何か頬に温かなものを感じて、ブチャラティは目覚めた。風が吹いて、さらりと揺れる誰かの髪が彼の頬を撫でる。「ナオ?」と眼界に飛び込んできた少女の名を呼べば、悲しそうに彼女は微笑を浮かべた。
――なぜ、生きているのだろう。
目覚めた途端、そんな疑問がブチャラティの中に浮かび上がった。自分はあの時――トリッシュを守るために、命を落としたはずだった。身体だけはなんとかジョルノのスタンドによって生かされていたが、しかしそのタイムリミットも切れてしまったはずだ。ならば一体何故生きているのだろう。そう疑問を抱えた瞬間、ブチャラティは目覚めた自分の傍に居た少女の異変に気がついた。彼女の背後で浮遊する彼女の精神を具現化した異形の存在――スタンドの形が、ぼろぼろと崩れ始めていた。そして彼が気づくのと同時に、酷く乾いた音と共に少女は地に伏した。慌ててブチャラティがその身体を抱き起こせば血の気を失った顔で、少女は微笑を浮かべながら掠れた声で「ブチャラティ」と彼の名を呼んだ。
「ありがとう、ブチャラティ。…私、きっと貴方が居なかったら、ここまで歩いてこれなかった。貴方と出会わなければ、きっと、誰一人守ることが出来なかった。だから――……・・・・ありがとう。」
微笑んだ彼女の黒い瞳から涙が零れた。そしてブチャラティは自身の頬に彼女の涙が零れ落ちていたことに気づく。それは雨のような冷たい雫ではなく、どこか温かいように感じられた。
「……ナオ、」
「………なあに?」
「お前が、俺を助けてくれたのか?」
「それは違うよ、ブチャラティ。私は、私の我侭で、貴方を生かしたの。」
"助けた"んじゃないよ。と呟くように彼女は言った。そしてその彼女の傍らで、スタンドは今にも消えてしまいそうなほど崩れきっている。もはやあと数分持つかも分からないくらいだ。
「ねぇ、ブチャラティ。」
「なんだ。」
掠れて、今にも消えてしまいそうな彼女の声を逃さないように、ブチャラティはそっとナオの口元へ耳を寄せた。同時に彼女はゆっくりとその腕を持ち上げると、ブチャラティの頬に触れた。「良かった、生きているのね。」と呟いた彼女の声は、雨の中で消えてしまいそうなほど弱弱しかった。
「最期だから……言う、ね。」
「……何を、」
言うんだ、と問おうとした声は言葉にならなかった。いつの間にか、ナオの身体が透き通ってしまっていることにブチャラティは気づいてしまったのだ。横たわらせた身体――特に足先に近づけば近づくほど、その下にある石畳の模様を見え隠れさせている。ナオ自身もそのことに気づいたのだろう。そっと自身の足へ視線をやった後、「もう、時間が、無いんだ」と悲しそうに微笑を浮かべた。
「ねぇ、ブチャラティ。抱きしめてもらっちゃ、だめ……ですか?」
ほんの少しで良い、だから。そう続けた彼女の言葉を遮るようにブチャラティは彼女に腕を伸ばし、力強く抱きしめた。胸に閉じ込めたナオの身体は酷く小さく、弱弱しくて、胸が締め付けられるような思いがブチャラティの中で浮かび上がった。
「……しあわせ、だったなぁ。」
ブチャラティの腕の中、ナオはそう呟いた。彼女の耳にはブチャラティの確かな鼓動が届いていた。それだけで彼女は満足だった。彼が、彼の仲間が生きている。その事実だけで、幸福だと彼女は思った。これ以上何も求めなくても良い、自分が消えてしまっても良いのだとさえ、今の彼女は思えた。
「ありがとう、ブチャラティ。あの日、私を、助けてくれて。あの日、私に出会ってくれて。」
だから幸せだった。
だから、ここまで来れた。
視界が白んで、だんだんと見えなくなっていく。傍にあるはずの彼の顔ですら、もう見えない。だからそっと手を伸ばして、そこにいることを確認するかのように触れた。手を移動させればさらりとした柔らかな髪の感触がした。そこから更に下へ移動させれば、どくりと脈打つ"生"の感触がした。
「ほんとうに、ありがとう、ブチャラティ。」
ごめんね、それしか言葉が見つからないんだ。
もっと伝えたいのだけれど、時間も無い。だから、
「さようなら、ブチャラティ。だいすきです。」
◇大好き、という声が聞こえたような気がした。
パキン、と何かが壊れて砕けるような音がして不審に思ってブチャラティが振り返ってみれば腕の中に抱く彼女のスタンドが完全に砕け散った瞬間であった。ハッとしたブチャラティが慌てて腕の中の彼女を覗き込めばそこには、何も無いただの空間が広がっていた。空虚としかあらわせない空間。
彼女がいた。だけど消えてしまった――そんな空間。
いつの間にか、雨は止んでいた。薄い雲の隙間から、朝日が差し込んでブチャラティの腕の中を照らす。
「……ナオ。」
声が届かないことをブチャラティは知っていた。それでも、彼女の名を呼びたいと、彼は思った。そしてそんな彼の背に声がかかる。振り向けば、ジョルノ達がこちらに手を振った瞬間であった。
「…全部、終わったのか。」
ブチャラティにはジョルノの手に矢が握られているのが見えた。それは、全てが終わり――ディアボロという強大な敵が倒されたのだということを示していた。
そして――黄金の風が吹く。
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