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「これが正解?」



 彼とのデートは楽しかった。やけにじろじろ顔を見られるのが恥ずかしくて気になるぐらいで、あとは申し分なし。
 彼はチャラいように見えて細かいことにまで気が回るし、何より感情の変化を察知する能力に長けている。二回目のデートを終えて、私は彼のそういう部分に気が付いた。
 何か特別なことをされたわけじゃない。ただ、ひとつひとつの行動の端々に彼が投げかけてくれる言葉は、どれもひどく優しくて胸がほわっと温かくなった。一言一言を積み重ねられる度に「この人は良い人なんだろうな」「この人と付き合えたら楽しいんだろうな」と思わされた。
 そして、我に帰る。私達はそういう関係じゃないんだ、って。その一瞬の沈んだ表情でさえも見逃してくれない彼は「どうかした?」と声をかけてくれて、それが嬉しくもあり歯痒くもあった。

 今度こそ、夜はどこかのホテルに行くんだろうと思って身構えていたのに、二度目のデートでも夜ご飯を食べて「そろそろ帰ろっか」と言ってきた彼。がっかり、というより、なんで? という気持ちの方が強かった。
 身体の関係から始まったのに、彼と身体を重ねたのは最初の一度きり。それ以降は手を繋ぐことさえしていない。
 彼は何が目的で私とデートをしているのだろうか。訊きたいけれど、訊きたくなかった。明確な答えを彼の口から聞いたら、もう二人きりで会うことはできなくなってしまうかもしれない。そうなるのが怖くて。

 そんなふわふわとした狡い状態のまま、月日だけが流れていった。
 初夏から本格的な夏へ、そしてその夏の暑さも幾分か和らいできたような気がする九月中旬。私達は幾度目かのデートをしていた。
 毎週とは言わずとも、二週間に一回は必ず会ってどこかに出かける。そんな日々が定着していた。
 ショッピングモールだけでは時間が潰せなくなって、水族館や遊園地に行ったり、少し遠出して美味しいと評判のソフトクリームを食べに行ったり。
 今日は彼の仕事終わりに会っているから、デートと言っても遅めの夜ご飯を一緒に食べているだけ。どうせこの夜ご飯が終わったらいつものように「じゃあ帰ろっか」と言われるに違いない。

 色んなところに行った。朝早くから行動して、夜遅くまで一緒にいることもあった。けれど彼は一度たりとも私に手を出してきていない。最初の頃はそわそわしていた私も、三ヶ月以上何のアクションも起こされなければさすがにドキドキしなくなる。
 何度も期待した。彼が私を定期的にデートに誘ってくれるのは私のことが好きだからじゃないか、と。けれどいまだに、彼から核心を突くセリフは出てこない。
 ずっと宙ぶらりんのまま。セックスをしていないからセフレではないし、しいて言うなら仲の良い異性の友達ぐらいの関係にはなれただろうか。私が望んでいるのは、そんな形ではないのに。じゃあどんな形が理想なのかと尋ねられたら、それは答えられないのだけれど。

「ハンバーグの気分じゃなかった?」
「そんなことないよ。美味しい」
「でもなんか、元気なくね?」

 相変わらず目敏い彼は、私の一瞬の曇り顔を見逃してくれなかった。出会った時からそうだ。彼はずっと変わらない。ずっと変わらず優しくて、気が利いて、最初の一度を除いて私に手を出してこない。
 その最初の一度だって、酔った勢いで、しかもほぼ私から迫ったようなものだ。彼の方からグイグイと強引にきたわけではない。その事実が、より一層私の胸を苦しめる。
 ハンバーグを食べ終えた私は、ナイフとフォークを置いて彼を見据えた。彼も食事を終えて私を見ているから、私達は机を挟んで見つめ合っている状態だ。

「電気くんはどうして私を誘ってくれるの?」
「え。それは……一緒にいて楽しいから」
「私以外にも一緒にいて楽しい人、いるんじゃないの」

 責めるつもりはなかった。けれど私の口を突いて出た言葉は完全に彼を責めるようなそれで、自分でも驚いてしまう。
 これじゃあまるで、そういう対象は自分だけじゃないと嫌だ、と駄々を捏ねているうざったい女である。そういう女にならないよう、ずっと気を付けてきたのに。
 彼との逢瀬を重ねた分だけ、彼への気持ちも少しずつ降り積もっていたのだろう。だから積み上げたものが崩れて、今のような言い方になってしまったのだろう。分析したところで、今の発言を撤回できるわけではないのだけれど。
 彼は目を見開いて驚きを露わにしていた。「急に何を言い出すんだこの子は」とでも思われているかもしれない。

「ごめん、別に、私だけじゃないってことは分かってるんだけど、」
「なまえちゃん、行こ」
「え、」
「店出よ」
「ちょっ、電気くん、」

 彼が私を待たずに席を立ったのは初めてだった。こんなに強引に事を進めるのも、初めて。ついでに身に纏っている空気も今まで感じたことのないものだ。
 怒りとはまた違う。けれど完全にピリついた空気。私の一言が彼を不快にさせてしまったに違いない。だから早く店を出て、さっさと解散したいと思ったのだろう。
 自業自得。それまでの頑張りなんて一瞬で無に帰す。それが恋愛というものだ。そう、私は彼に恋をしている。だから、思い通りにならない。コントロールができない。そのせいで、こんなことになってしまった。でも、どうすることもできない。
 お会計を早々に済ませた彼は、足早に店を出て行く。勝手に私の分の支払いまで済ませるなんて、やっぱり彼はいつもと違う。私は暗い夜道で彼の後を付いて歩くことしかできなかった。

「俺、なまえちゃん以外の子とこんなに会ったりしてない」
「私に気を遣わなくても、」
「なまえちゃんだけは、ずっと特別な女の子だって思ってる」

 彼が足を止めて振り返り、唐突に口を開いた。あまりにも突然止まるものだから危うくぶつかるところだったけれど、ギリギリのところで踏み止まった私は、その距離の近さに息をのむ。
 離れなければ。反射的に後退りしかけた私を阻止したのは、彼の手。私の腕を掴んだまま離さない。

「電気くん……?」

 痛くはないけれど、彼が意図していることが分からず戸惑いの視線を送れば「ごめん」という謎の謝罪をされた直後、視界が真っ暗になった。そして、唇にふにゃりとした感触。
 暫くして漸く理解する。これはキスだ。私は今、彼にキスをされている。身体を重ねたあの日の夜でさえしなかったことをこんな道端でしてくるなんて、一体どういうつもりだ。
 いくら人通りの少ない路地裏とは言え、誰かが通る可能性はゼロではない。それに彼はプロヒーロー。すっぱ抜かれてしまう危険性だって大いにある。
 突き放さなければ。距離を置かなければ。拒まなければ。そう思っているのに、唇に意識が集中しているせいで、私は私自身の命令を聞き入れられない。

 腕を掴んでいたはずの彼の手はいつの間にか私の後頭部に回されていて、もう片方の手は腰を引き寄せている。角度を変える時、僅かに離れた口から漏れる吐息が熱い。
 逃げたい。でも、受け入れたい。続けていたい。
 身体の芯からジンジンと熱が上がっていくのを感じて、私は彼の服をぎゅっと握った。その瞬間、下唇を食んで離れていく柔らかいもの。至近距離で「ごめん、」とまた謝られて、私は浮かされた熱の行き場を失う。
 謝られたくなんかなかった。謝ってくるということは、これはいけないことだと思っているということだ。彼は私にキスをしてはいけないと思っている。それはつまり、私はそういう相手じゃないということを暗に言われているようなものだと感じた。
 悔しい。悲しい。辛い。どんな理由かは分からないけれど、キスをされて舞い上がって、もうどうにでもなれと彼に委ねようとしていた自分が恥ずかしい。
 後頭部と腰に回されていた手も、今は何事もなかったかのように離されている。そして極め付けは、彼のバツの悪そうな顔だ。どうせなら満ち足りた顔をしていてほしかった。

「なんでいつも何もせずに帰るの?」
「え」
「最初はホテル行ったくせに」
「それは、」
「なんで今も、やめちゃったの?」
「……なまえちゃんとは、そういう関係じゃないから」

 言われなくても分かっていた。けれど、彼の口から明確な言葉を聞きたくなくてずっと宙ぶらりんのままでいた。それなのに、今、私は自分で自分の首を絞めた。
 キスをされた。嬉しかった。でもその一瞬の幸せと引き換えに、私達は元に戻れなくなった。


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