ミルクとライ麦パンと角砂糖

パラパラとめくるページに現れるのは色鮮やかで美しい花の絵とそして妖精の姿。
部屋にはまるで本の中から溢れた様な野の花の優しげな香りがいつだって取り巻いていた。
窓辺や机の上に飾られる花は外で母親と一緒に摘んだものが多かった。
自分を隣に抱き寄せて本のページをめくるのは母親。
時折頬をくすぐる自分と同じ金色の髪は不思議と嫌じゃなかった。
柔らかな温かみのある声がゆっくりとその物語を読み上げる。
語られる物語はいくつもあり、その中にはたくさんの妖精たちが登場していた。
ダンスと歌が大好きで陽気なフェアリー、勤勉で宝物を作り出すのに長けたドワーフに、泣いてばかりの可哀想なバンシー、悪戯好きで人を困らせてばかりのピクシー、そして親切で働き者のブラウニー。
家にはそんな妖精たちを描いた本がたくさんあって、マルコはどの本も大好きだった。
温もりのある母親の声によって夜ごと語られるその物語は心の中に響き渡り、気が付けばマルコは魅惑的な妖精たちの虜になっていた。
そしてそれは今でも変わらない事実。



雲一つない、澄んだ真っ黒な夜空。
その中で瞬く星はその存在を誰かに知って欲しいと鳴いているように見える。
仄かに青みを帯びた白い月明かりが窓に注ぐ。
この静かな環境と美しい月の光が欲しくて不便はあれども街の中心から少し外れた場所にあるこのマンションに住むことを決めた。
7階もあるマンションの一番上の部屋に決めたのは細やかながらも空に近づくことを求めたからだった。
マンションの傍には緑地公園があり、少し歩けば海もある。
妖精は自然の多い場所を好む。
だからこそここが気に入っていた。
手にした丸い透明なガラス皿に冷蔵庫から取り出した真っ白なミルクを注ぐ。
傍らには小さく切ったライ麦パンと角砂糖。
それをミルクの皿とは一回りほど小さい皿に乗せる。
ガラス皿に装飾は一切ない。
模様も色もなくて見た目にはつまらない物だろう。
けれどマルコはこれがよかった。
読みふける物語の中で登場する皿はこんな風になんの変哲のないものが多かったから。
ミルクとパンと角砂糖。
それを窓辺へと持っていく。
そこには同じような丸いガラス皿があり、中にはやはりミルクと角砂糖があった。
パンだけは違い、そこにあったのは小さなラズベリー。
それは時に他の木の実であったり、ケーキの欠片であったりもする。
時には蜂蜜を添えることもある。
今日も誰かが触れた形跡はない。
だがもしかしたら自分にはわからないほどの食事をしているのかもしれない。
前の夜に同じように置いていた食べ物と今用意した物とを入れ替える。
降り注ぐ月の光に照らされる透明なガラス皿に入った真っ白なミルク、焼き色の綺麗なライ麦パン、きらきらと微かに光る角砂糖。
なぜマルコがこんなことをするか。
それにはきちんとした理由があった。
今、並べたものはどれも妖精が好むとされている代物ばかり。
それは家に住みついていたり、または通りかかる妖精がいたらこれを食べて欲しいというマルコなりの気遣いだった。
これに惹きつけられて妖精が遊びに来ればいいという想いもあった。
妖精は綺麗な場所が好きであるからマルコの部屋も男の部屋でありながらそれは清潔に保たれていた。
磨かれた床にはほこり一つない。
マルコの部屋には昔暮らしていた我が家の様に野の花も飾られている。
備え付けれられた本棚には妖精に関する書籍もたくさんある。
花の絵を好んで描くのもこの幼い時からの習慣が現れたようなものだ。
けれどマルコがまだ小さく小学生だった頃に、この事実を友達に告げたらおかしなやつだと笑われた。
マルコにしてみれば楽しいおまじないのような習慣を教えてあげたつもりだった。
でもそれは同級生の者たちには伝わらなかった。
しばらくの間話のネタにされて後ろ指を指されたこともあった。
だからマルコは人に妖精を信じていることを隠している。
隠すと言ってもわざわざ告げることでもないからただ言わないだけであるが。
けれどマルコは今でも確かに妖精の存在を信じていた。
見たことがないからといってどうしてそれがいないという証明になるのだろう。
魔法は科学と違って証明が出来ないと言われるがマルコにしたら数字と机上理論で組み立てられた科学も同じように不確かなものだった。
並べた透明な皿の上にこれまた透明の蓋を被せる。
その素材はガラスよりも軽いプラスチック。
これを被せるのには理由があった。
本当はそのままにしていた方が妖精も食べやすいに違いない。
けれどそう、あれは暑い夏の日のことだった。
母親と共に暮らしていた幼い時も同じように妖精への食べ物を用意していたマルコ。
朝起きて妖精は現れただろうかとわくわくしながら窓辺へと駆け寄った。
食べ物は確かに減っていた。
けれどもそれはマルコの大好きな妖精の仕業ではなかった。
マルコが見たのは真っ黒な筋となり、用意された食べ物を持ち出す蟻たちの姿。
その光景を見た途端、マルコは大泣きした。
用意していた大事な食べ物が蟻に食い荒らされていたのだから幼い子供にとっては衝撃だったのだろう。
母親が抱いて慰めてくれたが正直、マルコは今でも蟻が嫌いだった。
余談だが蟻が手をつけていなかったミルクも暑さのせいでわずかだが変な匂いを漂わせていた。
それからというものマルコは母親の提案によって食べ物を用意した皿の上に蓋として透明のカバーを被せている。
こうすれば蟻は寄ってこられない。
邪魔だとは思うが妖精ならばなんとか蓋も外せるに違いない。
ミルクが腐らない様に保冷剤も夏場には置くようになった。
全ては大好きな妖精のため。
何があっても毎日欠かさず行っているマルコの習慣の一つだ。
いつの間にか重くなった瞼を手の甲で擦り上げる。
明日は1限からの講義だからそろそろ寝た方がいいのかもしれない。
コチコチと針を進める時計はいつの間にか日付を超えていた。
ベッドへと潜り込み、目覚ましを掛けて目を閉じる。
そうして脳裏に浮かぶのはあの“ブラウニー”の姿。
実際見たことはないからマルコはその正しい姿を知らない。
勝手に脳裏に浮かべているのは物語に出てくるように小さくて茶色の巻き毛に覆われた男の姿だ。
服装は簡素な色褪せた茶色のフード。
ブラウニーは新しい洋服を手に入れるとその家から消えてしまうのでマルコはその点についても気を付けていた。
着替えても脱いだ服はそのままにはせず、すぐに片付けている。
今日もパジャマに着替えると脱いだ服は早々に洗濯機の中に放り込んで蓋をした。
自分よりもはるかに小さな妖精の小人が頑張って自分のために働いてくれている。
皿に入れた食べ物が減ったようには未だ見えないがブラウニーの存在をマルコは感じていた。
今日だって仕込み途中であったはずのお鍋がいつの間にか上手に味付けされていた。
いつもとは違う西洋風の料理だったから味付けには自信がなく、途中してみた味見でもその味はあまり美味しくなかったから後でネットの方で詳しく調べようとしていたところだったのだが手間が省けた。
温めたお鍋の中の料理はいつもは小食気味なマルコがおかわりするほどに美味しかった。
だからこそ今日のミルクはいつもより高めの物を注いである。
妖精がそれに気づいてくれるかはわからないが。
妖精は生活の中で細やかな気遣いを見せてくれる。
穏やかな幸せの心地に包まれながらマルコはそっと瞳を閉じた。
やがて部屋の中に静かな寝息がたち始める。
開け放たれたカーテンの傍でミルクとライ麦パンと角砂糖がやんわりとした月の光を受けていた。

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