[残すもの]

あの女を初めて見掛けたのはもう随分と前だ。
名前もどこの一族の者なのかさえも何も知らない。

自分達が戦っていた戦場とは別の場所で戦っており、まるで舞う様な戦い方をする女に視線が釘付けになった。
あんな戦い方は初めて見た。
忍術より武術に重きを置いた戦い方で、素早く優雅さを感じさせる動きで上手く相手の隙を突き、最後は決定打である殺傷能力の高い術で仕留める。

あの時は自分達もうちは一族との戦いで疲弊しており接触は避けたが、あの日以来、女を戦場で見る事は無かった。
その頃から戦いが終わった後に近くの戦場の偵察がてら女を探す日が続いた。
何一つ知らぬ女の事を探す自分を愚かだとは思ったが、どうしてももう一度だけ戦っている姿を見たいと思った。
どうしてそんな風に思うのかなんて考えもしなかったし、その時はそれがただの興味本位から来るものなのか、違うのかはっきりとはしなかった。

***

この時代、敵対している者同士の殆どは千手一族を雇うか、うちは一族を雇うかのどちらかだった。
ひと度その二つの一族同士が戦えば被害は忍だけではなく、関係の無い者まで巻き込んでしまう程の大きな戦いになる。
戦禍の名残は各地に広がり、戦いが終わった後でもその傷跡が簡単に消える事は無かった。
そして、今回も例外では無かった。

「いつも以上に負傷者が多いな…」

「仕方なかろう。今回はうちは一族だけでなく羽衣一族まで居たからな。これだけの被害で済んだだけでも良かった方だ」

「そうだな…。しかし、ずっとこのままこの場所に留まっている訳にもいかんな。連れて帰るにも数が多いし、どこかで一時的に休養を取る必要があるぞ」

今回の戦は自分達千手一族に対し、うちはと羽衣の両一族が相手だった。
写輪眼を相手にするだけでも厄介だと言うのに、羽衣一族の相手までしなければいけなかった。
そのせいか、死傷者はいつも以上に多く、一族の被害は甚大だった。

兄者の言う通り、このまま負傷者をこの場に留まらせておくのは危険が高く、またいつ戦いが起こるかも分からない今、一秒でも早くこの場を去る必要があった。
だが、この近辺にこれだけの人数が休める様な場所は無く、難航を極めた。
考えを巡らせていたら、それから少しして何かを思い出す様に声を上げる兄者の言葉に耳を傾ければ、ここからそう遠くは無い場所に知り合いの寺があるという事だった。
思い出せてすっきりとしたのか、顔を綻ばせる兄者の顔が目に入る
兄者の知り合いならば、恐らく負傷者も受け入れてくれるだろう。
それに、その場所が戦場になる事は殆ど無いらしく、話を聞く限り安全面も問題は無さそうだ。
それに、いつまでものんびりとこの場には留まる事は出来ない。
そう結論付け、その足で寺へと向かった。

***

「名無しよ、久しぶりぞ!元気にしておったか!?」

「ふふ、柱間殿も相変わらずお元気そうで安心しました」

巫女に呼ばれ、部屋に入って来た人物の姿を見て一瞬、目を疑った。
兄者と親しそうに話すその人物はずっと自分が探していた女だった。
まさかこんな場所で会うだなんて思いもしなかったし、そもそも兄者と知り合いだったと言う事に驚いた。

視線の先に居る女は落ち付いた濃い紫色の着物を着ており、初めて戦場で見た時の姿とは随分と印象が変わって見えた。
じっとその姿を見つめていたら、そんな自分の視線に気付く様にこちらへと顔を向けられる。
微笑みながら軽く会釈をされた後、改めて自己紹介をされた。

名前は名無し。
若くしてこの寺の管理を任されており、兄者とは幼少からの付き合いらしい。
まさか、ずっと探していた女の手掛かりを自分の兄が知っているとは夢にも思わなかった。
幼少からの付き合いという事だが、子供の頃を思い出してみても、あの頃の兄者はほぼ毎日自分と一緒に修業をしていたし、女にうつつを抜かす子供ではなかった筈。
そんな事を考えていたら、ふと、昔父上に近くにある寺に連れられて行った事を思い出した。
あの時は寺に行くぐらいならば修業をしていた方が良いという思いもあり、父上達と一緒に行ったのはその時だけだった。
兄者はその後も長男という事で何度か父上と足を運んでいたらしいが、自分はそれ以降一度も寺を訪れる事は無かった。
かつて訪れた寺と今自分達が居る寺は違うが、その時に名無しと知り合ったのだろうと何となく思った。

「扉間殿ですね。貴方の事は柱間殿からお伺いしております。どうぞ以後お見知りおきを」

そう言い、品の良い笑みを浮かべる名無しは本当にあの時に見た女なのかと思う程「忍」には見えなかった。
だが、人は見掛けだけで判断出来ない事は身をもって知っている。
そう思ったら、やはりあの時の女と同一人物なのだろう。

ずっと探していた女。
いざ、こうして会い面と面を向かって話してみると、気付く事もある。
どうやら自分はこの女に惚れていたようだ。
今思えば、もっと早くに気付くべきだった。
それでも気付かなかったのは、自分はそんな男ではないと思っていたから。
だから、一目見ただけの女にまさかここまで心奪われていたとは思わなかった。

***

寺に滞在し一週間が経った。
一族の長である兄者は他の者達の指揮もあり先に屋敷へと戻ったが、万が一の為に自分をここへと残した。
しかし、兄者が言った通りこの近くで戦いが起こる事は殆ど無く、久方ぶりにこんなにも静かな時間を過ごしていた。
縁側に座り、こんな風にぼんやりと庭を見つめる事など子供の頃でさえも殆ど無かった。
戦いに明け暮れた今までの人生の中でも滅多に無い時間だ。

温かな陽と、静かに吹く風が肌を掠める。
瞳を閉じ仰向けになれば、それから少しして名無しの笑い声が聞こえてきた。

「何もない所ですから退屈でしょう」

そう言い湯呑の乗った皿を持ちながら隣に腰掛ける名無しの姿を仰向けのまま見上げる。
確かに名無しの言う通り、退屈と言えば退屈だが、こんな風に何も気にせずに過ごすのも悪くは無い。
そう思った事をそのまま伝えれば、少しだけ驚いた様な顔をしている名無しに気付く。

その顔の意味も分からないでもない。
戦いばかりに目を向けている自分がそんな事を言えば驚かれるのも無理は無い。
きっと一族の者だったら今の名無し以上に驚いた顔をするだろう。

この御時世で「千手」の名を知らぬ者はおらぬだろうし、ましてや自分は一族長の弟としてそれなりに名も通っている。
その弟が戦時中に縁側で横になっているとは誰も思わないだろう。

「少し意外でした。あなたはこんな風に時間を使うのはお嫌いかと思っていました」

「些か退屈には感じるが嫌いではない。それに…、こんな風に気ままに過ごしていると、早くこの下らぬ戦を終わらせようという気も高まる」

本当にそう思った。
視線を名無しから空へと移せば、空の青と雲の白だけが広がっていて、普段見慣れている赤など何処にも無い。

自分と同じ様に戦地に立つ名無しもそう感じているのだろうか。
何となくそんな事を考えたら、あの時に見た戦う名無しの姿を思い出した。
どうしてあの場所にいたのかを今更聞くつもりはないが、一度だけ手合わせしてみたいと思った。
勿論、暇潰しという訳ではない。
ただ純粋に今まで自分の中にあった「もう一度だけ見てみたかった」その思いが自然と出て来た。
だが、名無しは自分があの場所に居た事は知らないし、急に手合わせして欲しいなど言えば驚かせる事になるだろう。
それに今はこの心地良い空気を壊す事はしたくない気持ちの方が強く、仕方なくその思いを胸にしまう。
そのままもう一度瞳を閉じ、束の間の休息を堪能する。

「…お暇でしたら少しお付き合いして頂きたい場所があるのですが、お時間よろしいですか?」

「構わんが、何処かに行くのか?」

「えぇ。寺の裏に薬草を採りに行くで、気分転換にでも如何かと思いまして」

そう言う名無しの顔は相変わらず穏やかな表情をしており、ただ見ているだけでも飽きない。
正直薬草採りにはあまり興味は無いが、名無しとの時間を共有出来るのは良い。
理由も無く会えるような関係でもないし、限られた時間を考えればこういう些細な事でも嬉しく思う。
薬草を採りに行く途中の何気ない会話も無駄なものだとは思わないし、こういう風に時間を使うのは良い。

それから少しして着いた場所は手入れはされているが、殆ど何もない広場の様な場所だった。
薬草は寺の片隅に生えており、量は少ないが綺麗な葉を付けていた。
辺りを見渡しても薬草以外にこれといって何かがある訳でもなく、しゃがみ込んでいる名無しの背中をじっと見つめる。

名無しは自分の事を多少は信頼してくれているのだろうか。
忍が他人に背を向けるという事は、極端に言えば生命の危険に繋がる事もある。
この時代、いつどこで敵に命を狙われるか分らない。
兄者の弟としての信頼でも少しは名無しの心に残る事が出来れば良い。
本当にそう思った。

***

「これで全部か?」

籠いっぱいに摘まれた薬草に満足げに微笑む名無しはいつもより少しだけ子供っぽく見える。
それが可愛くてつい笑ってしまったら、そんな自分に気付いたのかすぐに恥ずかしそうな顔へと変わって行った。

初めて話した時はもっと堅い感じの人間かと思ったが、話をしその人柄を知っていく内に印象も随分と変わった。
名無しは色々な顔を持つ女だと思う。
忍としての顔、寺の管理者としての顔、そして今見た様な柔らかい顔。
どれも違うけれど本物で、それが更に自分を惹き付ける。
手が届きそうな距離も自分に向けられる表情も全部。
全部欲しいと思ってしまう。

偶然から生まれたこの想いは日に日に強さを増すばかり。
正直なところ、このまま掻っ攫ってしまいたいと思う時も何度かあったが、どうにかそれを抑え、いつもの様に振舞う。
負傷者の傷も殆ど治りかけているし、自分がここに留まる理由ももうすぐ無くなる。
そう思うと、やはり名残惜しさを感じる。

「…扉間殿は、私と戦いたいですか?」

そんな事を考えていたら、俯いた顔を上げた名無しと視線が合う。
そして、微笑み真っ直ぐこちらを見つめながらそう問われ、一瞬動きが止まる。
何の前触れも無く、まさか急にそんな事を言われるだなんて思いもしなかったから、つい名無しの顔を凝視してしまった。

あの時あの場所に自分がいた事に気付いていたのか、それともただの偶然か。
しかし、確信を持ったような問いを聞く限りでも偶然とは思えない。
名無しと手合わせしたいと思っていたのは事実だが、何故急にこんな事を言い出したのか。
それよりも、いつから気付かれていたのだろうか。

何も答えぬまま少しの沈黙が続いたが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。
そして先に口を開いたのは名無しの方だった。

「ふふ、そんなに驚かないで下さい。私が忍だという事は知っていらっしゃいましたよね」

「…ワシがあの場所に居た事に気付いていたのか?」

「いえ…、恐らく扉間殿が仰っている事は私は知りません。ですが、知っているという事は薄々感じていました。よく背中を見ていらしたし、
たまに探る様な視線を感じる事もあったので知っていらっしゃるのかなと思いまして。それに、動かないと身体も鈍ってしまうでしょ?」

最後は悪戯っぽくそう言われ、心の底から情けなさを感じる。
自分ではそこまであからさまな態度を出していたつもりは無かったが、それでも名無しは気付いた。
今まで忍として精を尽くして来たが、まさかここまで名無しに対して気が抜けていたとは思わなかった。
何も気にせず、誰かと気ままに過ごす事など初めてで、その居心地の良さにいつの間にか気付かぬ内に慣れてしまっていた。

絶えず戦が続いている大事な時期にも関わらず、これ程までに自分を変えた女は名無しが初めてだ。
これを良い事と取るか悪い事と取るかと考えても正直答えは出て来ないが、惚れた女を自分の側に置いておきたいと思う事は男ならば考える事だ。
そう思うと、自分のこの変化も当然の事だったのかもしれない。
戦いたいかと言う言葉に素直に頷けば、小さく笑う名無しの顔に何とも言えない気持ちになった。

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