【2日目】繰り返した××は現実的な味


『一日五回キスをしなければ死ぬ』という能力を受けてから二日目。
出社したらヒーロー事業部部長室へ顔を出すように言われていた虎徹とバーナビーは、二人並んでロイズが座るデスクの前に立っていた。
「今日は雑誌の撮影と取材があるって言ってあったよね?」
ロイズはデスクに広げたスケジュール帳に視線を落とし、本日の予定を指先でなぞっていく。
午前中から昼過ぎまでヒーロー雑誌の取材と撮影、その後はコンビの特集番組が一本と、バーナビー単独の番組収録が三本。
「それなのに、どうしてそんな顔になっちゃったの」
スケジュール帳から視線を上げ、目の下に薄く隈が浮いている二人を見遣ると、盛大に溜息を吐き出した。
ワイルドタイガーである虎徹はアイパッチをするので仕事に差し障りはないが、顔出しヒーローであるバーナビーは別なのだ。
メイクでなんとか隠さなければ、オーバーワークだなんだとファンから会社に苦情が届きかねない。
考えただけで胃がきりきりと痛みだし、ロイズの手がほとんど無意識にデスクの引き出しへと伸びる。
「いや、その……寝不足で」
「そんなことは見れば分かりますよ。私が訊いてるのは、その原因の方」
虎徹が眉をハの字に下げて頬を掻くと、ロイズは昨日と同様、取り出した胃薬の瓶から明らかに多過ぎる量の錠剤を手のひらに出した。
そしてそれをコーヒーでごくんと音を響かせて一気に流し込む。
もちろんロイズが胃薬を飲む原因は言うまでもなく、虎徹とバーナビーの二人だ。
「それは、えーっと……」
「昨日かけられたNEXT能力のせいですよ。こっちは出動要請だってあるというのに。……まったく、いい迷惑だ」
バーナビーがきつく眉間に皺を寄せて吐き捨てるように答えると、虎徹が脇腹を肘で小突いた。
誤って能力を発動してしまった彼女を責めても仕方ない、と意味を込めて。
虎徹もバーナビーが愚痴を言いたくなる気持ちは分かるものの、あれは事故なのだし、解除条件と期間がわかっているだけまだマシだと思っている。
ただ、その解除条件は本当に悩ましいものであるが。
「そういうの、メディアの前では絶対に言わないでね。とりあえず仮眠は移動中にしてもらうとして、まずは雑誌の仕事に行きますから、私が呼びに行くまでに準備しておいて」
「はい、失礼します」
二人は未だ胃薬の瓶を握っているロイズに一礼をしてから、ヒーロー事業部部長室を出た。
あの様子では、能力が解除されるまで胃薬三昧になってしまうかもしれない。
「ロイズさん大丈夫かなぁ…」
眉をハの字に下げたまま虎徹がそう呟くと、バーナビーが聞えよがしに溜息を吐き出した。
「大丈夫も何も、今は他人の心配してる場合じゃないでしょう?それにこの隈だって、元はと言えば虎徹さんのせいじゃないですか。あなたが子供みたいに駄々を捏ねなければ、こんなことにはならなかったはずだ」
呆れ顔で責めるバーナビーに、虎徹は言い返す言葉もなく、バツが悪いとばかりに唇を尖らせてそっぽを向いた。
実際のところ、寝不足の原因が自分にあるのだから仕方ない。
『一日五回キスをしなければ死ぬ』ということで、早めに仕事を切り上げてもらい、バーナビーのマンションに行ったまではまだよかった。
美味い酒がタダで飲めるぞ、と浮かれて鼻歌を歌ってしまうくらいに。
だが本来の目的であったキスをした途端、虎徹は顔を真っ赤に染めて暴れ出し、三回目をする際には部屋の中を必死に逃げ回った挙句、まだ二回しか出来ていないのに出動要請がかかってしまい、残りの三回は睡眠時間を削ってする羽目になったのだ。
「だって恋人同士でもねぇのにキ…キスとか簡単に出来るかよ!」
「おじさんのくせに何を言ってるんですか。それにあなただけでなく、僕の命もかかっているんですよ?」
「そりゃ分かってるけど、でも……」
「でも、何です?」
煮え切らない態度に焦れたバーナビーが声のトーンを下げれば、虎徹はちらっとバーナビーを見てから、顔を隠すようにハンチングを目深に被り直した。
「は、恥ずかしいんだもん……」
三十路半ばを過ぎた男が言うセリフではないが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
その相手が男であったとしても。
するとバーナビーは歯噛みをして虎徹の両肩をぐっと掴み、そのまま強引に唇をぶつけた。
それはキスと言うよりも、噛み付いたと言った方がおそらく正しいだろう。
「な…おまっ……!」
「いい大人が語尾に"もん"とか付けないでください。それと、三時間以上経ったのでキスをしました。また睡眠不足になって仕事に支障が出ては困るので」
「だからって、今ここでしなくてもいいだろ!誰が見てるかも分からねぇのに!」
「確認してからしましたよ」
バーナビーはしれっとした顔で肩から手を離し、指先でブリッジの位置を直すと、赤面している虎徹を置いて歩き出した。
手のひらに感じる熱を誤魔化すようにぐっと拳を握る。
表向き平然とした態度を保ちながらも、内心、舌打ちしたい気分だった。
本当に厄介なNEXT能力にかかってしまったものだ。
二メートルほど離れたところで虎徹が未だ立ち止まっていることに気付き、わざとらしく溜息を吐き出して後ろに振り返った。
「行きますよ、おじさん」
これを今日はあと四回、五日も残っているのかと思うと、バーナビーは軽く眩暈に近いものを感じた。
気持ちだけが置いてけぼりになる。

  ◇◇◇

移動中に多少は仮眠をとることが出来たので、出勤時に比べればいくらかマシになったのだが、虎徹はアイパッチで、バーナビーはコンシーラーで隈を隠して撮影を済ませ、取材もほとんどバーナビーが答えることで長引くことなく終わった。
時刻は正午を少し過ぎた頃。
一回目のキスから既に三時間以上が経っている。
この後にあるコンビの特集番組の収録を考えれば、今のうちに二回目を済ませておくのが妥当だろうし、恐らくバーナビーも同じ判断をしているだろうとは思う。
しかも番組の収録が終われば、バーナビーとは別行動になるのだ。
事情が事情なのだし、ロイズに頼めば同行させてくれるかもしれないが、キスするために同行させてくださいと頭を下げるのは、この上なく恥ずかしい。
しかしまた昨日のように逃げてしまえば、バーナビーにはあれこれと嫌味を言われ、ロイズからは大目玉を食らう上に、また大量の胃薬を飲ませてしまう羽目になるのだ。
バーナビーの嫌味ならいつものことなので慣れているからいいものの、ジェイク戦以来よくしてくれているロイズに苦労をかけるのは気が引ける。
本意ではないがここは腹を括るしかないと虎徹は一人心の中で頷き、ロイズの許へ行こうとしたところで、不意に肩を掴まれた。
「タイガーさん、ちょっといいですか」
「ど、ど、どうしたのかなバニーちゃん」
なんともぎこちない動きで後ろに振り返れば、バーナビーがハンサムスマイルもとい営業スマイルを浮かべていた。
会社の中と外で使いわけるそのオンオフのスイッチに、虎徹はちょっとばかり感心する。
「例の件でお話したいことがあるんです。もちろん逃げずに聞いていただけますよね?」
バーナビーが言外に、手間を取らせるなと告げる。
そう、これは虎徹自身だけの問題ではないのだ。
自分とバーナビー、そして上司であるロイズのためでもある。
年甲斐もなく恥ずかしいからと現実から目を背けている場合ではない。
男として、ヒーローとして、命を守るためならば、一度括った覚悟という名の紐はもう解くわけにはいかないのだ。
それこそが武士道ならぬヒーロー道だと拳をぐっと握り締め、バーナビーに力強く頷きを返した。
「おう!もちろんだ!どんと来い!」
「………助かります。取り敢えず出来るだけ人目を避けたいので、レストルームでも構いませんか?」
「わかった!んじゃ早いとこ便所に行こうぜ!」
「……品のない人だな」
呆れ顔で肩を竦めるバーナビーの背中を急かすように叩き、ロイズに一言告げてからスタジオを出た。
幸いにもレストルームには誰も居らず、キスをするには打ってつけだった。
しかし一応用心するに越したことはないということで、狭い個室に長身の男二人で入り、なんとも言えない沈黙が流れる。
「お、おいっ!あんま時間ねぇんだから、すんならさっさとしろよ!」
「なぜ僕からするのが前提なんですか?べつにあなたからしても問題はないでしょう?」
「え、え?だって昨日も今日もお前から……」
「それはあなたが何度言っても逃げ回るからですよ」
「そりゃあ……」
そうだけど、と声を尻すぼみにして答える虎徹に、バーナビーが意地の悪い笑みを一瞬浮かべ、それからあからさまにしょげた表情をする。
「あの意気込みは口先だけだったんですね。男らしい頼れる相棒だなって、そう思ったのに」
すると虎徹の顔に動揺の色が走る。
元来人に頼られることを喜びとするのが鏑木虎徹という男だ。
そんな風に思ってくれたバーナビーを失望させるようなことはしたくない。
「いや……いや、違うぞ!口先だけじゃない!あれだ、えーっと……俺からキ、キ、キスしたらいいんだよな!」
「してくれるんですか?本当に?」
「男に二言はねぇ!」
そう強く言うと、虎徹は口を真一文字にきつく結び、少し躊躇いながら羞恥心で真っ赤に染まった顔を寄せていく。
だがしかし、あと少しというところでバーナビーが手をあいだに挟み、虎徹に待ったをかけた。
「っだ!なんだよ!」
「そんなぎゅっと唇を締められては、キスにカウントされないかもしれません。だからもっと力を抜いてもらえませんか?」
「え、あ、そっか」
説き伏せられた虎徹は自分の唇を指でむにゅむにゅと突き、今度は出来るだけ力を抜いた状態でバーナビーに顔を寄せた。
触れたのは、ほんの一瞬。
それでもキスをした現実を理解するには十分で、その居た堪れなさから即座に両手で顔を覆った。
「これでいいんだろっ」
「えぇ、おそらく問題ないでしょう。それにしても虎徹さん、あなた少し……いや、だいぶ単純過ぎますよ」
「は?」
思わず顔から両手を離すと、バーナビーは口の片端を上げて息を吐くように短く笑った。
「詐欺とかに引っ掛かりやすいタイプですね。気を付けてください。まぁ、あなたらしいと言えばあなたらしいですけど」
「なっ…じゃあ、さっきのやつは嘘だったのか!くっそー、俺の喜びと純情を返せ!この馬鹿バニー!」
言いながら虎徹があっかんべーと子供さながら舌を出す。
およそアラフォーのすることではないな、とバーナビーは再び溜息を吐いた。
「誰も嘘とは言ってないでしょう。そんなことより、窮屈なんでさっさと出てもらえますか」
「言われなくてもこんなとこ今すぐ出るっつーの!てか、お前が先に出ればいいじゃん!」
「うるさい人だな。いいから早く出てくださいよ、おじさん」
追い払うように手を振れば、虎徹はもう一度べっと舌を出してから個室を出ていった。
残ったバーナビーは自身の唇をそっとなぞり、感触を思い出すように瞼を閉じる。
しばらくしてからきゅっと表情を引き締めて、ロイズにこの後も虎徹に同行させてくれるように頼もうと思いながら、誰もいないレストルームを出た。


―――能力解除まで、あと5日。



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