L'espoir dispersé | ナノ




Rencontre.un


息苦しい。

器官が押しつぶされているような、呼吸のしづらさを覚え、体が覚醒せよと訴える。その後、うたた寝をしていたような一瞬のブラックアウト。
はっとして目を開け、傾いた体勢を立て直し、大きく息を吸い込んだ。だが、この苦しさは変わらない。一体何が起きているのだろう、まるで水底に沈んだかのように音が無く、ゆらりゆらりと視界は揺れ、足元は覚束ない。揺れる視野に映るのは、豊かな自然と、湖に浮かぶ城のような建造物。記憶領域に損害がなければ、このような景色を見たことはない。
自分が「夢」を見ることはない。今まで見聞きしたこと、経験したことを纏めるためだけに眠っているのだ、一般の人や動物が見るような、仮想の世界を映し出す「夢」は、見ることはない。

「一体……ここは……」

ぜえぜえと呼気を荒げながら、杖槍を支えに立つ。おそらくこの感覚、現実だろう。己が眠りについたあと、何者かに意図的に駆動部を止められ停止し、長期間放置の後起動させられたか、可能性はとてつもなく低いと信じたいが、どこか別の世界へ飛んだ、そのどちらかだろう。
だが、内部機関に異常なほどの負荷がかかっているのは間違いない。身体の異常を示すメーターが警告音を発しているのが聞こえ始め、周りにいるのだろう。小鳥のさえずりも聞こえるようになってきた。このままではまずい、人目につかないような場所へ移動し「修理」しなくては。しかし足は、思ったほど動いてはくれない。とりあえず茂みのほうへと歩みを進めるが、気配が一つ。
殺気。

「何者ですか」

返事はないが、代わりに唸り声が聞こえ、飛び出してくる影。狼型の魔物。距離はまだある。術でも間に合うだろう。だが、思ったように力が集まらない。収束こそしているような気がするのだが、それらがデータとなって表れないのだ。一体どうなっているのだろうか。やむを得ず言葉を紡ぐ。

「常夜の闇へと誘え……」

大地に杖槍の石突を押し当て、がりがりと地面を削りながら魔法陣を描く。集めた力を陣に乗せ、魔物に向け再収束、発動する。

「……ネガティブゲイト!」

術は発動した。だが、どうにも威力が小さいように思える。この明らかに大したことがなさそうな魔物を、一撃で屠ることすら出来ない。魔物は一瞬怯んだ後、こちらに飛び掛ってくる。それを柄で受け止め、振り払う。重たい。いや、間違いなく自身の力が低下しているのだ。相変わらず警告音は脳裏で鳴り響いたまま。しかしもう一撃、術を食らわせれば勝てそうだ。何とか隙を作らなくては。

「沙散花・氷柱!」

振り払った魔物を奥義で吹き飛ばす。よろける身体に鞭を打ち、とどめとなる次の術を素早く詠唱し始める。揺らぐ視界、ぼんやりとした聴覚。普段より遠くの気配に対して気付きづらかったのだろう。迫る複数の影に、詠唱が止まる。咄嗟に飛びのいたつもりが、どうやら足がもつれたようだ。飛び掛ってくる蛇の魔物が見えた。体勢を整える暇はなく、眼前に杖槍を構えた、その時だった。

「大丈夫か!」

背後から突然声が降ってきたと思えば、魔物に氷の破片が当たり吹き飛ぶ。すかさず茶髪の青年が魔物に剣を振り下ろし、倒した。残りの魔物も、槍を構えた少女と、不思議な衣服をまとう少年と女性によって倒され、辺りは静かになった。
呆然と倒れたままの自分を覗き込むように、青年は声をかけてきた。

「怪我はない?」
「はい。おかげさまで」

手を借りて立ち上がるも、ふらついてしまい逆に彼を引っ張ってしまう。ぐらついた視野の端、先程炎で敵を圧倒していた女性が魔物を光の炎で包み込む。するとそこには小さな蛇と、すっかりおとなしくなった狼が。訳が分からず首を傾げると、青年はぱっと目を輝かせた。魔物と退治する己を助けてくれた一行を束ねていると思わしき青年、名を聞けばスレイ、というらしい。

「先ほどは助かりました、スレイ殿。僕は、……ジル、と申します」
「ううん、気にしないで。それにしても……」
「先程の魔物のことですか? あの巨大な蛇?あれは一体?」

色々と気になることがあったが、ここが夢か現実か異世界か分からない以上、本名を名乗るのは危険だと判断し、偽名を名乗る。

「ええとあれは魔物っていうか……その……って、見えたのか!?」

しまった。普通は見えないモノのようだ。スレイより握り拳一つ小さい少年につつかれて、彼は説明をしてくれた。
彼の言葉をまとめると、アレは見える人には巨大で狂暴なヘビ。見えない人にはやたら突っかかってくる普通のヘビ、ということらしい。どうにも面倒なところに来てしまった、と今更ながらに思う。
そして、彼の説明の端々というか、戦闘時にも感じていた術の発動に際する抵抗感。どうやら、低確率だと思っていた「異世界」に来てしまったようだ。

「あれを元の蛇に戻すのを、スレイ殿達はされているんですね」
「まあ、オレ達の目的の一つって言うところ……かな?」
「そうだな。私とスレイはそれぞれの夢に必要だということで、こうして戦っている」

スレイの言葉の後に、騎士のような装束の少女が言葉を続ける。なるほど。と頷いてスレイ以外に視線を走らせていると、少し間をおいて、達?というスレイの呟きとともに、彼の背後にいる女性と少年から放たれる気配が強まった。もしかして、彼女たちも普通には見えてはいけない存在、だったりするのだろうか。背筋を冷や汗が走った。
もしかしなくてもだが、先程の魔物が普通の人には違って見えるように、魔物を元に戻すための種族のようなもので、普通の人には、人として認識できない存在なのではないか?ゆえに視線が合ったことにより警戒を孕んだ視線が、今こうして突き刺さっているのではないか、と。

「見えるのか!?」

先ほども聞いたような言葉を、またスレイから聞くことになった。見えるも何も、そう聞かれてしまったのだから警戒されていようと答えるしかあるまい。現に彼女らと視線もかち合ってしまったのだ、嘘をついても余計に警戒されるだけだろう。

「お化け……ではないですよね」

そう確認すると、スレイはなぜか嬉しそうに跳ねた。はっきり見える人がいるなんて、と喜ぶ彼の屈託のない笑顔はどこかあどけない。しかし即座に後ろから声が飛ぶ。

「スレイ、……その人は、人間じゃない」

ピン、と張り詰めたような声音。少年の視線が、自分と強くぶつかる。スレイは、その言葉に小さく頷いた。どこで気付いたのだろうか、どこか表層が剥がれている?警告音が大きすぎて聞こえてしまった?右手の槍を強く握り締め、構える。

「人が術を使うなんて話聞いたことがない。僕らが見えることも含め、君が何者なのか。詳しく聞く必要があると思うね」

なるほど、ずいぶんと前から自分の戦闘は見られていたようだ。槍を再び杖のようにし、身体を支える。今なお警告音は鳴り響いたまま、だが少しずつ遠ざかっているような錯覚。直後に再び大きく揺らいだ視界は、刹那も待たずに真っ暗になった。







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