき音を聴いた。ほとんど吐息ついでの濁点付き、だけど。なんて言ってるかちっとも分からないけど。
立ち上がり、どんなアビリティでか爪先を地面から浮かし直立している少年。こちらもつられて起き上がり、ほう、と、思わず感嘆する。
特殊なスキルでも会得したのだろうか。だがどこぞの宮皇たち同様、他に類を見ない能力だし、そんなクエスト報酬聞いたこともない。他の可能性といったら、彼はThe Worldの規格外、つまりはチートPCだ、とか。――ともかく。
暫くぐるりと辺りに視線を這わせた彼。ふとある一点にそれが固定される。
と、少年はおもむろに腕を交差させ、腰の辺りで何かを掴むモーションをした。
傍で控える自分は、ただ、半ば唖然と、その不思議な光景をただ眺める。
だって、彼の取った行動は。このThe World(せかい)ではごく自然で当然の――抜剣の。
しっかりと虚空を掴んだ拳の側面から、眩いばかりの光が溢れる。今しがた起床したばかりの目には辛く、ぐっと目を瞑った。一瞬、瞼を隔てて眼球を明るく照らすくらいの、閃光。
二、三瞬きをした後に、改めて見た彼の両手には、刺々しい、攻撃的な双剣が握られていた。
……辺りを見渡してみる。
PKはおろか、魔物だって、見当たらない。
「ど……どうしたのさ、一体」
少し躊躇って、訊く。やはり返事は、ない。こつぜんと二又の剣をぶら下げて。
まさか、なんて冗談にもならない予想が脳裏をかすめてぐっと唇を噛む。
嫌だそんなの、冗談じゃない。きっとそんなんじゃなくて、彼には別の意図理由が在って。
そんな希望的観測を保身的に並べ立て始める思考を反射的嫌悪に追いやろうとした瞬間。
――ぼこり、と。
数在る草原エリアのグラフィックに、突然、黒い泡を思わせる黒が、涌いた。
無数に。
「な、なに、あれっ」
ぎょっと肩をびくつかせ、バグか、などと咄嗟に安易な結論を弾き出す。
立体的世界の中で唯一平面の様に見え、だが果てなき闇そのものだと直感が訴える、漆黒の泡。
際限なく繁殖する『それ』を彼はただ注視している。
着々と闇が辺りを支配していき、為す術なく、世界が――或いは自分たちの居る一帯のみが――暗闇に閉ざされてしまった。
「何がどうなって……!」
朧気な光が頭上を……否、よく見ればある軌道をなぞるように旋回している。
無数のそれらが辺りを飛び交い、まるで球体の内部に閉じ込められているような、そんな、とてつもなく現実離れした異空間。に、自分は居るのだ。謎多き少年PCと共に。訳の解らないまま。
足元に確固とした足場はない。あるのは吐き気を催す奇妙な浮遊感とよくわからない同行人と――同じく、正体不明のスライムもどきなバグ、だけで。
そこで、かろうじて見えたのは。
コアを持つ透明なバグデータに右手を向け、急速に、腕輪のようなものを展開させていく――赤い彼の姿、くらい。
×
「――カイ、ト?」
極めて不思議なことに。
微風に靡く髪を押さえつけながら、間の抜けた声で読み上げる、彼の――親しみ深い少年PCの、名前らしき片仮名の文字列。口に出してみたのはいいものの、何だか微妙な違和感を拭えずに、彼の顔をじっと見やる。
確かに目が合った、はずだが、彼は自分に焦点を合わせておらず、へぇ、とため息じみた発言を漏らす。
……本当に、一瞬の出来事だった。終わりがあっさり過ぎて、やはり現実味に欠ける。
スライムもどきに変体した泡の仕業か、あの異空間に引き摺りこまれたときは肝が冷えたが……事前に察知していた(としか思えない)彼の手により(なのだろう)、超現象も何の問題なく消滅。無事に両者、もとの穏やかな草原エリアに舞い戻ったわけ、だが。
今度こそ大地に着地したかと思った矢先に身を翻す少年。に、慌てて声を掛けようとカーソルを当てれば、会話ウィンドウには文字化けのない日本語が表示されて。
吃驚して反射的に読み上げたら、ぴたりと立ち止まった彼が、ぐるりと首を回して振り向いた。あの蒼炎のエフェクトを隔てて。相変わらずの三白眼に、今度こそ、こちらを映して。
は、……初めて。
こちらの呼び掛けに、彼が、反応した。
「カイト、…………えっと。……また、今度」
いい言葉が見当たらずに、結局当たり障りのない文を伝えた。普段の世間体が諸に出たな、なんて苦笑しながら手を振って、すぐにいなくなるであろう少年PC――カイトを見送る。
「よくわかんない、けど。……助けてくれてありがとう!」
彼は、あの異物から、自分を守ってくれたんじゃないかと。その為に、時々、側に居てくれたんじゃないか、とか。根拠もなくそう思って。
結局カイトは最後まで何も言わず、ただ今日ばかりは、視線を外さないまま去っていった。
(おはよう、カイト。今日もいい天気だね!)
(…………)
'081116
title:Aコース
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