ひより | ナノ

火影様に任務の報告を終えてアカデミーの廊下を歩いていると何者かに引き止められた。声をかけてきたのは今日の任務に一緒にあたっていた中忍の女だった。女は何かを言いかけてから閉口すると視線を泳がせ胸の前で組んだ指を落ち着きなく動かしはじめる。やや赤みを帯びた頬が、この後に続く言葉を容易に連想させた。

「カカシさん、この後一緒に……食事でもいかがですか?」

……やっぱりか。予想と寸分違わぬ言葉に溜め息が出そうになる。
女の後ろの柱に一瞬目を配り、すぐに女に向かってにこりと笑ってみせた。

「悪いけど、この後先約があるのよ。ね、アスマ」
「え?」

女の後ろに向かって呼ぶと、柱の陰から気まずそうにアスマが姿を現した。女はアスマの気配に気づいていなかったのだろう。突然のアスマの登場に目を白黒させている。

「ま、そういうわけだから食事は別のヤツ誘ってね」

いまだ状況を読み込めず呆然と立ち尽くす彼女の横を通り過ぎ、長い廊下へと身を消した。

「で、オレはいつお前と昼飯の約束なんてしたんだ?」
「いやーお前が丁度通りかかってくれて助かったよ、アスマ」

さっきの中忍の女がオレに気があることは任務中に向けられる視線からも感じとってはいた。だから火影様への報告は隊長である自分がするからと他の隊員とは早々に解散したというのに、まさか待ち伏せされるとは……。

「色男は大変だな」
「ま、肩書き目当ての女ばかりだけどね」

こちらにその気は全くないのに優しくすれば自分に気があるのだと勘違いされ、一度誘いを受ければまた次もあると期待される。その為女性とは任務以外では極力余計な関わりを持たないよう努めてはいるが、エリートだとか上忍という肩書きを目当てに寄ってくる女は後を絶たない。……しかし、ただ一人、定食屋の彼女だけは違った。



約一か月半前、アスマに旨い定食屋があると連れられて来た店は、店主と看板娘の二人で切り盛りしているような小さな店だったが、店内は常に活気と笑顔に溢れていた。店の常連客から『ひよりちゃん』の愛称で親しまれる彼女は、常に笑顔で誰に対しても優しく、常連客から娘や孫のように可愛がられているようだった。
忍の世界のことを何もしらない彼女は、オレがちょっと名の知れた忍であることを知っても態度を変えることはなかった。羨望も妬みも打算も下心も何もない。一人の客としてみてくれる彼女の側はとても居心地がよくて、気づけば彼女に会いに何度も店に行くようになっていた。話をしていくうちに彼女の人柄の良さや、彼女がいかに店や客を大切にしているかが伝わってきて、微力ながら足掻く姿に力になってあげたいと思うようになっていた。彼女だけじゃない。店の主人も、よく顔を合わせる常連客も、この店にいる人たちは皆あたたかくて、ここでなら殺伐とした日々で失っていた何かを取り戻せるような気がした。



外に出るとふわりとした香りが鼻孔を擽る。嗅いだことのある香りにこれはなんだっただろうかと思考を巡らせていると、出入口の近くに橙黄色の小さな花を咲かせている木を見つけた。本来の時期から少し遅れているのは夏の猛暑の影響だろうか。思わず木の前で足を止めるとアスマも同じように足を止める。

「どうかしたか?」
「こんなところに金木犀なんてあったか?」
「この木は以前からあるだろ」
「……そうか」

アカデミーには頻繁に出入りしているはずなのに、今まで気が付かなかった。……いや、知ろうとしなかっただけだ。ひたすら任務をこなしているだけの自分には、ここに金木犀の木があろうがなかろうが、木花や季節の移り変わりなんてどうでもいいことだった。
それが今になって気づいたのはきっと彼女の影響だ。目に映るものすべてに目を輝かせ、まるで少女のように四つ葉探しに夢中になる彼女――ひよりちゃんなら、すぐに気づいて「いい香りですね」と朗らかに笑うのだろう。

「カカシお前……」
「ん?」

アスマはじっとオレの顔を見つめると、何でもないと言葉を濁した。



アスマの提案により昼食は『日和』で摂ることになった。イチャパラに目を通しながら大通りを歩いていると、アスマが思い出したように口を開く。

「そういやカカシ、お前よく『日和』へ行っているらしいな」
「……誰に聞いたのそれ」
「この前偶然ひよりに会った時にな。最近店に来ないって心配してたぞ」
「……」

ひよりちゃんが繁華街に行くと言うので、すこーし火影様に無理を言って休みをとった結果、その後一週間任務をこれでもかと詰め込まれた時のことだろう。あの時は忙しくて店に行く余裕もなかったが、一通り片付いたその日の夜、彼女の顔がどうしても見たくて閉店間際にも関わらず店を訪れた。その結果一目見るだけでは足らず、外に食事へ連れ出したのは先日のことだ。

「なあカカシ……お前ひよりのこと…」
「おーい!カカシさーん!」

アスマの言葉を遮るように通りの向こうから大きい声で名前を呼ばれた。声のする方を見ると、向かいにある八百屋から『日和』の常連客の一人であるヤマさんが笑顔で大きく手を振っている。軽く会釈すると手招きをされたので、アスマと顔を見合わせてから近づいた。

「こんにちは」
「急に呼び止めて悪いね」
「いえ……どうかされましたか?」
「大した用じゃないんだけどいい梨が手に入ったからさ、ひよりちゃんに渡しておいてもらえないかな」
「いいですよ。丁度店に行くところなので」
「ありがとう、助かるよ」

受け取った袋はずしりと重たい。袋からはみ出そうなくらい梨が詰められている。これを見たひよりちゃんの喜ぶ顔を想像して、なぜだか自分まで嬉しくなった。

八百屋を後にして店へ向かう途中、魚屋の前を通ると今度はウミさんに呼び止められた。どうやら今日はちゃんと仕事をしているらしい。

「カカシさん悪いんだけど、このイカの塩辛ひよりちゃんに渡してくれないかい?今日は女房がうるさくて抜け出せそうになくてさ」

……オレはひよりちゃん専属の宅配屋に思われているのだろうか。丁度店へ行くついでだからと了承すると、ウミさんは「ありがとう」と豪快に笑った。喜んで貰えているのだと思うと悪い気はしなかった。



「カカシ、お前変わったな」

魚屋を後にして店へと向かいながらアスマが言う。視線を手元の本からアスマに向けると、アスマはこちらをじっと見ている。

「何が?」
「以前より笑うようになったというか……雰囲気が柔らかくなったな」
「気のせいでしょ」
「いや、以前のお前なら金木犀を見て笑うことも、商店街の店主に話しかけられることも、それを喜ぶこともなかっただろ」
「……」
「誰がお前をそうさせたんだ?」

アスマは疑問を投げかけているようで、その口調は確信を得ているようだった。

自分ではあまり自覚はないが、変わったというのならそれは、間違いなくひよりちゃんのお陰だ。彼女に出会わなければ、何気ない景色の変化に気付くことも、他人と関わることも、それを疎ましく思わないこともなかっただろう。ましてや、右手に持つ袋の重さが幸せの重さだなんて、少し前の自分なら思いもしなかった。

大切な人は皆死んでしまった。もう二度と大切な人は作らないと決めた。そのはずなのに……――

通りの角を曲がると藍色の暖簾が目に入る。『日和』の文字を追いながら木製の戸に手をかけると、ガラガラと年季を漂わせる音を立てる。それに気づいた彼女がこちらを見てふわりと微笑む。

「いらっしゃいませ!……こんにちはカカシさん、アスマさん」

太陽のように温かい笑顔に、凍り付いていた心が、じわり、じわり、と溶けていく。

今日もたくさんの笑顔と笑い声が響くその場所は、陽だまりのように温かかった。



陽だまりの場所



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