ひより | ナノ

一緒に食事をして以来、カカシさんは店でも口布を外して食事するようになった。食べるペースが以前と比べてゆっくりになったことにより新たな一面も発見した。好きなものは最後に食べるタイプだとか、箸の持ち方が綺麗だとか、実は猫舌だとか。カカシさんの素顔はまだ見慣れなくてつい見入っていると、カカシさんがどうかした?と穏やかに微笑む。その柔らかい表情に胸は高まる一方で。カカシさんのことを知れば知るほど、どんどん好きという気持ちが積もっていく。

食事を終えたカカシさんを店の外まで見送りに出る。今日はこの後任務が入っているそうだ。

「ご馳走様。今日も美味しかったよ」
「ありがとうございます。……カカシさん」
「ん?」
「いってらっしゃい」

カカシさんは目を見開いて、それから弓なりに目を細めた。カカシさんの腕が伸びてきて頭を軽く撫でられる。

「いってきます」

それだけ言うと、風に揺れる落ち葉を残してあっという間に私の前から姿を消した。
頭に残る温もりにそっと触れる。今しがた顔を見たばかりなのに、もう会いたくなっている。

――どうか無事に帰って来てくれますように。冷たい秋風が路地裏を吹き抜けた。






「ひよりちゃん、今度一緒に食事でもどう?」

よく店に足を運んでくれる常連さんから食事に誘われたのは、その翌日のことだった。

「食事……ですか」
「うん。美味しい店を教えてもらったんだけど、どうかな?」

彼――トウヤさんは、カカシさんが来るよりも前から店に通ってくれている忍の方だ。私は手が空いている時には仲の良いお客さんとは話をするので、いつも一人でやって来るトウヤさんともよく話をしていた。彼とは同い年で話も合うし、彼の気さくな性格もあり気兼ねなく話ができた。

好き嫌いのない彼はなんでも美味しいと食べてくれて、その度に料理を褒めてくれる笑顔が爽やかな好青年だ。トウヤさんに対して好感は持っているけど、それはあくまでお客さんとしてであり、個人的な関係を持ちたいかと言えば答えはノーである。
彼がどういうつもりで食事に誘ってくれたかはわからないけど、期待を持たせてしまっては悪い。

「せっかくのお誘いですが、お店のことがあるので……すみません」

気を悪くさせてしまったかな。トウヤさんとはもっと楽しくお喋りしていたかったけど、しょうがない。

「そんな顔しないでよ。ひよりちゃんが店を大事にしているのは知っているし、ダメ元で誘っただけだから気にしないで」

トウヤさんはいつも通りの笑顔を向けてくれた。これまでと変わらないトウヤさんの態度に私は安心しきっていた。

それからというものの、トウヤさんはこれまで以上に店を訪れてくれるようになった。変わらず来てくれるのは嬉しいけど、少し困ったことになった。トウヤさんが何かと私に触れてくるようになったのだ。はじめは食事を運んだ時に手と手が触れ合うくらいで、それも偶然だと思っていた。しかし、それは次第にエスカレートしていって、手を握られたり、腰に腕を回されたり、他のお客さんの目を盗んで明らか故意にやってくる。やめてくださいと言っても白を切られてしまい、相手は一応お客さんだから強く言うこともできない。今日は何をされるのだろうと思うと、店に出るのも憂鬱になっていった。

「ひよりちゃん元気ないね」
「……そんなことないですよ」
「何か心配ごとがあるなら話聞くよ」

いつかの時のように、カカシさんが優しく問いかける。どうしてこの人は、私の異変にすぐに気づいてくれるのだろう。本当はカカシさんにすべて打ち明けてしまい。「助けて」と私が言えば、優しいこの人は力になってくれるだろう。でも……トウヤさんの視線が痛い。私がここで助けを求めたら、カカシさんにまで迷惑がかかってしまう。

「……少しぼーっとしてただけです。ご心配おかけしてすみません」

なんでもないように笑顔を作ると、カカシさんはそれ以上何も聞いてこなかった。



閉店後、店の片付けを終えた父がいそいそと出かける準備をはじめる。今日はウミさんやヤマさん達と外で飲み会があるそうだ。私も誘われたけどパーっと騒ぐ気分にはなれなくて、留守番することにした。

「あまり飲みすぎないでね」
「わかってるよ。戸締りよろしくな」
「うん。いってらっしゃい」

わかってると言いつついつもべろんべろんになって帰ってくるのだ。今日もそうなんだろうなと思いながら見送って鍵を閉める。店の帳簿の記入を終わらせてしまおうとテーブルに腰をかけようとした時、戸がカタンと音を立てた。

「すまないひより、開けてくれないか」

それは父の声だった。さっき出て行ったばかりだけど忘れ物でもして戻って来たのかもしれない。馴染んだ声に安心しきった私はなんの躊躇もなく扉を開けた。

「こんばんは、ひよりちゃん」
「っ……トウヤさん!」

そこに居たのは父ではなくトウヤさんだった。昼間の彼の視線を思い出して咄嗟に扉を閉めようとする。しかし彼は力づくでこじ開けて強引に中に入ってきた。

「俺声変えるの得意なんだ。親父さんみたいだったでしょ?」
「来ないで……」

縺れそうになる足で後退ると、腕を掴まれ勢いよく突き飛ばされた。痛みで目を閉じた一瞬の間にトウヤさんが馬乗りになってきて、腕を床に縫い付けられてしまう。振りほどこう力を入れても一般人と忍の力の差は歴然で全然びくともしない。

「離してください……!」
「声震えてるよ。怯えた顔も可愛いね」

冷たい視線がつき刺さる。私を元気づけてくれていた笑顔が今はとても恐ろしいものに感じる。どうしてこんな状況で笑っていられるのだろう。

「なんでこんなこと……」
「ひよりちゃんさ、この前カカシさんと食事に行ってたでしょ?」
「……!」
「カカシさんとは行くのに俺とは行ってくれないなんて、ひどいんじゃない?」

抑揚のない声に苛立ちが混ざる。

「ひよりちゃんは俺のモノなんだから俺だけに笑ってくれればいいのに他の男に愛想振りまいてさ、ひよりちゃんのそういうところすごいムカつくんだよね。二度と他の男に笑顔なんてむけられないようにめちゃくちゃにしてあげる」

言うやいなや、トウヤさんが首筋に顔を埋める。

「や、やめて……!」
「俺のモノだって印いっぱい付けておかないとね」
「……あっ……ゃ……」

トウヤさんから逃れようと顔を左右に振ってみても、私の抵抗なんてまるで意に介していない様子で、震える体に時々ちくりと痛みが走る。

「……助けて……カカシさん」
「あいつの名前を呼ぶな!」

激昂したトウヤさんに乱暴に首を掴まれ、爪が食い込むくらい力を入れられて息ができない。苦しくて、怖くて涙が溢れてくる。

「……う……あ……」

助けて……誰か……カカシさん……

朦朧とする意識で思い浮かぶのはカカシさんの顔。こんなことになるなら、あの時ちゃんと助けてって言えばよかった。だけど今更悔いてももう遅い。

「二度とあいつの名前なんて呼べなくしてやるよ」

霞む視界でトウヤさんがクナイ取り出して大きく振り上げるのがわかった。それでも今の私にはどうすることもできなくて、痛みに備えてぎゅっと目を閉じた。

「うあっ!」

トウヤさんの呻き声と椅子の引っくり返る音がしたのはほぼ同時だった。首の圧迫感と体に圧し掛かっていた重圧感がなくなる。

「ひより!」

優しい声にゆっくり目を開ける。霞んでいた視界がはっきりとしてきて、心配そうに顔を覗きこんでいたのは

「カカシさん……」
「ひより……っ」

カカシさんに抱き起されて腕の中にすっぽり包まれる。その力強さと温かさに、体の震えが徐々に落ち着いていく。さっきまで怖くて気持ち悪くて堪らなかったのに、カカシさんの匂いに包まれるだけで心が安らいでいく。

……もっとカカシさんを感じたい。

縋るように背中に腕を回すと、痛いくらいに強く抱きしめてくれた。


カカシさんは私が落ち着くまでの間、ずっと抱きしめていてくれた。


どれくらいの時間そうしていたのだろう。
ゆっくり体を離して顔を上げると、カカシさんの指が目尻に溜まっていた雫を拭った。

「大丈夫?」
「はい……カカシさんどうしてここに?」
「昼間のひよりちゃんの様子が変だったから気になって……遅くなってごめん」
「どうして謝るんですか?むしろ感謝したいくらいなのに。カカシさんが来て下さらなかったら私……」

トウヤさんにされたことを思い出して、また涙が溢れてくる。

「もう大丈夫だよ」

カカシさんの手が頬を包み込んで、頬を伝う雫を掬い取るように布越しに唇が触れる。驚く間もなく、目尻から頬、顎に垂れた雫を掬い取った唇が、ちゅっと首筋に押し当てられる。思わず甘ったるい声が出てしまって視線を逸らそうとすると、無理やり視線を合わせられた。カカシさんの視線は真っすぐ私に向けられている。暫く見つめ合って、唇が吸い寄せられるように近づいてきて、そっと目を閉じた。



「ただいま……ひより?」

父の声にハッとして慌ててカカシさんと距離をとる。

「なんだこれは……!」
「え、あ、これは……」

店の惨状と店の端に伸びているトウヤさんを父になんて説明しようか迷っていると、カカシさんが代わりに説明してくれた。その間もこの胸の高鳴りはちっともおさまらなくて、ただ静かに目の前の大きな背中を見つめていた。



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