猛毒注入

「それにしても」

 酷い部屋に住んでるね。白い法衣の少年は、苦々しそうな顔をして、この部屋を見回す。
 確かに地下の最奥であり、譜陣でしか移動できない。光も乏しく、どこへ通じているか定かではない換気扇が、なんとか酸素を送ってきてくれているだけ。行動範囲も限られていたから、現実の美しい空模様なんて、所詮夢物語だ。
 簡単に言ってしまえば密室空間であり、普通の人間なら耐えられないらしい。

「変?」
「こんな場所に生涯居続けるなんて、僕にはできないね」

 数週間もしないうちに発狂するだろうさ、とイオンは肩をすくませる。
 そんなものなのだろうか。ずっとこの部屋でアッシュと一緒だったから、あまり恐怖感や圧迫感といえるような感情はない。窮屈感こそ拭えなかったが。
 この部屋ではどういう理屈か季節など関係ないようで、暑いという夏であるのか、寒い冬であるのかすら推測できない。
 どうせ見る事のない季節に胸を馳せムダな想像を膨らませるよりも、いっそ感じぬまま、知らぬままのほうが幸せだ。……おれはアッシュがいればそれでいい。

「……あ、」
「いお、……イオン! そと? そらみた?」
「うわっ!? ちょ、そんなくっついてこないでよ!」

 アッシュはイオンに抱きついて、しきりに外の様子を聞きたがっていた。
 彼にはもう簡単に喋れる程度の知識がある。しかし如何せん、意志疎通のとりやすいおれとは会話が少なく、会話経験が積めていない。きっと呂律がうまく回っていないだけだと思う。
 イオンはその単語の解釈に手間取っているようで、慌てて頭を回転させていて。

「イオンは外に出たことがあるかって……空はどんなものかって聞いてるみたい」
「見たことないの?」

 二人して頷けばイオンは絶句して、これでしか、とアッシュが絵本を開いて見せた。聖獣チーグルの上を覆うのは薄い青一色で、ところどころに散らばる白いソレは、現実にあれば恐ろしいほど縁がはっきりしている。

(……こんな子供だましの絵、今じゃ子供だって見てないんじゃない?)
「こんなのを空だと思ってたわけ?」
「?」
「……違うの?」
「全然違うよ」

 僕はあの時を境に、空さえも美しく見えなくなった。それまでは、季節ごと、時間ごとに色を変える空を、そこそこ気に入ってはいたのに。
 ……でも、今日の空はなんだか違うふうに見えそうだ。

「まず、空はこの一色だけじゃないね」
「一色じゃない?」
「……朝、昼、夜、とか時間帯で違うし、季節や場所によって変わるんだよ」
「イオン、すごいな! たくさん、知る! ……知ってる!」
「この程度は、一般知識にも入らないんだけど」

 空はつまらないものだと思っていた。
 アッシュが日に何度もめくり、すっかりよれてしまった絵本。青一色の変わり映え無い世界で、なぜ絵本の獣はこんなにも笑顔をあふれさせているのだろう。……ずっと、そう思っていた。
 でも、違った。……違ったんだ。

 アッシュは瞳を輝かせて更にイオンへつめ寄っていき、外の世界への期待と憧れを膨らませる。イオンはイオンで彼の言葉を理解してきたらしく、半ば呆れたようにため息をついていた。

 正直、外や空のことなんて、おれはどうでもいいものに分類されたままだ。実体を直視したことがないものなんて、結局は空想に過ぎない。だからイオンの声ばかりに聞き入っていて、話はあまり聞いていなかったし。
 笑ってるのが、本当に嬉しいから。アッシュが笑ってくれて、なおかつそれを向けるのが新しい他人だということも。
 アッシュが嫌いならおれも嫌い。そんなことが多かった。でも、イオンはあんまり嫌いになれそうになかったから、良かったと、思った。もしアッシュが嫌いだったなら、きっとおれはアッシュの意志を優先する。おれは『おれ』だから。
 でも、……アッシュはイオンを受け入れて、笑ってるんだ。

 笑顔が増えたのが、嬉しい。
 この感情は、……喜びで、あるはず。

 アッシュがだんだん外の世界を知っていく度に、俺はこの感情を強くさせて。

 イオンは、猛毒なんかじゃない。
 彼は薬。
 おれ達に新しい色を教えた、外界からの、薬。

 ………彼こそ、おれ達にとっては劇薬だった。


 
 とおく、とおい。
 うめなきゃ、ちかづかなきゃ。
 となりに、いなきゃ。
 おれは、はしる。
 きみは、すすむ。

 だれも、おれにきづかない。





H21.5.11 加筆修正・再掲載



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