02.TUESDAY



Love is an emotion experienced by the many and enjoyed by the few.
――恋愛というのは、多くの人が経験する感情であるが、しかし、この感情を楽しむことができた人となると、ほんのごく少数である。(George Jean Nathan)






あちこちから聴こえてくる音楽に、赤と緑を基調としたデコレーション、それから楽しげな顔をした親子連れやカップルを見て、今日がクリスマスイヴだと推測するまでにそう時間はかからなかった。
とは言っても、目の前には巨大なクリスマスツリーが堂々と鎮座しているのだから、推測も何もないかもしれないが。
口元に小さく笑みを浮かべ、そっと瞼を閉じて周囲の賑やかな声に耳を澄ませていると、不意に一切の音が消えた。
クリスマスソングも、楽しげに笑う声も、すべてだ。
驚きよりも恐怖に近い気持ちで瞼を開くと、温かな景色は一変し、視界いっぱいに燃え上がる炎が見えた。
仕事を終えて帰ってきていたはずの両親が待っている家を覆い尽し、炎の海と化す。
「父さん!母さん!」
叫ぶと同時に駆け出そうとして、しかし足はまるで地面に縫い付けられてしまったかのように、一歩たりとも前に進んではくれなかった。
動いてくれと何度も叱咤し、どれだけ踏み出そうとしても、ただ震えるばかりでその場から動くことが出来ない。
それなのにゆらゆらと揺れる炎は、容赦なく勢いを増していく。
「神様、どうして……」
次第に視界が滲み、その場に膝から崩れ落ちると、拳を握り締めて何度も地面を叩いた。
もし声が届いているのなら、もし気付いてくれているのなら、この炎と悲しみを今すぐ消してほしい。
「どうか僕の大切な家族を奪わないで……」
ぎゅっと瞼を閉じた瞬間、涙がすうっと頬を伝って地面に流れ落ちた。
そしてそのまま意識がどこか遠くへ薄れていく感覚に陥り、どうにか閉じていた瞼をゆっくりながらも開くと、そこは恐ろしい炎の海ではなく、見慣れたベッドルームの天井だった。
目元に指先で触れれば、そこには涙の跡が一筋。
「はぁ…、またこの夢か……」
これは四歳の時から幾度となく見てきた悪夢であり、また実際に起きた過去の記憶でもある。
ロボット工学の研究所に勤めていた両親は日々仕事で忙しく、一人で家にいることが多かったが、それでも最先端技術に携わる父と母が何よりも誇りだった。
しかし二十年前のクリスマスイヴ、相変わらず多忙だった両親に代わって家政婦だったサマンサおばさんと二人で巨大なクリスマスツリー見に行き、美味しいケーキを食べたりして、楽しい時間を過ごした後に、事件は起こったのだ。
あの悪夢と同じく、炎の海にのまれて両親は還らぬ人となった。
警察の話によれば、不幸にも当時世間を騒がせていた豪邸ばかりを狙う連続放火魔の犯行だったらしく、その犯人は後に逮捕されたが、天涯孤独となった自分に残されたものは多額の遺産と一枚の家族写真、それと父から誕生日にもらったロボット型の玩具だけだった。
焼尽した家を前にして子供ながらに思ったことは、もう自分を抱き締めてくれる人はいないということ。
だからこそ、ずっと愛すべき相手がほしかった。
無償の愛を与えてくれる家族のような、お互いに愛し、愛される関係の存在が。
この二十四年間、そんな愛情を抱ける相手に出会ったことはないけれど。
―――俺と付き合ってよ、バニー。
男性に告白されたのは初めてのことで、正直、驚きを隠せなかった。
明るくて面白い人だったし、とても恋愛に困っているようには見えなかったのに。
同性同士だからと最初から否定をするつもりはないが、それでも考えてしまう。
「虎徹さん……」
今度こそ好きになれるだろうか。
可能性はゼロじゃないのだと、いつだって週の初めにはそう期待する。
なのに、相手に対する自分の気持ちは、いつもなかなか動いてくれない。
スタート地点で立ち止まったまま、その先へ歩み出したいと思うこともなく、相手に対して自分の心に見切りをつけるまでが七日間。
そのスタンスを短過ぎるとは思わない。
なあなあで無駄な時間を過ごしたくはないし、運命や一目惚れという言葉があるくらいなのだから、日ごとに落ちることだってきっとあるだろう。
ふとベッドヘッドに置いていた携帯電話を開くと、時計は午前五時二十分を表示していた。
いくら平日だと言っても、ここは会社と同じゴールドステージにあるマンションで、その距離を考えれば、起きるにはまだ早過ぎる時間だ。
しかしもう一度寝直す気分にもなれず、なんとなくアドレス帳を開き、一覧から彼の名前を探してメールを打つ。
―――――――――――
To:KOTETSU
sub:(non title)

おはようございます。

―――――――――――
送信完了の文字を確認し、ぱちんと携帯電話を閉じた。
この習慣を毎週同じ相手に送れたら理想的なのに、と思う。
だけど現実はそう上手くいってくれない。
小さく溜息を吐いて寝返りを打つと、静かな室内に着信を知らせる電子音が鳴り響いた。
「えっ…?」
驚いて起き上がり、携帯電話を手に取ってみると、メールの送り主は虎徹さんだった。
―――――――――――
From:KOTETSU
sub:おはよ

早過ぎ起こされた
ふざけんな

―――――――――――
「……それは、すみませんでした」
メール文を読んで思わず謝ると、さっきまでの暗鬱な気持ちが嘘のように、沸々と笑いが込み上げてきた。
たとえ着信に気付いたとしても無視してしまえばいいのに、それをわざわざ返信してくれるなんて。
「やっぱり面白い人だな」
画面を見つめたまま笑みを浮かべていたら、今度は電話がかかってきた。
首を傾げつつ通話ボタンを押すと、明らかに不機嫌な声が電話越しに届く。
『お前ね、今何時だと思ってんの?時計ちゃんと見た?』
「見ました……ふふっ…すみません」
ついつい堪え切れずに笑みを漏らしてしまい、虎徹さんはさらに不機嫌さを増した声になった。
『笑いながら謝るな!ったく、こんな時間に起こしやがって。飲みに行ってたから、まだ寝て三時間くらいしか経ってねぇんだぞ!しかもなんか目が覚めちまってもう寝れそうにねぇし、どうすんの?どうしてくれんの、これ?』
そういえば昨日の電話で飲みに行くと話していたな、とぼんやり思い出す。
何時から飲み始めたのかは分からないが、睡眠時間から察するに、深酒でもしたのだろう。
「どうしましょうかね」
『うわー、すげぇムカつく。お前の顔、ぶん殴ってやりてぇ……』
そんなことを言われたのは初めてのことで驚いたが、同時に嬉しくもなった。
それはもちろんマゾヒストだからではなく、オリオンに勤める人のほとんどは、後見人がCEOということもあって、頼んでもいないのにご機嫌を伺うような対応を取ることが多く、彼のように遠慮のない物言いをする人が周囲にいないからだ。
他人から見れば贅沢に感じるかもしれないが、自分からすれば、望まない特別扱いは個人の存意を無視しているように思える。
「……そうだ、虎徹さんのことを教えてくださいよ」
『は?なんで?』
「だって僕はまだ、あなたの名前と部署くらいしか知りませんし。ね、いいでしょう?」
すると彼は少し不服気ではあったものの、自身についてぽつぽつと話し始めてくれた。
オリオン勤めて十年ほど経つことや、月曜は基本的に休みを取っている――昨日は特別らしい――こと、それからブロンズステージで一人暮らしをしていること。
ちなみに好きなものは、チャーハンにホットドックとマヨネーズ、それからコーラにお酒と、高カロリーなものばかりらしい。
よくジムにも通わずして太りませんね、と純粋な驚きを返せば、社内の階段で運動してる、と誇らしげに言われてさらに驚いた。
『だっ!もう六時半になるじゃねぇか!どんだけ長話してんだよ!あー、電話代の請求が怖い……』
「それなら僕に請求したらいいじゃないですか」
元はと言えば自分が早朝にメールを送ったのが原因なのだし、電話代くらいどうということはない。
しかし虎徹さんは頷くどころか、呆れたように溜息を吐き出した。
『んなことするかよ、バーカ。俺は後輩に金せびるほど、落ちぶれちゃいねぇの!』
そう言うと、ブラインドを上げる音に続いて、階段を降りる足音が聞こえた。
『なんかバニーってよく分かんねぇ奴だよな。俺の知ってる常識が通用しないっつーか……うん、変だ。早朝から人の睡眠妨害するし!しかも俺、お前の先輩なのに!……とりあえず、もしまた会社で顔合わせたら覚えとけよ!』
じゃあな!と吐き捨てるように言ったかと思えば、そのまま一方的に通話を切られてしまった。
遠慮がないというよりは、子供っぽい人なのかもしれないなと苦笑する。
「変、なんて初めて言われたな。……あれ?」
携帯電話を手に持ったまま、ふと虎徹さんの言葉が引っかかって首を傾げる。
自分の記憶が正しければ彼は通話を切る前に、もしまた会社で顔合わせたら覚えとけよ、と言っていた。
たしかに会社は大手企業と言われるほど規模が大きく、本社ということもあってそれだけ社内も広いし、同じ営業とはいえ、基本的に各々の得意先を回るわけだから、顔を合わせることは少ないかもしれない。
しかし今日は、久しぶりに全体会議が入っていたはずだ。
つまり、またもなにも必然的に顔を合わせることになるわけで。
「もしかして虎徹さん、仕事のスケジュールを把握していないとか…?」
そんな憶測が脳裏を過ぎったが、すぐに否定してベッドルームを出た。
社会人として仕事のスケジュール管理は当然のことだと言ってもいいし、ましてや十年も勤めている人が把握していないはずがない、と。
この時までは、そう思っていたのだ。
「シャワーでも浴びて、すっきりしようかな」
出社するまで時間は十分にあるし、何より夢見が悪かったせいで寝汗が酷い。
ゆっくりとシャワーを浴びて、バスローブ姿のまま冷蔵庫からペリエを取り出すと、ソファに座って一気に半分ほど飲み、壁一面に設置されている大型テレビモニターで今日のニュースをチェックした。
それからスタイリッシュなデザインのスーツに着替え、今日はタクシーに乗って出社し、予定通り会議に列席してみると、虎徹さんは開始時刻ギリギリにやってきた上に、驚いた表情でこちらを見ていたのだ。
上司がいる手前、顔には出さなかったものの、まさかの憶測が的中したことに、少なからず驚いたのは言うまでもないだろう。
会議は順調に進み、昼休憩に入ったところで彼に声をかけると、欠伸を噛み殺しながら腕を伸ばし、それから顰めっ面を向けた。
「んだよ、バニー。会議があるなら言ってくれたらいいのにさぁ。普通に今日はただの在社だと思ってたじゃん!」
「……それって、僕に非があるんですか?」
「それはお前あれだよ、あれ……えーっと、そう!寝不足で頭が働いてなかったんだよ!だからお前が悪い!」
それ以前の問題じゃないのだろうか、と思ったがあえて口には出さないでおいた。
事実、就寝中だった彼を起こしてしまったであろう原因は、自分自身に変わりないからだ。
仮にそうじゃなかったとしても、ここであれこれと文句を並べるのは、スマートな大人がすることではない。
「そうですね、すみませんでした。そのお詫びと言ってはなんですけど、もしよかったら一緒にランチでもどうですか?」
もちろん僕の奢りで、と付け足すことも忘れずに。
すると虎徹さんは綺麗な琥珀色の目をパチクリとしてから、ふと周囲に視線を巡らせた。
釣られて辺りを見てみれば、まだ残っていた女性社員たちが、こちらの様子を伺うように凝視していたことに気付く。
その視線に含まれる意図は考えるまでもなく明白で、思わず苦笑が漏れた。
しかし今の自分にとっては、彼女たちの真意を推し量る必要など無論ない。
「近くにベーグルの美味しいカフェがあって、きっと虎徹さんも気に入ってくれるかと」
「やだ、行かない」
「……え?」
頭の中が、フリーズした。
まさか断られるなんて想定していなかったし、自分で言うのもなんだが、過去にも一度だって誘いを断られたことなどなかったからだ。
今度は上手く驚きを隠せないまま理由を訊ねると、虎徹さんは事も無げに答えてくれた。
「だって、会社近くでお前と一緒にいたら絶対注目されるし、目立つじゃん。そんなんじゃ、メシの味も分かんねぇよ」
「それはっ…そうかも、しれませんけど……」
はっきりと否定出来ないくらいには、自分のビジュアルについて自覚がある。
すっかり落胆する自分に気が咎めたのか、虎徹さんは椅子から立ち上がると、軽く肩を叩いて微笑んだ。
「お前って、男相手でも誠実なんだな。…あっ、嫌味とかじゃねぇぞ?なんつーか、さっきは一方的にお前のせいにしちまったけど、もしかしかしたら偶然……なんだっけ?ほら、アレだよアレ。眠りが浅い状態のやつ!」
「レム睡眠のことですか?」
「それだ!そいつのせいって可能性だってあるもんな。だから、俺もごめん」
頬を掻きながらすまなそうに謝ったところで、タイミング悪くアレキサンダー・ロイズ部長がやってきた。
直属の上司ということもあり、二人揃って頭を下げる。
この人はビジネスライクな考えの持ち主で、利益のある相手に対してだけ顔色を伺うタイプの人間だ。
「ごめんねぇ、バーナビー君。休憩時間のところ邪魔して悪いけど、すぐ済ませるから、ちょっとだけいいかな?」
「はい、分かりました」
上司から直々に呼び出されてしまっては仕方ない。
聞こえないくらいに小さく溜息を吐き、虎徹さんを横目で一瞥すれば、苦笑が返ってきた。
結局、食事を一緒にすることは叶わないまま午後の仕事が始まり、各々が担当する顧客のチェックや書類政策などの事務作業を行った。
終業のチャイムが鳴ると、各自適当なところで仕事を切り上げ、いそいそと帰り支度を始める。
オリオンでは社員に気持ちよく仕事をしてもらうために、リフレッシュ休暇や残業をしない日を設けたり、また今日のように、全体会議がある日も残業はしないことになっているのだ。
「全体会議っていいよなぁ…」
モノレールに揺られながら、虎徹さんが心弛びしたように呟いた。
「そうなんですか?こう言ってはなんですが、無駄に話が長いし、退屈じゃありません?」
「そりゃ退屈だけど、人数多いから寝ててもバレねぇし、それでも給料はもらえるし、残業はないし……最高じゃん!」
こんなことを言っていても、左遷どころかクビにもならないのだから不思議だ。
会社が甘いからなのか、それとも、それなりに実績を上げているからなのか。
「……ところで、ものすっごい今さらなんだけどさ。お前ん家、こっちじゃないよな?」
広告を見上げている彼をちらりと見遣り、そうですね、と頷きを返す。
マンションの場所を教えた覚えはないが、恐らく住んでいるのはゴールドに違いないと推定しているのだろう。
「じゃあ、なんでそこに座ってんの?」
「ブロンズステージまで、虎徹さんを送っていこうかなと思いまして」
「なんでまた」
「その方が長く一緒にいられるでしょう?」
そう答えると、なぜか彼は唖然とした表情をした。
そして奇妙な沈黙の後、後頭部をやんわりと触りながら、視線を逸らして俯き気味にへらりと笑った。
「えーっと……あのさ、もしかして俺らって今、付き合ってたりしない?」
虎徹さんの思考の動きが、分からない。
どうしてそんなことを訊くんだろうかと思いつつ、そうですね、ともう一度答えた。
「なるほど……」
すると彼が考え込むような仕種をして、再び二人の間に奇妙な沈黙が流れる。
これって、もしかしたらこの人。
黙ったまま様子を伺うように見ていると、彼は何を思ったのか、急にこちらへ向き直った。
「まぁ、そういうことなら楽しんじゃうよ、俺は」
「えっと、虎徹さん…」
それは一体どういう意味なんだと確かめようとしたところで、車内アナウンスが流れた。
「降りようぜ」
『降り口は右側です』
言うが早いか、彼はすくっと立ち上がり、アナウンスに従って右側の乗車口へ向かって歩き出した。
プシューっと扉の開く音がして、他の乗客も何人か下車していく。
「でもここはまだシルバーじゃ…」
そう言いかけたが、すたすたと先に降りてしまった彼には、どうやら聞こえていないようだった。
平日の夕方過ぎということもあって、改札口付近はすれ違う人と肩がぶつかってしまうほど多い。
しかし彼はそんな雑踏の中を慣れたようにどんどん進んでいく。
「虎徹さんっ」
それでもなんとか追いかけて彼の肩を少し乱暴に掴んだ。
「昨日のあれって、もしかして…」
「デートしようぜ、バニー」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
ドクンと大きく鼓動が鳴る。
「………え」
「だって今日もう火曜だし、一週間なんてあっと言う間だろ?時間は有効的に使わねぇとな!」
力なく肩から手を離すと、再び雑踏の中を歩き始めた。
やっぱり彼も、一週間限定だって決めつけている。
「あのね、虎徹さん……違うんです」
「えっ、嘘!デートとかない決まり?」
決まりなんて、そんなの、まるでゲームみたいな言い方だ。
遊び感覚で恋愛をしようと思ったことなど、一度だってないのに。
「……ルールなんて、ありませんよ」
「よかった!そんじゃ、先にメシ行こうぜ!昼は無理だったけどさ、この辺ならそれなりに落ち着いて食えんだろ」
そう言って飲食店を探す彼に、どうしたって心の落胆を隠せそうもなかった。
「冗談だったんだ……?」
「ん?」
この人を好きになっても、きっと想い合う関係にはなれない。
そう自覚した途端、踏み出す一歩が急に重たくなったような気がした。
だけど、はっきり告げなければ。
「バニー?」
遊びじゃないんだって、だからもう、この人とはここで別れないと。
なのに、自分の意思に反して、口が思うように動いてくれない。
「何やってんだよ」
一つも言葉が出てこないまま立ち止まっていると、彼がぐっと腕を掴んだ。
真っ直ぐに顔を見ることが出来ない。
でも彼の声が明らかに苛立ちを含んでいるのが分かる。
「行こうぜ」
引っ張られるようにして踏み出した足取りは、やはりどこか重たく感じた。
ちゃんと言わなければと頭の中では思うのに、心がもやもやしてひどく苦しい。
そんな状態で彼に連れられた店は、ゴールドステージとはまた違った雰囲気の中華料理店だった。
お互いに口を噤んだままテーブル席に腰を下ろし、注文していた料理がいくつか運ばれると、彼はエビマヨと呼ばれるもの――初めて見た料理だ――に箸をつけながら重苦しい沈黙を破った。
「もしかしてバニー、中華料理は苦手だったりする?」
「え?」
「お前さっきからずっと黙ってるし。……俺さ、嫌なんだよ。そういう、ホントは不満があんのにそれ隠して、こっちに合わされんのって」
そう言うと、エビを箸で突きながら横目でこちらに視線を投げた。
「そんなつもりはありません!だけど、ちょっと困ったことが……」
どうして上手く話を切り出せないんだろう。
遊びではないから関係を終わりにしたいと、そう伝えるだけなのに。
「へぇ…」
彼が突いていたエビをぱくりと口に含み、僅かに眉根を寄せてから、一人納得したように頷いた。
「気が乗らないなら、今日はもう帰っちまうか」
「でもさっき、人に合わせるのが嫌いだって言ってましたよね?」
「そう!もう、大嫌い!」
口元についたソースを紙ナプキンで拭い取ると、盛大に溜息を吐き出した。
それはもう少しの臆面もなく。
「だけど、お互い楽しくねぇとさ……意味ねぇじゃん、こういうの」
彼の表情が柔らかくなって、二人の間に流れていた空気もやんわりとしたものへ変わった。
そしてもう一口、ぱくりとエビを食べる姿に小さな安堵を覚えながら、自分も頼んでいた中華スープを啜る。
「あー、やっぱ足りねぇな。注文する時に多めでお願いしますって言っとくべきだったわ、うん」
不満げにそう漏らすと、鞄の中をごそごそと漁り始め、なんとマヨネーズを取り出したのだ。
それだけでも十分に衝撃を与えてくれたにもかかわらず、彼はそのマヨネーズをあろうことか、エビマヨにそれはもう見ているだけで胸やけしそうなほどたっぷりとかけて、さらなる衝撃を与えた。
風味も香りも台無しである。
「ん、うまい!マヨネーズ最高!」
これでどうしてその体型を維持できるのか、いくら社内の階段で運動していると言っても、不思議でしょうがない。
日系の神秘というやつなのか、それともただ単に彼が太りにくい体質なのか。
注文した料理のほとんどを食べ終えたところで、ふと腕時計に視線を落とす。
気付けばここで食事を始めてから、既に小一時間ほど経っていた。
「……ねぇ、虎徹さん」
「んぁ?」
デザートは別腹だと言って食べていた杏仁豆腐を掬う手を止めて、彼がこちらを見遣る。
「僕、仕事用の新しいシューズを見に行きたいんです」
「くつ?」
「えぇ、古くなったものを処分してしまったので」
口実といえば口実だったが、食べかけだった杏仁豆腐をぺろりと一気に完食すると、にっこり笑ってサムズアップした。
会計を済ませて――律儀にも割り勘にしてくれた――店を出た後、自分がよく買い物をする有名ブランドのシューズショップに足を運んだ。
彼はこのショップに入ったのは初めてのことだったらしく、大体の値段を教えてやると目を白黒とさせたが、それでも興味深げに店内に視線を巡らせた。
そして気になった商品を手に取っては、これは高過ぎると顔を顰めたり、このデザインは好きだ笑ったりと、くるくると変わる感情と表情はとても豊かで、なぜか不思議と目が離せなくなる。
それからすっかり空が暗い色に染まってしまった頃、映画を観に行った。
どうして映画なのかと彼に訊ねたところ、デートの定番だから、と返されたので素直に従うことにしたのだ。
しかし男二人でラブストーリーはさすがに寒過ぎると言い、無難にアクション映画を選び、飲み物を二つ買って――これは奢らせてもらった――空いていた席に並んで座った。
開始ブザーが鳴ると館内は暗転し、スクリーンに映画が流れ始める。
だが中盤あたりに差しかかろうとしたところで、不意に、肩が重さを感じて揺れた。
なんだろうかと薄闇の中で隣を見れば、映画に誘った張本人が凭れるようにして、すぅすぅと寝息を立てていたのだ。
しかも、手に持っていたカップが今にも落ちそうになっている。
零したら大変だ、となるべく体を動かさずにカップを取って、備え付けのホルダーに戻し、起きてないことを確認して、ほっと小さく息を吐いた。
正直、スクリーンに流れていたストーリーが、どんな内容だったのかは分からない。
ただ同じように彼の頭に頬を寄せた時の温もりが、胸に心地よかったことだけは確かだ。



.


prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -