【1日目】××をしなければ死ぬなんて信じない


それは天気のいい平日のこと。
アポロンメディアのヒーロー事業部部長室の奥のデスクに座るアレキサンダー・ロイズへ向かって、今を輝くバーナビー・ブルックスJr.がカメラの前では決してしないであろう表情で怒鳴り声を上げていた。
「一体どういうことですか!」
バーナビーが怒りを露わにすること自体は然して珍しいことではないのだが、その相手が上司というのはひどく珍しいことだった。
ロイズはすっかり困り顔でデスクに両肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せて長い溜息を吐き出す。
「どうもこうも、こればっかりは不可抗力なんだから仕方ないでしょ?」
それでも納得のいかないといった表情をしているバーナビーを横目に、虎徹は肩を竦めるしかなった。
ロイズの言う通り、こればっかりは仕方ないだろう、と。
バーナビーが憤慨しているそもそもの発端は、アポロンメディア主催のバーナビー握手会にあった。
一応コンビなのだからとワイルドタイガーにも話は届いたが、バーナビーの握手会に対する希望者数を聞いて、同時開催なんて無理だろうと思い、虎徹はあっさり断った。
正直、握手会なんてやってもワイルドタイガー目当てで来てくれる人は少ないだろう。
バーナビーとはファンの数が桁違いなのだ。
かんこ鳥が鳴くのを目の当たりするくらいなら、初めからやらない方がいいに決まってる。
それにもし握手会の途中で何か起きる可能性と対応を考えれば、なおさらだ。
だから虎徹はあくまでフォローに回るべきだろうと、そう決断を下したのは果たして正解だったのか、今となっては自信がない。
つまるところ、その握手会でタイガー&バーナビーの二人はNEXTの被害にあってしまったのだ。
犯人はバーナビーのファンである若い女性で、バーナビーと握手できることが嬉しくての暴走だった。
それも、握手をしている状態で。
バーナビーはもちろん、異変に気がついて咄嗟に止めようと彼女に触れてしまったワイルドタイガーに罪はないだろう。
彼女自身も、悪意あってのことではないのだから、咎めようがない。
だが突然のことであり、考えるより体が先に動くのがワイルドタイガーである。
怪我人が出るような危険性の高いNEXTだったらまずい。
そして躊躇うことなく彼女に触れた結果、二人揃って被害に遭ったというわけだ。
その能力は『一日五回キスをしなければ死ぬ』というもので、死がつくあたり物騒なことに違いないが、普段は制御できているらしく、過去に能力を発動させてしまった数少ない人の中に、死者が出たことは一度もないと言う。
しかし彼女の話によれば、このNEXTには二つ守らなければいけないルールがあるらしい。
一つは、三時間以上あけなければキスをしたとカウントされないということ。
短時間で済まそうと連続的にキスしても意味はないのだ。
もう一つは、キスをする相手は同じであること。
つまり途中で相手を変えることは出来ないので、別の人間とキスをしようが、これもまたカウントされないというわけになる。
結論から言うと、約十五時間ほどかけて定期的にキスをしなければ死が待っているということだ。
しかもその能力が解除されるまで一週間もあるというのだから、バーナビーが憤慨するのも当然と言えば当然だろう。
「それはそうですけど、なぜ虎徹さんとキスしなくちゃいけないんですか!」
「だってバーナビー君は顔出しヒーローじゃない?ジェイク戦で人気はさらに鰻上りだし、下手にスキャンダルされても困るんだよねぇ」
そりゃそうだ、と虎徹も心の中でうんうんと頷く。
バーナビーと毎日キスが出来ると聞けば、そこら中から手が上がることだろう。
「だけど虎徹君なら会社も同じだから無理に時間を割く必要もないし、一石二鳥でリスクも低いでしょ?」
ロイズはそう言うと、虎徹にちらりと視線を向けて、気味が悪いほどにっこりと微笑んだ。
滅多に向けられることのないロイズの笑みに、虎徹は背筋に冷や汗を感じた。
これは無言の脅しだとすぐさま察知する。
だがしかし、だ。
「でも本当にその…キ、キスしないと死んじまうんすかね?えーっと、ほら!彼女が言ってたじゃないですか、まだ死人は出たことがないって!」
「そうだけどね、これでも私は君たち二人を心配して言ってるんだよ?」
再び長い溜息を吐き出し、デスクの引き出しから胃薬の瓶を取り出す。
虎徹は胃薬を飲むことがあまりないため、用量がどれほどなのかは知らないが、ロイズは明らかに多過ぎると思われる錠数を出して、それを既に温くなっているであろうコーヒーでぐっと飲み干した。
それほど悩ませているのかと思うと、反論する気が一気に失せてしまう。
バーナビーは未だ納得していない顔をしていたものの、それ以上は何も言わなかった。
そうしてタイガー&バーナビーの二人は、恋人でもないのに毎日キスをしなければいけないことになったのだ。
ヒーロー事業部部長室を出て各々のデスクに座ると、虎徹は既に事務作業を始めていたバーナビーに話しかけた。
「なんだ、その……こんなことになっちまってごめんな?」
「どうしてあなたが謝るんですか」
書類から視線を動かさないままバーナビーが訊き返す。
相変わらずの不機嫌顔で。
「だってお前、さっきからずっと怒ってるじゃんか」
「別に虎徹さんに対して怒っているわけじゃありません」
「じゃあ何に対してそんな怒ってんだよ。そりゃおじさんとちゅーとか嫌だろうけど、あの子だってわざとやったわけじゃねぇんだしさぁ」
デスクに頬杖をついて軽く睨んでやると、バーナビーは暫しの沈黙のあとで、手に持っていた書類を置いて虎徹を見つめ返した。
「……構いませんよ」
「ふへっ?」
バーナビーの口から出た言葉に、虎徹は耳を疑った。
思わず間の抜けた声が出てしまうほどに。
「まったく知らない相手とキスするぐらいなら虎徹さんの方がまだマシです」
「いや、まぁ……でもそれにしたって、お前」
虎徹はともかく、バーナビーは人気を誇るシュテルンビルトの王子様なのだ。
つまり、相手など選り取り見取りなわけで。
いくら警戒心が強くて潔癖の気があるとは言っても、そんな中から自分を選択した意味が理解出来なかった。
「こんなおじさん選ぶより可愛い女の子の方がいいんじゃねぇの?」
「では逆に訊きますが、あなたはキスをする相手がいるんですか?しかも一週間、一日五回もする相手が」
バーナビーが口角を上げ、挑発するように言う。
そう言われてしまえば、虎徹はぐうの音も出なくなってしまう。
「いねぇよ!あー、どうせいませんとも!」
「でしょうね」
「おいこら、どういう意味だ!」
「そのままの意味ですが」
しれっと言い放つバーナビーに虎徹がデスクを思い切り叩く。
「上等だ!表出ろ!」
「仕事中ですよ。あなたにはその溜まった書類が目に入らないんですか?」
バーナビーは書類の山を一瞥すると、わざとらしく肩を竦めてみせた。
そんなことは言われなくても、虎徹だって見えているし、わかっている。
それのほとんどが始末書であるということも。
「お前が喧嘩売ってきたんだろうが!」
「そんな無駄なことするわけないじゃないでしょう。時間が勿体ない」
「じゃあなんだ!」
「利害の一致だと言ってるんですよ」
バーナビーの言葉に、虎徹がぴたりと動きを止める。
利害の一致とは何か。
「…………どういうこと?」
「あなたはキスをする相手がいない、僕はキスをしてもいいと思う相手がいない」
「うん?」
「そしてロイズさんが言っていたように、同じ会社に勤めていて、ヒーロー時も相棒という関係であれば、無駄な時間を割く必要がなくなりますし、スキャンダルにもならない。つまりは、そういうことです」
「あー、なるほど……」
かなり上から目線で話をされた気がするが、たしかに利害は一致している。
だが、虎徹にはまだ一つの疑問が残っていた。
「じゃあなんであんなロイズさんに食って掛かってたんだ?」
「それはっ……もういいじゃないですか、そんなこと。それより、一回目のキスを済ませませんか?」
急転直下に話を変えられて、虎徹がきょとんと首を傾げる。
「へっ?いきなり?」
「時間がありません。虎徹さんだって睡眠時間はあまり削りたくないでしょう?」
「そりゃ、そう……っ!」
言い終える前に、バーナビーが掠めるようにして唇を重ねた。
ほんの一瞬、感触すらわからないほどの速さで。
「おまっ…!な、何も唇にすることないだろ!」
「キスとしてカウントされる場所なら唇が一番有力でしょう」
耳まで真っ赤に染め上げる虎徹に対し、バーナビーが平然と答える。
この能力についてはまだ不明慮な点がいくつかあり、その一つがキスをする場所なのだ。
「仕方ないので、しばらく僕のマンションに泊まってください」
「え、あ…うん」
一日五回キスをしなければならないということは、できる限り一緒にいるしかない。
しかも能力にかけられてから二時間ほど経ってしまっているのだから、今日は泊まりでもしないと寝ている間に死んでしまう可能性もあるということだ。
こればっかりは仕方ないと虎徹が項垂れていると、バーナビーが事務作業を再開させながらぼそりと呟いた。
「……不本意ですけど」
「おい、聞こえてんぞ!」


―――能力解除まで、あと6日。



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