隠れ妖精の失態

「ただいま〜」
居るはずもない人に向けての、未来の予行演習。
合い鍵を使い、マルコの部屋に侵入したサッチは一人しきりに頷いていた。
そうだ。やはりここに訪れる時に言う言葉は『ただいま』であるべきなのだ。
いままでずっと『お邪魔します』と言っていたがそれはおかしい。
今は離れ離れでもサッチはいつかマルコと共に暮らすんだから、そのマルコが暮らす部屋に入るのならばただいまが正しいはずだ。
すでに行ってきますと言って部屋を後にしているのにも関わらず、このことに気が付かなかった自分はなんて馬鹿なのだろう。
でもそれも今日で終わり。
マルコとの関係もこれで一歩前進ってところだな!
実際のところ何も進歩しちゃいないのだがサッチは至極満足そうであった。
静かな部屋の中。それでもいつものようにマルコの匂いでいっぱいだ。
きっとサッチの嗅覚には届いているのだろう部屋に染みついたマルコの残り香を堪能するサッチの目がふと一点に釘付けになる。

これは……!

サッチの眼が大きく見開かれる。
その視線の先には白色の薄い布があった。
正確に言うとその布にはボタンが並んでついており、袖があり、襟があり、いわゆるワイシャツと言うものだった。
だが重要なのはそこではない。
重要なのはその置かれたワイシャツが皺くちゃであるということだ。
机の上に無造作に投げ出された白い服。
それはつまり、マルコが着て脱いだシャツと言うことだ……!
サッチの目がこれでもかと見開いた。
「ちょっとだけ……ちょっとだけだから……」
わざわざ口に出して言ったのは自分に言い聞かせるため。
そっと手に取ったマルコのシャツ。
やばい。心臓がバクバクして手が震える。
呼吸が荒くなるのも抑えられなかった。
触るワイシャツはほんのり温かい気がするけれどそれは火照り出したサッチの体熱のせいに違いない。
それでも堪らずにサッチは手にしたシャツに顔を埋めた。
そのまま大きく息を吸いこむ。鼻と口と両方で。

ああ、これがマルコの生肌の匂い……!

サッチの肺がマルコの匂いでいっぱいになるとともにサッチの心ももう限界!
息を吐かなければならないことを思い出し、呼吸するも匂いが惜しいのか何度も息を吸う。
たっぷりと匂いを堪能すると今度は上から被って見せたり、服にキスをしてみたり。
でもほんのちょっと。例えシャツ越しでも長時間の口付けなんて耐えられない。
ドキドキが溢れ、思考までも自分の心臓の音に掻き消されていく。
仕舞いにはシャツを手に部屋の中で踊り出したサッチだが咎める者は当然いない。
サッチの心が高揚していくとともにその体の火照り具合も増していく。
シャツを顔に触れさせて、目を瞑るサッチの右手が自らのズボンの方へと伸びていく。

ダメだ、我慢できない。

サッチはとろんとした目で宙を見た。
そこには真っ白いワイシャツを一枚纏うマルコがいる。
可愛らしいマルコの姿を見ながらサッチの瞼が再びゆっくりと落ちる。
それでもワイシャツを脱ぎ出すマルコの姿が見えていた。
真っ白な生地から艶めくマルコの肌が露わになっていく……。
閉じた瞼の向こうに見えるマルコの姿にサッチは興奮していた。
匂いが妄想をより加速させていく。
マルコが身に纏っていたワイシャツが全てはだけて、サッチの手の中に落ちる。
サッチの目の前に丸裸のマルコが見える。
けれど見えているはずなのに肝心のところはよく見えない。
でもそれだけで十分だった。
下半身へと投げ出した手に耐えようも無い熱を感じる。
飢えた喉が生唾をごくりと呑み込んだ。

ガチャッ、バタン!

突如聞こえた音にサッチは悲鳴を上げかけた。
玄関よりも間近に聞こえたその音に息を止め、耳を澄ます。
どうやら風呂場の方から聞こえているようだ。
物音を察知して静かに歩み寄る。
「やっぱりお風呂は気持ちいいねい」
嫌良く聞こえた声にサッチの心臓は跳ね上がった。
マルコがいる……!どうして!?
聞き間違えようも無いその声はこの部屋の主であるマルコのもので。
どうしていないはずのマルコがいて、風呂なんぞに入っているのか。
だが今はそんなことどうでもよかった。
まだ姿を見られるわけにはいかない。
風呂場でガサゴソと音がする中、サッチはじっと身を潜めていた。
手にしたワイシャツを握り締めながら。
しばらくして聞こえて来たのは風の音。
髪を乾かすためにマルコがドライヤーを使い始めた音だった。
チャンスだ……!
物音を立てぬ様に、素早く身を走らせる。

バタン!

焦るあまり扉を閉める最後の瞬間だけ乱雑になった。
ドライヤーの音が止まり、マルコが首をかしげる。
その体がそっと扉を開き、玄関へと通じる廊下を見渡す。
けれどそこにはもう誰もいなかった。

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