来世に期待なんかしない

 
(デフォルト名前ネタです。すみません……)




「あ、ぅ……」
「アッシュ、だよ」
「あっ、う」
「あ、っ、し、ゅ。ほら」
「あっ、……す!」

 舌足らずながらも、一生懸命におれの言葉をなぞるアッシュ。どうもサ行の発音が難しいようで、まだまだ先は長いようだ。それから言葉の意味も教えないといけない。でも、ゆっくりでいいんだ。アッシュのペースを乱しちゃいけない。

 アッシュが歩行を達成したのがつい先日。動き回るようになってから尚更興味の種が尽きず、好奇心の対象を形振り構わず触ろうとするから、とにかく四六時中目を光らせておかなくちゃならない。危ないから。……少し、寝不足だけど。

「あー、うー……。……あーうっ!」
「どうした、アッシュ」

 気がつけば袖口を引っ張られていて、アッシュは拗ね顔で机を叩いていた。……そんなに乱暴に叩いては机が壊れそうだ。

「あー!!」
「……あぁ……」

 意志を汲み取り椅子を降りてアッシュの隣に移動すると、ヤケに高い声を上げてじゃれついてくる。嬉しい、けれど、結構苦しい、かな。力加減を知らないとはいえ、一応肉体的には年相応だから。
 ……あいた、いたたたた……。

 思いっきり引っ張られた髪は掴まれた量が少ないだけに痛みは倍増し、涙腺が刺激を受けた。

「あー、うっ! あーうっ」
「机はもうないよ」
「あーうっ!」
「……?」

 それでもしつこく『あーう』と繰り返すアッシュ。机を退かしてほしかったのは本意だったらしい。けれど……ごめん、言葉の意味が掴めない。そのままでは埒が開かないと、『あ』で始まり『ー』で伸ばされ『う』もしくはウ段の文字で終わる単語を探す。
 ………、…あ。

「アッシュ……もしかしてそれ、……おれの名前?」

 まさか、と期待を胸に意を決して尋ねたおれに向けられた、白い歯をむき出しに輝かしく零れんばかりの笑顔。ぐらりぐらりと、頭が火照って、ぼう、とする。

 どう、しよう。どう、対処しよう。
 半身に言われた言葉が、こんなにも幸福感で満たしてくれるなんて、……思いもしなくて。
 これは、裏切りの証なのに……。

「……え、と」

 火照る顔をそのままにまずは落ち着く。頬に手のひらを密着させれば、頬は仄かに熱っぽい。残念ながらもおれの心情が伝わっていないアッシュは小首を傾げ、俺の膝に顔を置いて寝転がっていた。……ああ、道理でずっしりきてたわけだ。長椅子は狭いし固いし寝にくいだろうに……。

 比較対象が少ないため判断しづらいが、俺たちに当てられているのは二人部屋だ。本部の奥の、奥の奥。おれだって、やっと最近道順を覚えたばかりで。
 扉を開ければ左右対称。二つのベッドが両側の壁に沿うよう備え付けられ、中央には向かい合うよう椅子が置かれた広めの机。そして、机を挟んだ先に佇むクローゼット。
 天井には点灯自由に加工してある譜石が二つぶら下がっていて、博士が『特注型ですよ』と胸を張っていた。よくわからないが、博士が自ら手がけたらしい。

「アッシュ、寝るならベッドにしよう。体が痛くなるし、まだ寒いから風邪を引く」
「うー……」

 不満げに頬を膨らませる様に、どうしてか頬が緩んだ。もう一度宥める意味で頭を撫でると、渋々といった様子で(四苦八苦しつつ)体を起こし、おれを引っ張ってアッシュのベッドに向かう。

「俺も一緒?」
「うー、うーっ!」
「……わかったよ」

 飛び込んだアッシュを、ベッドのスプリングが程良く利いて包み込む。それなりに跳ねた。時々反対側に落ちて泣くから、いつか堪えてやめるかな、なんて淡い期待なんかをしてる。おれとしては、危ないからやめてほしいんだけど。
 どうやらおれの考えは甘かったみたいだ。彼は何かしらコツを掴んだようで、毎回真ん中で静止するようになった。一種の才能だろうか。なんだか複雑な思いも、彼の瞳の前では力を保つこともなく消え去ってしまうのであって。
 きっとおれはこんな顔できないし、アッシュのもいつかは見れなくなるんだろう。そう考えると彼の一挙一動が光って見えるような気さえした。……実際、光っていたのかもしれなくて。
 ……全く同じで、でもアッシュとおれは確かに違ってしまっていて。

 静かな寝息が示すは彼の深い穏やかな眠り。試しに髪を梳いてみる。くすぐったそうに身をよじっただけで起きる気配はなかった。

 ……大丈夫、聞こえてない。それでも絶対起こさないように、そっと。寄り添って眠る横顔に語りかける。
 ――おれはいつ、アッシュのもとに還ることができるのかな。

「アッシュ」

『おれ』を懸命に覚えようとしてくれて、ありがとう。おれは『おれ』という存在から、もう外れてしまっているのに。
 ……胸が苦しいくらいに、嬉しかったんだ。

「おやすみ、アッシュ」

 どうか明日目覚めたときに、彼の視界にまず入るのがおれだけでありますように。



 
 今ここに『おれ』がいる。これ以上の幸せなんて、望む必要ない。





H21.5.11 加筆修正・再掲載



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