無垢な魂の無縁仏

 あれからというもの、イオンはシゴトの合間を縫って何度もここに遊びに来た。
 アッシュは、イオンが毎回手土産として持ってくる絵本や図鑑などを最も楽しみにしていて、動きのない世界を始終満面の笑みで楽しんでいる。
 おれはというもの、そんなアッシュの様子を(イオンが言うには)満足げに見つめていたり、イオンに多様な知識を教えてもらって、かつてにないほど有意義な時間を送った。あれからヴァンは来ないし、イオンは(手土産もって)来てくれるしで、アッシュの機嫌は安定している。

 最後にイオンが顔を見せたのは二日前で、アッシュは今日も早起きだった。
 おれがイオンに頼んだお絵かきセット(前にディストに頼んでみたけど、忙しいのと、買いに行くのが恥ずかしいのとであっさり断られた)をフル活用し、図鑑で見たものを鼻歌混じりに書きなぐっている。
 縦に、横に。自由に想像力を働かせ『彼』を描く。

(……そういえば、イオンはどうやって手に入れたんだろ……コレ)

 導師とは、あの人が所属するローレライ教団ならびに神託の盾騎士団の最高指導者だと聞いている。そんな人間が、易々と外出したり買い物したりなんかできないんだろうし。

「……どうやって買ったかって?」
「うん」

 聞いても差し支えないことだろうと、丁度やってきたイオンに聞いてみた。新たな景色の虜になっているアッシュは、本当に夢中で気付いていない。
 イオンは口元に手を添えて少し考えるそぶりをすると、ふと天井を一瞥した。

「アーク、キミ、僕が初対面の時に連れていた女の子を覚えているかい?」
「女の子……」

 そういえば、明るい色の髪に同系色の服を着た少女が、あの時彼の傍に居た。だんだん目の光を濁していった彼を、心配そうに呼んでいた、少女。確かイオンは……。

「アリエッタ、だっけ」
「知ってたの?」
「イオンが呼んでたから」

 驚いた彼にそういえば、あぁそうか、と納得してた。

 彼女は導師守護役といって、約三十数名の女性だけで固められた、導師付の神託の盾騎士団特殊部隊……らしい。イオンは立場的に行動へ制限がかかるから、購入はアリエッタに頼んだそうだ。
 不思議そうにしたアリエッタには、「この間会った『双子』と仲良くなって、今度誕生日らしいからプレゼントしたいんだ」と誤魔化したらしい。散歩ついでにね、とイオンは小さく笑ってみせる。

「そっか……。イオン、彼女にお礼、言っておいてくれないかな」
「もちろん」
「――アーク!」

 突然呼ばれて振り返ってみれば、どんと突きつけられた画面に思わず目を瞑る。
 イオンの感嘆の吐息に目を開いてみれば、見たこともないソレは画面いっぱいに描かれていた。

「……これ、何?」
「外! 外の景色!」
「外……」
「アッシュ、なかなか上手いじゃない」

 若々しい緑が広がり、球体から注ぐ光は優しくて、向こうには大きな樹木が枝を広く伸ばしている、無邪気なタッチの風景画。その真ん中には、どことなく見覚えのある人間らしいモノたちが居て、赤が二つと、緑が一つ。
 長い朱の髪を揺らす少年は、楽しそうに右から順に指差して、声を弾ませた。

「アークと、俺と、イオン! 三人一緒だっ」
「へぇ……そりゃあいいね。紅茶や焼き菓子を持っていって、お茶にでも洒落込みたい感じ」

 イオンがほとんど無意識でそうこぼすと、ぱぁっと花でも撒き散らしたかのように、アッシュの顔が目に見えて輝きを増していく。
 はっとして、イオンは咄嗟に視線を外した。アークは目を細め、イオンとアッシュを交互に見やる。
 気まずそうな雰囲気には気付かず、口を閉ざしたイオンに、アッシュは構うことなく詰め寄っていく。

「イオン、お茶会ってなんだ? 楽しいのか?」
「あー……。……うん、まぁ、ね」

 腕を引っ張って何かを嬉しそうに喚く少年に、思わず眉をしかめた。
 ……どうせ彼らは、ここから出られるわけがないのだ。そんな彼らに、要らない希望を持たせるなんて、決して叶うことのない願いを持たせるなんて、……なんて。
 そして僕は、この感情を知っている。

(……僕はどこまで、彼らに感情移入してしまっているんだ?)



 細い腕が、ほとんど密着している僕らの間に割って入ってきた。
 朱の髪は短くて、長髪の少年と同じ服を纏う少年。ぽかんとする己の片割れに、少年は微笑んだ。

「アッシュ、今はだめなんだ、おれたちは」
「ど、どうしてだ。アーク、どうしてだめなんだ?」

 突然突きつけられた事実に対して、混乱のあまりかアッシュはアークの襟首を掴み、半ば叫ぶように喚く。一瞬苦しげにしたものの、アークはやんわりと、彼の首を絞める手を掴んだ。
 途端にアッシュはびくりと肩を震わせ、やっと正気に戻ったように意気消沈していく。
 すっかり静かになって俯いた少年に、アークは改めて笑みを向けた。

「……いつか絶対、おれが、アッシュに外を見せるから」
「アーク?」

 思わず間の抜けた声でその名を呟いた。ヴァンの意図や計画は他として、アークは、少なくともアッシュより自分達が置かれている状態を理解しているはずだ。アーク自身が行動を起こさなくても、アッシュは否応なく『外』を見ることになるのだ。
 この子は、もしかして。

「ほんとかっ? な、アーク!」
「うん」
「なら、約束だからなっ!」

 すっかり機嫌を取り戻したアッシュは、外見に見合わないはしゃぎようで笑い、アークに抱きついた。至福に満ちた表情で。きっと、僕が言ってもあそこまで緩みはしないのだろう。
 お気に入りレプリカ達の、無邪気にじゃれあう姿を見る。……あぁ……そういえば、精神的には二才だったっけ?

(彼らは七年で、消えるのか)

 そんなことを、ただぼうっと考えて。



 やがて騒ぎ疲れた幼子は、見えない夜に誘われ、一番暖かな自分の元、最大の安堵感に包まれてながら、眠りについた。母性愛に近く、愛しげに幼子の髪を梳く彼の背に、僕はそっと背中を合わせる。何? と首だけ動かした彼に、僕は容赦なく言葉を浴びせる。無理難題をつきつける。
 全ては僕の勝手で、自己満足で、わがまま。
 彼は、困ったように微笑んだ。




H21.5.11 加筆修正・再掲載



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