懇願

 音が消えていく。荒れ狂う風の音、降り続ける雨音、視界に入る男の声、そして自らの命の音――。
 雨に塗れた体は同じく血に塗れていた。他の誰でもない自分の血で。真っ白な服はいまや赤黒くその色を変えていた。
 立ち上がろうと試した腕は動かず、それどころか感覚すらない。わかるのは空の表情とわずかに残る雨音だけ。仰ぐ空はようやく大泣きを止めたらしい。それでもまださめざめと泣き続けている。空が泣き止む頃には気づいてもらえるだろうか。
 一緒にいたはずの男の姿はもうなかった。気配すらも感じない。すでにこの船を離れたということか。理解したくもない理想を語っていた。あいつは本当に俺たちを、家族を――捨てやがった。
 俺が止めるべきだったのに。
 何もできなかった自分が悔しい。けれど後悔をしても意味がない。その意味がないことを俺はもう悟っている。この体はもう泣き虫な空をただぼんやりと見つめることしかできない。
 この船に乗ってから色んなことがあった。むろん船に乗る前にも様々なことがあったがそれらは実に遠い。いまよみがえる記憶はこの船に乗って、旅をして、手に入れた経験や想い出ばかりだ。
 そう、これは走馬灯だ。おそらくは一瞬であろうこの時に色んな記憶が駆け抜けていく。オヤジに出会った日のこと、この船に初めて乗った日のこと、新しい家族を得て、喧嘩して、仲良くなって、辛いことも楽しいこともたくさん分かち合ったこと。そして、家族の中で誰よりも愛し合える相手と巡り合えたこと――。
 動かないはずの唇でそれでも微笑んだ。
 オヤジと出会って、この船に乗って、みんなと家族になれて、俺は本当に幸せだった。あいつと出会えたこともこの上ない幸福だ。
 その幸せがここで終わりというのはとてもつらいことだけど。
 あいつは泣くだろうか。きっと泣く。怒りもするだろう。
 でも敵なんてどうでもいい。これは俺の不始末だから。でもオヤジや家族を裏切ったヤツは許せない。許さないで欲しい。それでも俺のために他の家族が同じ道をたどることも嫌だ。
 生きて欲しい。
 たとえ俺がいなくなっても家族と一緒に強く、生を全う欲しい。どうせいつか人は死ぬんだ。会えるまで俺はずっと待とう。だから俺の大好きな、俺の愛する自分を大切にして欲しい。
『俺が先に死んだら必ずお前のこと迎えに行くから』
 十年も前の大きな戦闘の後、そう冗談混じりに話したのをあいつは覚えているだろうか。俺は覚えている。忘れない。
 ここで死んでも絶対にまたお前に会いに行く。
 だからそれまでしっかりと生きてくれよな。
 視界はすでに真っ暗で、雨がまだ降り続けているのか、止んでいるのかもわからない。聞こえる音ももう自らの心音だけ。それももう終わる。どうかこの先の人生も幸せに。
 また会う日まで――。

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