L'espoir dispersé | ナノ




Rencontre.trois


「ところで君の周りには異常な霊力が集まっていた。どういうことだ?」

少年は再び気を張らせ、そう質問を続ける。が、質問の内容が分からないので応えようがない。れいりょく、とは何だろうか。データベース内にもそのような単語はない。霊力とはなにか、そう問い返せば、少年と女性が驚いたように声を上げた。そんな反応をされたって、知らないのだ。少しむくれそうになる。そんな自分を見てか、コホンと一つ咳払いをして、女性が説明を始める。

「霊力というのはこの世界に満ちている物質で、術や技を使用する際に属性を決めるものですわ」
「空気中にも?」

はい、と女性は頷く。だとすれば、おそらく自分がいた世界と同じような方法で、霊力の誘引が可能なのだろう。つまり、音素のようなもの。だが、物質そのものが違うがゆえに機関部への負担が大きく、術の発動に際し枷となっているのだろう。術式回路の異常値もおそらく。

「術が使える理由は、その、前の世界と同じようにしてたら……ってことか?」
「はい。物質が違うのに術などが使える理由については、正直なところよくわかりません」

それにしても、お腹が空いてきて仕方が無い。この空気の中、言い辛いことを言い出そうか、迷う。言うべきか、言わないで話を進めるか……。

「あの、話をぶつ切りにするようでとても言い辛いのですが……」
「どうしたんだ?」
「……お腹が、空きまして。調理場のようなものは借りられませんか?」

音素がなくなった世界のあとに施した改造のせいで、食事を取らないと身体は動かないようにできている。稼動限界まではまだ余裕があったが、有事に備えて常に稼動限界時間を40%以上は残してしておきたいところ。調理場さえ借りられれば、確かポーチの中に色々入っていたはずだ。それで作れるだろう。

「ご飯なら宿屋の人に頼めば……」

少女が首を傾げて言う。けれど、作るのが好きなのだ。唯一の趣味、といっていいほどの。そう伝えれば、スレイが大きく頷いた。

「そっか。でも、ふらついてるし今はやめておいたほうがいいと思う。手元が狂って怪我でもしたら大変だしな」
「……そう、ですね」

心配するような彼の声音に、少し落ち込んだ空気感を出す。久方ぶりに自分以外の者と接している現状、人らしい動きは出来いるのだろう。慌てた様子の少女が、軽食を持ってこさせると言うと、少年に目配せをして扉の外へ出て行った。恐らくは、見張っていてくれ。そういう意味合いだろう。

「それで、ジルはこれからどうするんだ?」
「そうですね……、やることがないのは事実です」
「異世界から来たんだろ? だったら元の世界に戻る方法を探す、とかは?」

悩む。行く当てもないし、守るべきもののいない元の世界に戻る気もない。唯一の趣味である料理も、作る相手がいなくてはなにも楽しくなかったのは確かだ。誰かを思いながら作る料理ほど、塩気がある料理もないだろう。

「戻っても、守るべき人はもういませんし」

素直に、そう述べた。すると、スレイの表情が一気に曇る。

「……ごめん」
「……? 何故謝るのですか? いないのは事実ですし、相手は人間ですから寿命が短いのも当然です」

長く生きる者は生き死になど気にしてはいられないのですから、と続ければ、遠めに立っていた女性が顔をうつむかせるのが見えた。それでもスレイは浮かない顔をしている。きっと、優しい子なのだろう。

「正直僕も、どうしてここに連れて来られたか分からないのです。あのまま放っておいてもらえたのなら、数百年も待たずに壊れていただろうに……」

そこで少女が帰ってくる。少し沈んだような雰囲気に戸惑ってはいたが、自分の手元にスープを置く。仄かに味噌の香りが漂う。

「ヒメマスのスープだ、なるべく食べやすいものを選んできたつもりだが……」
「ありがとうございます。とても良い香りです」

スープを一口。異常な成分は検出されず。ならば味わおう。柔らかく煮たヒメマスの身は口の中でほろっと崩れ、ヒメマス独特の味が広がる。一緒に煮られた野菜の風味が後から鼻に抜け、とても美味しい。思わず顔を綻ばせると、少女は嬉しそうに笑った。

「気に入っただろうか」
「ええ、本当に美味しいです。ヒメマスが特に」
「そうだろう、ヒメマスはここレディレイクの特産品でな」

レディレイク。聞き覚えのない地名だ。彼女たちと話すほど、やはり異世界に来てしまったのだと信じざるを得ない。ここにとどまっていても、きっと己が成せることは無い。半強制的にでも己を動かす必要があるように感じた。もし足手まといとなるなら、置いていかれればいい。だから。

「……スレイ殿。あなたたちに着いて行くことは出来ますか?この世界の料理……この目で見て、この手で作ってみたいのです」

僕からの問いかけに、え?という声が四つ重なった。きっと彼の仲間にとっても突拍子もないレベルでの言葉だったのだろう。冗談だろう、まだ不審な点が、などと問いかけた本人を放置して言い合いになっている。後半はこじつけに近いが、旅をする理由が明確である方が了承もしやすいだろう。暇だからついていきたい、よりはずっと建設的なはずだ。

「ライラ、ジルを連れて行ってもいいかな」
「決定権は、私ではありませんわ」
「ありがとう、ライラ」

じゃあ、といってこちらに向き直ったスレイは、自分と握手を求めてきた。その手を握り返す。暖かくて、少し硬い、青年の手だった。その後、ライラと呼ばれた女性から簡単に説明を受ける。


この世界には人々の強い欲望や悲しみなどの負の感情が積もったりすると、"穢れ"というものになる。穢れは人や天族動植物や恨みつらみと言ったものを"憑魔(ひょうま)"と呼ばれる魔物――始めに自分が交戦した凶暴な狼や巨大な蛇――にしてしまう。また、病気の原因や異常気象の原因ともなりうる。

それを祓い、根源である存在を打ち倒すのが"導師"、スレイの役目。ずいぶんと大きな目標に向かって動く人物と遭遇してしまったものだ。それから、"従士(じゅうし)"というのは、スレイを補佐する役割であり仲間であり、人間。騎士のような装束の少女がこれに当てはまる。
そしてライラと呼ばれていた女性を主神、そして、主神に仕える他の天族、今で言うともう一人の少年のことを陪神(ばいしん)と呼ぶ。
天族も憑魔も、一般人には不可視の存在であり、霊応力(れいのうりょく)という、生まれながらにして備わる才能がなければ、気配を把握することすら出来ないという。自分がそれらを認知出来ているのは、人という目ではなく、特殊なレンズを通した機械の目だから、なのだろう。

「改めてよろしく、ジル」
「ああ、ええと……スレイ殿、同道するにあたり、僕は一つ謝らなくてはなりません」
「え?」
「名前です。僕の本当の名、告げておくべきでしょう。僕の名はおなまえ、ジルというのは偽名です。騙すような真似をして、すみませんでした」
「気にしないで。良い名前だね、おなまえ」

久方ぶりに名乗った自分の名前。自然と笑みがこぼれたことに自分でも驚いたが、そんな自分と、同じように顔を綻ばせたスレイがただ、大丈夫、とだけ言った。すると、少年と少女が一歩前に出て、手を差し出す。

「私の名はアリーシャだ。よろしく頼む、おなまえ」
「僕はミクリオ。……その、おなまえ、疑ってばかりですまない」
「いえ、不審な者を警戒するのは当然のこと。どうということはありませんよ。不束者ではありますが、アリーシャ殿、ミクリオ殿……、これからよろしくお願いいたしますね」

後ろに控えていたライラという女性も、会釈をするように軽く頭を下げた。応えるように腰掛けたまま頭を下げる。異世界からやってきて二日目。ここから始まった旅路は、はるかに長く険しく、されど優しさに包まれたものであった。




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