■ 派出須逸人の場合 1


授業開始のチャイムからはや数十分。
いつもは奥のベッドで寝ている生徒も、次の授業は自習なのだと意気揚々と教室に戻っていた。
彼らがいなければ始終静かな保健室で養護教諭である派出須逸人はひとり忙しく机に向かっていた。
来月の保健便りは実はもう出来ている。しかし、月末ギリギリの昨日になって唐突に素晴らしいアイデアが降ってきたのだから仕方が無い。
愛する生徒たちの身体と心と笑顔を守るため、よりよい紙面作りに熱意を燃やす教諭はそれはそれは真剣な顔をしてペンを握っていた。

そんな保健室の扉に手をかける影があった。
扉が軋む音にぴくりと耳を震わせた養護教諭は、その瞬間にペンを離し、椅子を回し、待ち望んだ利用者を迎えるべく満面の笑みで入り口へと身体を向ける。

「やあ、いらっしゃ…………何かご用ですか」
ところがその養護教諭らしからぬ(見る人によっては震え上がるような)笑顔は一瞬で萎み、弾んだ声は見事に面倒臭そうな声へと変わった。
「そんなに露骨にがっかりする事もないだろう。まったく、失敬だな君は」
真っ黒いドレスを着た少女はおおよそ少女らしく無い口調でそう言うと、すっかり気落ちした養護教諭に向かって手の平を突き出す。
「……どうしたんですか、三途川先生」


「『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ』」


外見だけは愛らしい少女であるものの、実際の所は恩師であり、上司であり、雇い主(正確には異なるが)である。
わけがわからないなりに彼女の希望を叶えようと、よいせと立ち上がった青年は棚の上段へと手を伸ばした。

「えーっと、かりんとうでいいですかね。あ、お茶も淹れましょうか?」
「……逸人くん、今ほど君の反応を冷たいと感じた事はないよ」

少女の希望に添った筈なのに、物言いたげな視線と共に返されたのは盛大な溜息だった。


  ***


「やれやれ、君は今日が何の日か知らないのかね」

十月最終日。そして土曜日。週明けには新しい保健便りを配らなくてはならない。いや、待てよ。十月の三十一日と言えば……?
「……ああ、ハロウィンですか」
「ようやく気が付いたのかね。まったく、君の反応にはがっかりだよ。せっかくの魔女っ子服が無駄になってしまったじゃないか」
「……ひょっとして、その格好は仮装のつもりですか」
青年が素直な感想として問うたならば、少女からは「当たり前だろう。仮装以外の何に見える」と呆れた声が返って来る。
しかし青年が改めてよくよく目を向けたところで、少女の今日の装いと普段の格好とを分ける違いなど何一つわからない。


再び深い溜め息を一つ漏らして、三途川千歳はくるりと背を向け歩き出した。

「あれ、かりんとうはいいんですか」
「もういい。気が削がれた」


「ハロウィンの楽しさがわからんとは、人生の大部分を損しているぞ」
よくわからない捨て台詞を残して去って行った彼女を見送り、派出須は憤慨するでもなくただ呆然と呟く。

「……えーと。結局、なんだったんだろう」



(2014.10.09)



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