前世

「わああああ!」
 慌てたでかい叫び声と同時に肩に当たる強い衝撃。あまりの勢いによろめいて、気がついたら手に持っていたカバンの中身がほとんど地面に落ちていた。
「す、すみません!」
 直立で両手を側面にビシッと揃え、頭をこれでもかと下げた勢いのある礼をしてみせたのはまだ若い高校生くらいの男の子だった。
「あ〜、いや俺もよそ見していたし。大丈夫か?」
「全然平気! いや、本当にすみません! そっちの方こそ怪我とか……って、ああああッ、荷物が! 俺、拾います!」
 そう言うやいなや四つん這いになってサッチが落としたカバンの中身を拾いはじめる。ぶつかった時は驚いたがどうやら悪い子ではないらしい。
「本当にすみませんでした!」
 すべての物を拾い上げた後、三度目になる謝罪を受けた。
「いや、本当にいいって。こうして拾ってもくれたしな。あんまり気にするなよ」
 サッチの言葉にようやく相手はホッとした表情を見せた。くせっ毛のある黒髪にそばかすのある頬。運動でもやっているのか体格はがっちりしているが顔はまだ幼さを残している。若いなあと感じてしまう自分に苦笑してからサッチは拾ってもらった荷物の中から小さな袋包みを取り出した。
「よかったらこれやるよ」
「え、なにこれ?」
「サッチさん特製のマフィンだ!」
 花の飾りがついたそれは本当をいうとこれから会う友人に渡すつもりだったが、これも何かの縁だとあげることにした。要するに目の前のこの礼儀正しい奴をなんとなく気に入ってしまったのだ。
「マフィン! 俺、食い物は大好きだぜ。でもいいのか?」
 よほど嬉しかったのか敬語を忘れた口元は嬉しそうに緩んでいる。どうやら思った以上に可愛いやつのようだ。
「もちろん。でも歩くときにはもうちょい周りに気をつけろよ」
「おう! いや、はい! 気をつけます」
 元気の良い返事だ。慌てたような敬語に思わず笑いを噛みしめる。
「そんなにかしこまるなよ。俺はそういうの気にしないから」
「そうか? あ、俺はエース! よろしくな」
 思い出したように名前を言い、通りすがりのはずの相手に『よろしく』と手を差し出す。思わず目を丸くしたがすぐに笑って自らも手を差し出した。
「ああ、よろしく」
 きっとこの出会いは良いものに違いない。



『……お前は?』
 第一声はそんな言葉だった。その後のことはよく覚えている。忘れられるはずもない。
『ああ、俺は……』
 エースと仲の良い友達と急きょ会うことになったその日、あいつは駆け足で俺たちのところへ来た。自分の姿を見た途端、速度の落ちた足取りは相手をじっくり観察する時間をくれた。
 エースとは違う低い身長に細身の体。少し戸惑ったような目はそれでも賢さをうかがわせ、想像していたタイプとは少し違っていた。
 まずは自己紹介をしようと口を開いたがエースにさえぎられてしまった。あの野郎、お菓子をくれたらいいやつとか単純すぎるし、男のカッコよさを追求した上でのリーゼントを笑うし、可愛いやつではあるがもう少し物事を考えろ……って、いやこのことはいいんだ。いや、よくはないけれど。うん、よくはない。そうそう、確かあいつは泣いたんだ――。
『あんた大丈夫か?』
 声をかけた相手はさらに涙を盛り上がらせた。エースの言葉であいつの名前が【マルコ】だということを知った。けれど泣いている理由はわからなかった。
 緊張でもしたのか、疲れからなのか。いや、そんなものでは無い気がした。あの目はまるで俺の中に何かを、誰かを、見ているようで、もしかしたらすでに死んでしまった誰かの面影を思い出してしまったのかもしれない。そうでもなければ他人であるはずの自分を見ていきなりあんな風に泣いてしまうはずもない。
 だが、これも所詮は想像だ。あいつは何も教えてはくれなかった。そして自分も無理に聞く気はなかった。きっとそれはあいつにとって大事な、簡単に口にすることは出来ないものなのだろうから。
 でも少しだけ思うことがある。
「サッチ」
「ああ、マルコか」
 名前を呼ばれ、振り向くとマルコがいた。待ち合わせの時間きっかり。しっかりしたマルコらしい。
「隣いいだろい?」
「もちろん。なあ、今度の休みにまたどっか行こうぜ」
 あれから俺たちは親友と呼べるほどに仲良くなった。出会ってから半年足らず、しかも七つも年下の相手に親友とはおかしなものだが親友という表現が最もふさわしいように思えた。マルコの方もどうやらそう思ってくれているらしい。それがとても嬉しかった。
「マルコはどっちがいいと思う?」
「俺はこっちがいいよい」
 こんなに気が合って、お互いを理解し合える相手に出会えるなんて思わなかった。仲の良いやつはたくさんいるけれどもやっぱりこいつは特別だと感じる。あの時、感じたことはあながち間違いではないのかもしれない。
「マルコはすげえな」
「サッチこそその発想力は尊敬するよい」
 こいつといるとどうにも楽しくて仕方がない。まるでもっとずっと遠い昔からの仲であったかのように。
 少しだけ思うことがある。そう、初めて出会った時に感じたことだ。俺を見て泣いた、あの顔を見て感じた感情。
 それは懐かしさ。
 初めて会う相手に抱く感情じゃない。もしかしたら泣く姿に過去の誰かを思い出しかけたのかもしれない、あるいは自分が泣き虫だった頃を思い出してしまったのかもしれなかった。でも同時にそんなことで片づけていいものだろうかという戸惑いもあった。
 もしかして、もしかすると、自分たちには何かあるのではないのだろうかと――。
 そんなことを考えてふっと笑う。だとしたらどうだというのだろう。こんな不確かでおかしなこと、話しても仕方がない。
「今度の休みも楽しみにしてるな、マルコ」
 こいつが俺の親友であることになにも変わりはないのだから。



「マルコ、卒業おめでとう!」
 今日はめでたい卒業式。もちろん俺のではなくて、マルコの卒業式だ。ついでに言えばエースも。高校を訪ねるなんてもう何年振りだろうか。マルコとの年の差が七つだから七年ぶりか。通った学校とは違う場所なのになんだか懐かしくなる。
「ありがとよい」
「祝いならもっと派手なものがいいかなと思ったんだけどよ、そっちの方がお前らしいと思ってな」
 手渡した花束は花屋で作ってもらったものだった。花の名前は忘れたが淡い綺麗な青色の花で作ってもらった。こいつには青色が似合うと思ったからだ。
「嬉しいよい」
 花束を握りしめた相手は予想通り喜んでくれたようだ。
「卒業祝いに飯を奢ってやるよ。エースも呼んでさ。後でばれたら恨まれるしな」
「食べ物の恨みは怖いってやつかい」
「そういうこと」
 まだ一年足らずだけれどもきっとこいつとの仲はずっと続いていくのだろう。もちろんエースも。
 あと二年もすれば一緒に酒も飲めるようになる。先輩として大学のことや社会のことも教えてやりたい。マルコのことだから俺のアドバイスなんてなくても上手くやっていけるかもしれないが。
 エースはまだ来ないようだ。花束をじっと見るマルコに声をかける。めでたいこの日に伝えたいことだった。
「そういえばマルコ。お前に紹介したいやつがいるんだよ」
「誰だい?」
「今は秘密! でも俺の大事なやつ。エースにもいずれ教えるけど、まずはお前に知ってもらいたいんだ。今度の日曜は空いてるか?」
「ああ……」
 小さくマルコは頷いた。その返事に喜びをあらわにする。
 そう、まずはお前に知ってもらいたい。思いがけない俺の幸せを。誰よりも一番に紹介したかった。



「これはベイ。俺の愛しのハニーだぜ!」
「やだ、サッチったら!」
 最近になって彼女が出来た。とはいっても、付き合い自体は大学の頃から続いているからもう五年以上になる。同じ大学の学科を卒業した友人であり、なんと会社の同期でもある。あやふやな関係がずっと続いていたが、先日とうとう恋人という関係にたどり着いた。
 マルコは驚いたようで目を丸くしている。それはそうだろう。俺に彼女が出来るなんて思ってもみなかったに違いない。けれどそれは自分も同じだ。いくら彼女が俺に好意を持っているように見えても勘違いかもしれないと思っていたし、このまま気の良い友達で終わってしまうんだろうと思っていた。
 彼女から告白されるまでは。
 女の子の方から大事な言葉を言わせてしまうなんて男としてあれだが、まさか本気で彼女が俺に想いを寄せてくれていたなんて気がつかなかったのだ。
 でも俺も彼女のことが好きだった。まあ、これも告白されてようやく気づいたことだけれど。
「はじめまして。サッチからあなたのことはよく聞いてるわ。私とも仲良くしてね」
「ああ、よろしく……」
 握手して笑い合う二人を見つめる。大切な二人にお互いを紹介するのはなんだか照れくさかった。
 仲良くして欲しかった。どちらも俺の大切な人だから。
 けれどそんな思いと裏腹に大学に入ってからのマルコとの交友はめっきり減ってしまった。



「マルコも結婚すればいいのに」
 つい口から言葉が出た。嫌味ではなく単純に疑問だったのだ。俺よりもずっとモテそうなマルコが社会人になってもずっと彼女も作らない。
「結婚はいいぞ。こうして子育てする楽しみもあるしな」
 そう言って、腕の中にいる愛する娘を抱きしめる。ベイと家族になってから五年。ありがたいことに子供にも二人恵まれた。
「まーちゃん、よしよし」
「いい子だなー、レイナは。マルコが元気ないからよしよししてあげてるのか。……大丈夫なのか、マルコ?」
「ああ、別に大したことないよい。レイナ、ありがとよい」
「えへへ」
 レイナに礼を言うその顔は優しい。遊びに来たときも嫌な顔をせずに子供の相手をしてくれる。子供が嫌いなわけではないようだし、むしろ子供好きなんじゃないかと思う。それなのに恋人を作ることには消極的だ。
 なにかトラウマでもあるのだろうか。無理強いはしたくないので突っ込んだことを聞いたことはない。けれど心の中ではずっと気になっていた。
「なんか悩んでんなら遠慮なく言えよ? なんでも協力してやるから!」
 その苦笑いのような顔はどういう意味なのだろうか。聞きたいのに聞けない雰囲気。以前からそういうことはあった。親友の自分にも言えないその心内は一体何を思っているのだろうか。
 もどかしい。そんな思いを振り払う。
「そうだ。なんなら俺がいい子を見繕ってやろうか? あ、これだと言い方が悪いな。紹介してやるよ。好みとかないのか?」
「いや、いいんだよい。今は仕事も忙しいしねい」
「だからだろ。癒してくれる相手がいるってのはいいもんだぜ」
 マルコは何事も頑張りすぎる傾向がある。まじめで頼りになるその性格は素晴らしいけれど、そんなマルコを支えてやれる相手がもっと身近にいてくれたらと思う。
 結婚して自分も前ほどマルコとつるむことが出来なくなった。いや、マルコが大学に入った頃から付き合いはぐっと減っていた。もしかすると大学に入ったからというよりは俺がベイと付き合いはじめたからかもしれない。そう思うようになったのは最近だ。マルコなりに俺たちに気を使っていたのかもしれない。でもそうだとするとそれは悲しい。俺はもっとお前と遊びたかった。話したかった。もっと一緒に過ごしたかった――。
「まあ、気が向いたら言えよ。ベイにも頼んでいい子探してやるから」
「ありがとよい」
 マルコに恋人が出来れば会える時間はもっと減るのだろうか。
 そんなことを考えてから慌ててその考えを振り払う。マルコに大切な人が出来ることは良いことのはずなのにまるでそれを望んでいないかのような自分の考えに驚いた。
 会える時間は少なくなるかもしれない。けれど今だってずっとマルコは俺の親友だ。時間は減っても気持ちは変わらない。
 それにマルコも家族を持てばまた新しい繋がりも生まれるだろう。マルコとの子供自慢なんかとても面白そうだ。
「愛せるやつが早く見つかるといいな」
 だから願おう。
 マルコを幸せにしてくれる誰かが現れてくれることを。
 生涯をともにしてその存在を支えてくれる相手が出来ることを。
 俺は誰よりもお前の幸せを願っている。

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