「……【アリーチェ】。」

小さく名を呼べば顔を覆っていた女の両手がピクリと動いた気がした。指の隙間から空のような青色をした宝石の目がこちらを見据える。女の口がゆっくりと動いて、【対価ヲ】と言った。

「対価さえ払えば、なんでも願いをかなえる。それが……愚かで我侭な私の、私自身のスタンド。
――……・・・・・そうなんだよね?」
【貴方ハワタシ。ワタシハ貴方ダ。コノ姿コソガソレヲ――…証明シテイル。】
「漸く分かった気がするよ。
どうして私がこの世界に来たのか。
どうして彼と出会ったのか。
どうしてスタンドが貴方だったのか……その全ての答えが、漸く分かった。」


私の命を【対価】に彼を――・・・ブチャラティを救って。
彼を、たすけて。


刹那、アリーチェの両腕を縛るように巻かれていた鎖が弾けて、同時に両手で覆われていた顔が露になった。異形の女の蒼い目がきらきらと雨と朝日の中で煌いて、思わず目が眩んだ。
彼女はそんな私に【ソレガ対価カ?】と確認するかのように言った。「それが対価だよ」と私が深く頷けば彼女は【ワカッタ】と至極淡々と頷いて、そっとその両腕を持ち上げる。そして右腕を私の心臓に、左腕を未だ地面に伏したままであったブチャラティの心臓部分に宛がった。
どくりと、心臓が脈動する音が聞こえた。
それは、確かに私の心臓が発する音だった。同時にアリーチェの両手が私とブチャラティの心臓を深く深く掴んだ。アリーチェは最期の確認をするかのように私をその蒼い目で見据えた。
――迷いなんて、無かった。
だから私は頷いて、「私の命が【対価】だ。」ときっぱりと言い切った。そしてアリーチェの蒼い瞳が光を放ち、煌く。同時に、それに呼応するかのように私の心臓はゆっくりとした動きになり、反対にブチャラティの心臓が動き出したのを私は感じた。心臓が動き出したことで彼の全身に血が巡って、流れたのだろう。一滴も血を流すことが無かった傷口から少しずつ血が零れ始めて先ほど巻いた包帯に小さな染みを作っていくのを見て、私は彼が生き返ったことを確信した。

「……ブチャラティ、ありがとう。」

きっと、彼にこの声は届くことなど無いのだろうけれども――それでも伝えたくて、ブチャラティに私は囁いた。同時にぐらりと身体が傾いて、石畳の上に倒れたのを感じた。雨にぬれた冷たい石や砂の感触が不快感を与えるが、もうそんなことを気にしている時間など無かった。私の心臓は、今にも動きを止めようとしていた。
そして背後に居たアリーチェの身体が崩れ始める。まるで硝子細工のようにきらきらと朝日に煌きながら、彼女は消えていこうとする。きっと彼女が消えるのと共に、私も消えるのだろう。そう予感できた。

「……ねぇ、ブチャラティ。わたし、貴方に出会えて本当に良かった。」

呟いて、伏して目を閉じた彼の手に触れる。手首にそっと指を添えれば指先にどくりとした脈動の感覚がして、同時に肌が温かいことに気づいてほうと息を吐いた。
――これで、もう大丈夫。
そう思うと同時に、涙が零れた。ほんの少しだけ、さびしかった。
アリーチェが消えることは私の生命の終わりを示し、同時に私はこの世界から完全に消えてしまう。何も遺されない、何も遺せない――姉のように。
それでも良いのだと思っていた。思っていたはずだった。
でも私は我侭だから――最後の最後で「消えたくない」なんて願いを抱いてしまう。このままずっとブチャラティや彼らと共にいたいのだと、そんな愚かすぎる我侭な願いを抱いてしまう。
勿論、世界はそんな願いを許してはくれない。
私の願いとは裏腹にアリーチェの姿は崩壊が着々と進み、すでに彼女の下半身は消失していた。きっと、全てが消えてしまうのも時間の問題で――残り時間はほんの数分程度なのだということが理解できた。
そして私は意を決して口を開く。
彼に届かなくても良い。それでも伝えたい言葉があった。


「……好きです、ブチャラティ。」

貴方のことが、大好きです。
涙で染まった声でそんな言葉を囁いた。同時に彼の手を握る。

――ねぇ、神様。これぐらいの我侭は許してくれますよね?
ぼんやりとそんなことを思いながら私は酷く重く感じられる身体を起き上がらせて、未だ意識を失ったままであるブチャラティの顔を覗き込んだ。彼の黒髪が、風で僅かに揺れていた。
そしてその端整な顔立ちをよく見つめながら、私は彼の唇に唇を寄せた。
ぽたりと、彼の頬に私の涙が零れ落ちた。




 
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