修復

 青い海と空の美しい港町。古い建物は多いが歴史ある建築物はそれだけで味がある。新しい人生を始めるのにこんなにふさわしいところはないだろう。道行く人々も気の良いひとたちばかりでこれからの生活に胸を躍らせる。
 俺はこの街で幼い頃からの夢であったケーキのお店を開くのだ。
 坂を上がった展望台から街を見下ろす。本当にここは良い街だ。
 働き始めてからコツコツと資金と知識をためてきた。良い土地と食材のある場所を探し、色んな人たちに助言を求め、ようやくここまでたどり着いた。念願の夢が叶うのだ。
 胸いっぱいに息を吸うと鼻の奥にツンとした潮の匂いを感じる。ここまで潮の匂いが届くのか。ほのかに口元が緩む。
 海は好きだ。気持ちが楽しくなる。店の場所も海に面したところにした。住む家は海から少し遠いが高いところにあり、海を見下ろすことが出来る。
「よし、行くか」
 これからやるべきことはたくさんある。頑張らなければ。
 もう一度海を見つめ、大きく息を吸い、歩き出す。
 今日から俺はこの街で生きていく。



「いらっしゃいませ!」
 店を始めて三ヶ月。驚くほどに店は好調だった。材料や作り方にこだわり、値段も抑えているために採算性は低いが個人でやっている店なので問題というほどでもない。雇っているバイトの子たちも一生懸命働いてくれている。このまま順調にいけば店のための資材や機械も買えるようになり、売り上げもさらに伸ばせるだろう。
「また来てますね」
 ウエイトレスの女の子の声に、作業の手を止めて顔を上げる。ここの厨房は店内からも中の様子が見られるようになっている。どんな風にケーキが作られているのかちゃんとお客さんに見てもらいたいからだ。そして当然のことながら厨房の方から店の様子を見渡すことも出来る。
 テラス席の方に目的の人物は見えた。水も飲まずにじっとメニュー表を見ている。首を傾けたり、唇を尖らせたり、目を閉じたり。忙しなくその表情が変わる。何を注文するのか一生懸命考えているのだろう。思わず笑ってしまった。
 新しい家の隣の住人は甘いものが好物だった。初日のあいさつで持っていったケーキが相当気に入ったらしく、毎日のように店に訪れては今日のように店でケーキを食べたり、家へ持ち帰りをしている。
 近所付き合いのうえでもとても良くしてくれていた。周りの住人との仲を持ってくれたり、この街の決まりや穴場の場所を教えてくれたりとなんとも得難い隣人である。というか、すでに友人であり、親友の域だ。
 こんな出会いがあるとは思わなかった。
「注文入りました」
 その言葉とともにつらつらとメニューがあげられていく。相変わらずよく食べるやつだ。でも自分のケーキを気に入ってくれているのは嬉しい。
 さて、今の注文でマンゴーのタルトが残り5つになってしまった。新しいものを作らなければ。今日の売れ行きも好調なようで何よりだ。そろそろ新作のケーキを考えてもいいかもしれない。
 マンゴーのタルトの制作に取りかかりながら、またテラスの方を見る。ちょうどマルコがタルトを食べているところだった。
 本当に幸せそうに食べるよなあ。
 自分のケーキを前にしたマルコの目はいつも輝いていて、ケーキを頬張るとその目は穏やかに笑う。自分が作ったもので誰かを幸せにする。作り手としてこんな嬉しいことはなかった。
「店長さん、それはタルトかしら?」
「ええ。マンゴーのタルトの追加分です」
「いつ見ても惚れ惚れする手際ね」
「ハハッ、ありがとうございます」
 やはり開放的な作りにしてよかった。見られているという緊張感はまだ少しあるが、ケーキ作りに興味を持ってもらえたら嬉しい。
 しばらく作業に没頭し、ふっと視線を上げるとマルコがこちらを見ていた。驚いた様子の相手に軽く手を振ってみせる。すると相手も振り返してくれた。嬉しくてにこりと笑う。
「楽しそうねえ」
 急な笑顔に勘違いしたのか、お客にそう言われる。間違いではないので曖昧に笑っておいた。
 マルコも遠慮しないでもっと声をかけにくればいいのに。これだけの常連だ。バイトの子たちもみんなマルコの顔を覚えてしまっている。礼儀を重んじるのもいいいが、声くらいかけて欲しい。
 そうだ。帰る時にこっそりおまけのお菓子を渡してやろう。せっかくこんなに甲斐甲斐しく来てくれているのだ。何かお礼がしたい。きっと喜んでくれるだろう。



 いつも通りの日曜日の朝。朝の仕込みを行うために今日も早くに家を出る。他の店に勤めていた時も朝は早かったので特に苦ではない。むしろ休みの日まで早くに起きてしまう始末だ。
 静かな朝の街を歩いて職場まで向かう。するといつもにはない光景を見た。
「なんだ、マルコじゃないか」
 声をかけると相手は驚いたのか肩を揺らした。
「おはよう」
 どうしたのかわからないがとりあえずあいさつを述べる。けれど振り返ったマルコは何も返してこない。
「……サッチ」
「どうした? なんか変な顔してんぞ」
 ようやく口を開いたマルコは奇妙な顔をしたまま、俺の名前を呼んだ。
「は、話があるんだよい」
「なに?」
 どうしてこんなに緊張しているのだろう。声が震えている。
「あの、そのっ、えっと……」
「大丈夫か? 何が言いたいのか知らねぇけどまずは落ち着けって。そうだ、店の中に入ろうぜ。座って話そう」
 尋常じゃない様子にとりあえず店の中へ入ることを提案した。何があったのかは知らないが座った方が落ち着いて話せるに違いない。そう思い、店の扉を開けたがその途端、大きな声が響いた。
「ま、待ってくれよい!」
 その叫びに足が止まる。縋るような声だった。
「どうしたんだよ、マルコ」
 尋ねてもマルコは答えない。開閉を繰り返す口は魚のようにパクパクと動くだけ。これは大丈夫じゃなさそうだ。やはり店の中に入って落ち着かせよう。そう思い、再び店の中に入ろうとした時だ。体をわし掴まれた。
「お、俺、お前が好きなんだよい!」
 傍の植え込みでさえずっていた鳥が、驚いて飛び立つほどの声だった。大きな声に自分もまた驚いた。だが、その言葉の内容ほどではない。自分はいま告白されたのか。
 予想もしなかった出来事に固まってしまう。大声の後の沈黙はやけに静かだ。目の前にいるマルコをじっと見る。その真意を知りたかったからだ。けれど対峙するその顔は不安そうな表情をしながらも目は真っ直ぐに自分のことを見ていた。
 冗談でないことはマルコの性格からも、告白する前の態度からも、告白の声からも、十分にわかっていた。そして告白した上でのマルコの決意もわかった。たとえどんな答えを返そうとマルコはそれをしっかりと受け止めようとしている。
 ならば自分もそれに応えなければならない。
 あいまいな答えではダメだ。返事を先延ばしにしてもいけない。覚悟を決めたマルコにはこの場ではっきりと告げてやらなければならない。そのうえで考える。自分はどうしたいのか。いや、自分はどうなりたいのか……。
 この街に来てからのマルコとの日々を思い出して考える。色んな思い出が駆け巡った。考える間もマルコも熱い視線が降り注ぐ。
――答えは見つかった。
 ならば応えなければ。
「マルコ……」
 ゆっくりと相手の名前を呼ぶ。その想いに応えるために。
「俺――」

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