じんじんぐちゃぐちゃ渦巻いて

『なあ、妖精って信じるかい?』

いつものようにマルコがサッチの働く店に訪れ、ケーキを買って帰るところだった。
突然の言葉にサッチは思わず固まった。
注文された品のアップルパイを手に、マルコを見るその顔は明らかな戸惑いを示している。
その顔を見てマルコの表情が一気に暗くなった。
「ああ、ごめん!妖精か……そうだな、いたら楽しいかなとは思うけど」
慌てて笑顔を作ったがマルコの心には響かなかったようだ。
指先が震える。とんでもないことをしてしまったとサッチは焦るがマルコはそんなサッチの手から注文したアップルパイの箱を取り上げた。
「貰うねい」
マルコが箱を手にした瞬間、店長がサッチの名前を呼んだ。
店長の声にサッチは反射的に後ろを振り向いたがそれがよくなかった。
たった一瞬のことだったのにマルコの姿はすでになく、サッチは一人取り残されていた。
品は渡した。代金も受け取っている。お店としてはなんら問題はない。
そう、“お店としては”だ。
なんてことをしてしまったんだろう。
悲しそうなマルコの表情が頭から離れない。けれどそんな顔も可愛かった。
傷つけたのは自分なのに、マルコが好きなくせに、そんなことを考えてしまう自分自身が酷く最低なやつに思えた。

マルコが妖精を好きだってことは知っていたのに。

マルコの部屋の窓辺に置かれたミルクやお菓子の謎を解き明かすためにサッチはネットや図書館で調べ物をしたことがある。
最初はマルコの食べ残しかとも思っていたがいつ来ても同じ場所にあるそれが気になって、いろいろと調べて回ったのだ。
妖精が好きで毎日おまじないを行っているマルコはなんて可愛いのだろうと思った。
けれど、こんな唐突に妖精について尋ねられることがあるとは思っていなかった。
いいや、これじゃただの言い訳だ。
まさかマルコが本当に妖精の存在を信じているとまではサッチも想像していなかったのだ。
ああ、でも本当に信じているなんて、なんて可愛いんだろう。
だけど、その可愛いマルコはサッチの反応を見て、きっと深く傷ついた。
もしや公園の時のようにまた泣いてやしないだろうか。
そう思うと一層胸が痛くなる。
心あらずの状態で店の仕事をこなしながら思い出すのは泣いているマルコを見つけた時のことだった。
大粒の涙をぽろぽろと零すマルコの姿は痛々しく、そして愛おしかった。
気がついたら抱きしめていて、焦るサッチにマルコは優しい声をかけてくれた。
紳士の嗜みとしてハンカチを渡したけれども、どうせならその零れ落ちる涙を全部舐めて吸い取ってしまいたかった。地面に奪われるなんてもったいない。
ああ、でも抱きしめた時のあのマルコの匂いはたまらなかった。
その場で下半身の興奮を爆発させてしまわなかったのを褒めてもらいたいくらいだ。
返してもらったハンカチともらったお菓子は今でも机の上に飾っている。
お菓子は食べてしまわなければいけないとわかっているが食べてなくなってしまうことがどうしても耐えられない。
ハンカチに染み込んだマルコの家の洗剤の匂いが日々薄くなっていくのが辛かった。
辛いといえば、ああ、どうしてあの時すぐに反応を返してしまわなかったんだろう。
マルコに暗い顔をさせてしまったことがよみがえり、サッチはぐっと唇を噛んだ。

マルコに嫌われてしまったら生きていけない。

あのマルコの涙を見た日からサッチとマルコとの距離はぐっと近くなっていた。
ケーキを買いに来るついでに話をするだけの関係であることは変わらない。
それでもなんというか、こう、マルコの微笑んでくれる回数や開く口の回数が本当にずっと、もっと、多くなったのだ。
これはもうマルコも自分のことが好きになっているに違いない。
目が焼けて潰れてしまいそうなほどのまぶしい笑顔と楽園へと誘ってくれそうな夢心地の声をたっぷり浴びて、日々が喜びに満ちていて、もうこれは結婚秒読みじゃないかとサッチは考えていた。
それなのにどうしてしまったんだろう。
わかるのはマルコにあんな顔をさせてしまったのは紛れもないサッチ自身であるということだけだ。
胸の中がじんじんと痛い。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
マルコにあんな表情をさせてしまったことがサッチは何より悲しかった。
謝りたい。
出来ればいますぐにでも追いかけて謝りたい。だが、同時に恐ろしくもあった。
マルコは黙って行ってしまったから。
もちろん品を受け取ったからただ帰ったということも考えられる。
けれど、人の好いマルコが目を離した隙に黙って帰るなんて本来ならあり得ないのだ。
それがわかるからこそ、サッチは苦しんでいた。
やはり自分は嫌われたのだろうか。
嫌われたならマルコのために自分は死んだ方がいいんだろうか。
死ぬときはマルコに看取られて死にたいと思っていたけれど、自分を嫌いになったマルコは自分の姿を見ることすら苦痛なんじゃなかろうか。
嫌いになったならいっそマルコの手で殺されたい。
でもマルコの手を汚してしまうなんて嫌だ。それにマルコはそんなこと出来る人じゃない。
そもそも本当に嫌われてしまったのだろうか。
違うと思いたい。そうであって欲しい。
でも頭にこびりついた悲しそうな顔がそれを否定する。
だけどはっきりと言葉にされたわけでもない。
堂々巡りが続いていく。
全部サッチの気のせいで今度マルコがケーキを買いに来たときはいつも通りかもしれない。
けれど今度会う時、マルコの表情がさっきと同じだったらどうしよう。
言葉をかけても無視されたらどうしよう。
マルコはそんなことしない。
だけど、どうしようもなく不安だった。
きらきらと輝いているマルコとの思い出までも包み隠すように暗くなったマルコの表情がサッチの頭の中を埋め尽くしていく。
仕事が終わり、サッチの足はいつものようにマルコの住むアパートへと向かっていた。
だが歩き始めたその足取りはやがてだんだんと重くなり、ついには足を止めてしまう。
空を見上げた目が地面へと移り、そして後ろを振り返った。

こんな気持ちは初めてだ。

振り返った体が再び元に戻ることはなかった。
重い足取りのまま、その足は来た道を引き返す。
サッチが密かにマルコのことを見守り続けてから実に初めてのことだった。

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