ひより | ナノ

ふわふわと夢を見ていた気がする。

カカシさんの腕の中に包まれて、頬や首筋にそっと口づけられる。見つめ合って、吸い寄せられるように唇を近づけると、カカシさんの顔が一変してトウヤさんに変わる。

「二度とあいつの名前なんて呼べなくしてやるよ」



ハッとして目を開けると、見慣れた天井が広がっていた。

「……ゆめ……?」

なんて気分の悪い夢なんだろう。全部夢のはずなのに首筋がヒリヒリする。起き上がろうと体を動かすと背中がずきりと痛んだ。もしかしてと思い化粧台の前に座って鏡に映る自分の姿を見つめると、首筋には鬱血痕がくっきりと残っていた。

「……夢じゃないんだ」

残された所有印が、まるでこの体はトウヤさんのものであるかのように主張している。昨晩体を洗う時に強く擦りすぎたせいで少し皮が剥けていた。それでも、あの人に触られた感触が残るよりは全然いい。記憶も傷痕もすべて洗い流せればいいのに。

冷たい瞳で見下ろす顔を思い出すだけで怖くて堪らなくなる。それなのにカカシさんのこと思い出すと胸が熱くなって恐怖が和らいでいく。あんな風に男の人に力強く抱きしめられるのは初めてのことで、ましてやキスしそうになるなんて。……思い出しただけでも恥ずかしい。

あの時、カカシさんはどんな気持ちで私にキスしようとしたんだろう。私を安心させる為?慰める為?それとも……――





首の隠れる服に着替えて一階に降りると、トントンと心地よいリズムで包丁を走らせている父が少し驚いたように顔をあげた。

「おはよう、お父さん」
「ひより……今日は俺一人でやるからお前は休んでいいと言っただろ」

昨晩、カカシさんから事情を聞いた父はトウヤさんのことにとても驚いて、すごくショックを受けていた。暫く店も休んでいいと言われたけれど、二人で切り盛りしているこの店は、一人欠けるとその分もう一人に負担がかかってしまうし、父にこれ以上心配をかけたくない。

「私は大丈夫だよ。ほら、準備始めないと間に合わなくなっちゃう」

気丈に振舞おうと精一杯の笑顔で笑ってみせた。父は何か言いたげだったけど、それに気づかないふりをして仕込みへと取り掛かった。




カラカラと戸が開く音に体がびくりと跳ねる。
戸を見たまま呆然と立ち尽くす私に入って来た常連さんが不思議そうにしている。

「ひよりちゃん?」

ハッとして、慌てて笑顔を作る。

「……いらっしゃいませ」

一瞬、トウヤさんが入ってきたのかと思った。

トウヤさんは昨晩カカシさんに連行された。なんらかの罰が与えられるとおっしゃっていたから、来るはずないとわかっているのに。植え付けられた恐怖はそう簡単に拭えなくて、戸が開く度にトウヤさんが来たのではと思いってしまい、集中できない。



「ひよりちゃん何かあった?」
「今日少し変じゃない?」

いつものように来ているウミさんヤマさんコンビが心配そうに尋ねてきた。ふざけているようでよく見てるなあと感心してしまう。私のことを子どもの頃から知っている二人だ。この店で親同然のように接してくれる優しい二人は、昨日のことを知ったら心を痛めてしまうだろう。何でもないですよ、と笑顔を作って答えると、二人は渋い顔をした。

「ひよりちゃ……」

ウミさんの言葉を遮るように戸が開く音が店内に響く。

「いらっしゃいませ……カカシさん……」
「……なんて顔してるの」
「え?」
「来て」

私を見るなりみるみる顔を歪めたカカシさんは、私の手をとるとずんずんと店の奥へと入っていく。父に奥の部屋を借りる事を簡潔に伝えるだけで、何事かとこちらを見ている他のお客さんには目もくれない。……もしかして怒っている?ウミさんもヤマさんも他のお客さんも困惑する中、父だけはカカシさんの機嫌が悪い理由がわかっているみたいだった。

店の奥――住居の一角である居間に来ると、カカシさんは漸く足を止めて振り返った。

「……何で店に出てるの?」

カカシさんのいつもより低い声にどきりとする。やっぱり怒っているみたいだ。

「なんでって……仕事ですから」
「昨日親父さんに休めって言われたよね?」
「私は大丈夫ですよ」
「そんな酷い顔で何が大丈夫なの?」
「酷いだなんてそんな……!」
「今にも泣きそうな顔してる」
「……」
「そんなんじゃお客さんを逆に不安にさせちゃうよ」

カカシさんの言う通りだ。常連さんたちは言葉にしない人もいたけどみんな心配してくれてたし、新規のお客さんは困惑していた。

「怖いなら無理することないよ」
「でも父に迷惑が」
「……ひよりちゃん本当親父さんと店のこと大好きだよね」
「いけませんか?」
「他人を思いやれるのはひよりちゃんのいいところだけど、もう少し自分を大切にしなさい」

まるで、親が子どもに、先生が生徒に言い聞かせるみたいに、その声はとても優しくて甘い。

「オレの前では強がらないでいいから」

カカシさんの視線が落ちて、長い指が服の上から首筋の痕をつーっとなぞる。

「……っ」
「痛い?」
「……昨日自分で擦っちゃって」
「見せて?」

私が頷くのを待ってから、壊れ物を扱うようにそっと服の縁に手をかけたカカシさんは、首が見える位置にまで引き下ろした。

「……皮剥けてる」

鬱血痕をじっと見つめられて、恥ずかしくて視線を彷徨わせていると、「少し我慢してね」と低い声がして首筋に熱いものが伝う。

「……っ」
「怖い?」
「怖くないです……カカシさんだから」

直に熱い舌に撫でられて、ヒリヒリと焼けるように痛むのに、全然嫌じゃない。
トウヤさんにされた時は怖くて気持ち悪いだけだったのに、カカシさんに触られると体の奥から熱が込み上げてくる。

……もっと、カカシさんで満たされたい。

逞しい背中に腕を回すと、カカシさんの腕が腰に回る。胸が張り裂けそうなくらいどきどきするのに、この人の腕の中はとても安心する。

どれくらいそうしていただろう。長いような短いような。体を離してカカシさんの黒い瞳と目がかち合う。

「もう自分を傷つけるようなことはしちゃダメだよ」
「……はい」
「わかったら今日はもう休みなさい」
「でも仕事戻らないと」
「そんな顔で戻る気?」

自分の頬を両手で覆うようにして確かめると確かに熱かった。自分じゃ見えないけど顔も真っ赤になってるに違いない。

「そんな顔で仕事してたら、また変なヤツに目付けられちゃうと思うけど」
「……それは困ります」
「じゃ、大人しく休もうね」

こんな顔にさせたのはカカシさんのせいなのに……でも――。

カカシさんの顔をじっと見つめていると、口布を戻しながらどうしたの?と首を傾げた。

「……心配してくれるんですか?」
「心配だよ。君はそういうとこ結構疎いからね」

私そんなに鈍いつもりはないんだけど、トウヤさんのことカカシさんは気づいてたのかな。
もしかして今日も心配して来てくれたのかもしれない。

「わかりました。今日はもう休みます」
「ん、店にはオレから伝えておくよ」

カカシさんは私の頭をくしゃりと撫でると店の方へと戻って行った。



白銀に焦がれる



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