再来

「マルコ、なんで俺を嫌う? いや、俺と一線を引く?」
 突然の問いに相手は至極驚いた顔をしていた。
 新入生として春からバスケ部に入った一年生。口数は少ないが、学年一位を連続で取るほどの頭を持ち、バスケの腕も中々のものだ。直にレギュラーになれるだろうと同じ三年の間では期待を寄せられている。もちろん自分も同じ意見だ。けれど気になることがある。
「人に干渉されるのが嫌ってわけでもねぇよな。俺に対する態度だけが違う」
 これはずっと気になっていたことだ。こいつがバスケ部に入部してからずっと。初めは自分が三年生だからだろうかと思ったがどうにも違うようだった。
「気のせいですよい」
 そう言って、相手は微笑んでみせる。実に人の好い気さくな笑顔。だが同時に違和感がある。そつのない笑顔というべきか、さきほどの驚いた顔と釣り合わない笑い方が気に食わなかった。俺の話を受け流す話し方とも似ている。
「嘘だ。違う」
 きっぱりと言った。はぐらかされるのはごめんだ。これから先、試合でもこいつとは絡むことが多くなるだろう。同じチームにいる以上、コミュニケーションは大切にしたかった。
「なんで俺の目を見ない」
「別に……居心地が悪かっただけですよい。そこまで睨まれたらそうなりますよい」
「本当に?」
 睨んだように見えたというのならそれは俺が改善するべき点であり、謝らなければならない。でもここは謝るべきではないと思った。それは根本的な解決にならない。
「なあ、マルコ。俺は怒っているわけじゃない。ただ知りたいんだ」
 目を見て訴えかける。居心地悪そうな目はまたも視線をそらしたがやがて観念したように正面から向き合う。
「その、似てるんですよい……」
 か細く声が呟いた。耳を澄ませていなければ聞こえなかったに違いない。
「似てる?」
 聞こえた言葉を繰り返す。目の前のマルコは背をかがめ、その目はいまにも泣き出しそうだ。震える唇が喉を詰まらせながらゆっくりと語り出す。
「サッ……先輩が似てるんですよい、俺の昔大事だった人に……」
 告白された言葉に耳を疑う。過去形で語ったその言葉は紛れもない本当のことだろう。この場合の過去形で考えられることは二つ。一つは今は大事では無くなった。もう一つは大事な人が今はもういないかだ。
 俯いてしまったマルコを前にして、それが二つのうちどちらであるかは明白だった。そしてどうしていなくなったのかその理由も想像はつく。
「……昔ってことは今はいないのか」
 確認するように問いかけた。けれど答えが欲しいわけではない。
「なるほどな。でも俺はそいつとは違うぞ」
 どこか遠くを見つめている虚ろな目。その目を覚ましたい。力強く声をかけたがその目はまだ俺を見ない。
「お前は似ている俺を否定したいのか? それとも同じに扱ってしまいそうで怖い? 両方か?」
 本当はこんなこと聞くべきじゃないのかもしれない。でも止まらなかった。
「お前の話を聞いてわかったよ。本当に大切なやつだったんだな」
 マルコの事情を知って、その気持ちを考えると胸が痛い。でもマルコの方がずっと痛いはずだ。
「否定はさ、つらいけど。もし同じに見てしまって悪いと思っているなら気にしなくてもいい。そいつと同じように扱ってくれても構わない。お前さえ、よければだけど……」
 自分がどうにかできる問題ではないのだろう。でもこのままでもいられない。強引だったかもしれないがマルコは話してくれた。自分もそれに応えたい。
 マルコと仲良くなりたかった。



「よお、マルコ!」
「……サッチ先輩」
 駅のホームでマルコを見つけ、声をかける。待ち合わせをしているわけではないが最近ではこれが日課になっていた。もちろん俺が勝手にしていることだ。以前より朝の電車を一本早め、帰りの電車は一本遅らせるようにした。マルコの登下校時間に合わせるためだ。
「先輩、その……あまり気にしないでくださいよい」
 電車の時間を変えてから一週間経ったその日、マルコが言った。
「なんのことだ?」
 何を言わんとする言葉かすぐにわかったがあえてわからない振りをする。そうしているうちに電車が来た。開いた扉に乗り込むと続いてマルコもやってきて、向き合う形で立つことになった。
 電車は相変わらずの混み具合だった。人の迷惑にならない程度の声でいつものように話しかけるとマルコも相槌を打ちながら言葉を返してくる。依然としてぎこちない感じはあるがそれでも前よりは打ち解けてくれている気がする。
「あ」
 目に入ったのは偶然だった。不意にそらした視線の先に手を繋ぐ男性の姿が見えた。それも二人。男同士で恋人のように指を組んで手を繋いでいる。
「男同士で……」
 目の前で言葉が聞こえ、視線を戻すと驚いたようなマルコの顔が見えた。周りを見れば同じような反応をしている人たちが多くいる。
「おかしいと思うか?」
 言った言葉にマルコはとても驚いたようだった。
「……先輩はああいうの気持ち悪くないんですかよい?」
「お前は気持ち悪いのか?」
 問いかけに対し、マルコはゆっくりと首を振った。そのことに少し安堵する。マルコが差別的な人間ではなくてよかった。
「俺もだよ。互いに好きならそれでいいじゃねぇか。女でも男でも」
 これは本心だった。珍しいには違いないから思わず声が出たが、特に否定する気持ちはない。同性を好きになるのはおかしいだとか異常だとか言うやつらはいるが好きなんて気持ちは形で縛られるものではないと思う。誰も理屈で恋をするわけじゃない。女でも男でも魅力的だと思う相手に人は惚れるものだ。
 マルコには好きな人とかいるのだろうか。
 もしいるとしたらどんな相手だろうか。
 マルコの想い人を想像してみようとしたがさっぱり思いつかなくてやめた。いつか聞いてみようか。
『まもなく〇〇に到着します。お降りの方は……』
 車内にアナウンスが流れて電車が止まる。今日の会話もここまでだ。少し寂しく感じている自分に気づいた。でもまた明日がある。
 明日は何を話そうか。



〈あっ、死ぬ――〉 
 思った時には終わっていた。痛くはなかった。でも何も感じない。体が動かなかった。霞んだ視界の先は真っ赤に濡れていて、微かに人の声がする。けれど何を言っているのかはわからない。車が自分に向ってきていたことを思い出す。
〈ああ、死ぬのか――〉
 漠然と思う。自分のことなのに他人ごとのようだ。
 天国って本当にあるんだろうか。ばあちゃんとかが迎えに来てくれるんだろうか。母さんや父さんにももう会えない。二人とも泣くんだろうな。一瞬にして今までの記憶が、自分が生きてきた人生の場面が雪崩れ込む。自分のこと、家族のこと、友達のこと、知っている人たち、見てきた物や感じたこと――。すでに真っ暗なはずの視界に思い出がありありと駆け巡る。
〈マルコはどうしているだろう〉
 雪崩れ込む記憶の中、マルコのことが気にかかった。話をするはずだったのに。【明日】なんてなかった。痛みを感じることのない胸がぎゅっと締めつけられる。
 マルコも泣いてくれるだろうか。俺が泣かせてしまうのか。
 マルコの大事だった人と同じように自分までマルコの前から消えてしまうのか。
〈死にたくない〉
 こんなところで死にたくはなかった。悲しませたくはなかった。
 でも体が動かない。動いてくれない。何も見えない。感じない。そもそも自分はまだ生きているのだろうか。
〈生きて欲しい〉
 自分が死ぬのが運命なら、マルコは、マルコには生きて欲しい。
 自分が死ぬことでマルコはまた傷つくだろう。下手をしたら以前よりもずっと深く。でもそれで終わっては欲しくない。
 あいつには笑っていて欲しい。
 マルコの事情を聞いてから過ごした一週間。まだぎこちなさはあったけれどそれでも近づけた気がした。
 傷は癒える。
 もちろん癒すための努力も必要だけれど。たとえ俺の出来事がマルコの傷になったとしても癒えてくれることを願う。マルコを支えてくれる誰かが出来ることを願う。
〈ああ、でもそれはちょっと悔しいかもしれない――〉
 まだ居もしない相手に対して何を考えているのだろう。どうしてこんなにもあいつのことが気にかかるのだろう。まだ生きているのか死んでしまったのかわからない意識の奥で何かがちらつく。
 ゆらゆらと揺れる霧……いや、あれは白い船だろうか。すごく懐かしい感じがする。船に乗っているのは誰だろうか。ゆらゆらと揺れる船に合わせるかのように意識が揺れて掠れて消えていく。
 とても穏やかな気持ちだった。

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