20140921


「つーかこの馬鹿女、いい加減にしろよな!」

数日振りに枕元に現れた淫魔の、開口一番がこれだ。
おまけに、怒鳴った勢いのままで私の頭をぺしりと叩く。痛い。
いや、嘘だ。それ程痛くは無かったけど、驚いた。

えーっと、こんなに怒られるようなことって、何かしたっけな。
あまりの事態にベッドの上で身を起こす事も出来ず、ぽかんとしていると今度は舌打ちが降って来た。

「おいこら、お前何考えてんだよ。ここんとこちゃんと休んでねぇだろ!」

はい……?
台詞と表情と本人へのイメージが一致しなくて、思わず失礼なくらいにしげしげと眺めてしまう。
けれどどうやら聞き間違いでは無いようだったので、寝ぼけ状態の頭を叩き起こして必死で働かせることとなる。

そういえば、ここ数日忙しくてちゃんと眠っていなかった。
短い仮眠ばかりで、深く長い夢を見る程の余裕もなくて。つまり、この人は私を食べる機会が無くて……?
だと言うのに。懸命に考える私の努力を蹴散らして、まるで私をますます混乱させるかのように淫魔の手が頬へと伸びてくるではないか。

「あーもうくそっ、髪も肌もボロボロじゃねぇか、ふざけんなよ!」

ああ、どういうことだろう。これはやはり私の耳がおかしいのだろうか。それとも処理する脳がおかしいのだろうか。
なんだか、心配されているような気がする。いや、でも、この淫魔に限ってそんなことを思う筈が無い。心配とか気遣いとかは、こいつからうんと遠い所にあるものだ。
……何はともあれ、私が眠らなかった事が悪いのだろう。空腹で気が立つのは人も淫魔も同じということか。ならば、ここはおとなしく謝る事にしよう。

「……ごめん、なさい。ちょっと会社でバタバタしててさ。お腹空いたよね……?」

頬に当てられた手に、そっと自分の手を添えて、不機嫌もあらわに鋭くぎらつく瞳を見つめた。
すると、なんと。
次の瞬間、頬にあった手が素早く離れた。つまり、私の手は乱暴に弾かれた。
ちょ、人が素直に謝っているというのに、何よその態度!
とっさに上げかけた非難の声は、けれども直前で呻き声に変わる。

「いいか、馬鹿女。何か勘違いしてやがるようだから言ってやるが、俺は『餌』には不自由してねぇんだ。
 お前を食わずにいたって、別に空腹で倒れそうだなんて無様な事にはならねぇんだよ」

いや、誰もそこまで思っていませんがね。っていうか、頭掴むの止めて。まったくなんて馬鹿力ですか、額が割れるって。

「いいか女。俺が何度も食ってやるって言ってんだ。いい加減、そのことの有り難みを理解しろ」

言うだけ言って気が済んだのか、頭蓋骨がきしむような力がようやく弛み、手の平が離れていった。
「……痛いんですけど」
「お前が馬鹿なのが悪りぃんだ」
涙目の抗議はあっさり躱される。こいつ、やはりというか全く悪びれていない。おまけに、その顔を見れば相変わらず不機嫌ではあるようで。
ああ、このまま今夜もまた、酷くされる虐められコースなのかな……と胸に諦めが広がる。
もっとも、なんだかんだで私も結構気持ちよくなっちゃうから、そこまで嫌というわけでもないのだけれど。
ああ、でも。どうせなら、機嫌のいい淫魔に抱かれたい。痛くされるより、わかりやすい快楽を貰える方が好きに決まっている。
そんなことを考えながら、さあ襲うがいいわ!と覚悟を決めてぎゅっと目を閉じた私の耳に、淫魔の指がぱちんと鳴った音がした。
身構えると同時に、ふわりと身体の上に重みが降ってくる。

けれどそれは、予想した男の身体では無かった。
この感触は間違いない。突如現れて私の身体に覆い被さったのは……

「……布団?」

それも、ふわふわの羽毛布団だ。この厚みでこの軽さとなれば、高級品だ。まあ、結局は夢の中のものなんだけど。
そのふわふわの掛け布団の端に、淫魔が乱暴に腰掛けた。当然その部分は見るも無惨に潰れてひしゃげた。勿体ない、という意識はこの淫魔には無いのだろうか。
けれどそこを非難するよりも、ずっとずっと気になる事がある。私が布団に包まれていて、彼がベッドに腰掛けているということは。

「……食事、しないの?」

幾らなんでも、このままセックス(食事)という流れは格好が付かない。首を傾げた私に、淫魔は盛大に溜め息を吐いた。

「いいか。底なしの馬鹿のために、この優しい俺がわざわざ教えてやるんだから足りない脳みそでしっかり理解しろよ。
 人間ってのは休まないで活動出来るようには出来てねぇんだよ……それもお前みたいな人生経験の浅い甘ったれた女なんてな、脆弱過ぎて反吐が出る程に脆いんだ」
 
「ごめん。足りない脳みそだから、その説明じゃよくわかんない」
言われた事以上に、あんたの頭がわかんない、とはさすがに言わない。
そんな私に、やっぱり馬鹿だなと心底呆れたらしい声が降ってくる。
「そうやって自分の調子もわからねぇ愚かさってのは、不幸を通り越していっそ幸せかもな」
「なによ」

「今のお前の精力にどれだけの余裕があるってんだ。今夜俺に食われてみろ、お前はもう目覚める事は出来ねぇぜ?」

蔑みだけではない響きに、否が応でも言葉の意味を理解してしまい、ぞくりと嫌な感覚が背筋を這う。つまり、それは。
「現実の私が、死んじゃうってこと?」
「つーかまあ、現実で死んだら夢も終わりだがな。ほら、さすがに愚図なお前でも、もうわかっただろ。死にたくねぇなら、とっとと寝ちまえ」
……まさか、夢の中で「眠れ」と言われるなんて思いもよらなかった。
けれど、私が眠ったらこの淫魔はどうするのだろう。というか、これではそもそも何をしに来たのかと……思わず、素面では滅多に口にしない呼び名が漏れる。

「……ドSさんは?」
「俺が力を使ってやるって言ってんだ。おとなしく眠って、さっさと回復しやがれ」

やっぱりよくわからないという思いは、素直に顔に出ていたらしい。
普通に眠るよりも淫魔の力が及ぶこの空間で眠る方がより心身の回復になるのだと、憮然とした口調で解説される。

「勘違いするなよ。何度も言うが、俺は『餌』には困ってねぇんだ。ただ、お前の事が食い足りねぇってだけで」

見つめる私の視線からあっさりと顔を背けてしまうから、その表情を確かめる術は無い。でも、きっと苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。

「お前は俺の『極上の餌』として、抱き心地のいい身体と美味い精気を維持する義務があるんだよ」

なんて俺様な言葉なのだろう。そして、そんな勝手な事を言われているのに、どうしよう。
死ぬぞと言われた時の恐怖もどこへやら、にやけるしか出来ない。


もぞりもぞりと、少しだけ淫魔の方へと身体を動かす。相変わらずこちらを向かない頭に、ねえドSさんと呼びかける。
「頭、撫でて」
「なんでだよ」
「その方が、よく眠れそうだから」
駄目かなと思いながらも言ってみたら、渋々という素振りとは裏腹に、なんだか優しい手が頭に触れた。
日頃と異なる扱いに、何事も言ってみるものだと感激する。うん、気持ちいい。
「えへへ、ありがとう。ついでに、名前も呼んでくれると、もっとよく眠れそう」
「ハァ? 調子付いてんじゃねぇぞ」
「はーい……色々、ありがと。……おやすみドSさん」

「……さっさと眠れ……なまえ」



  


[ 玄関 ] [ 夢小説 ] [ ]