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「#エロ」のBL小説を読む
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 東京の外に出たのは何年振りだろう。
 改札を抜け、近くのゴミ箱にただの紙切れとなった乗車チケットを捨てる。九十九屋真一という男から送られてきたものだ。
『新幹線を利用したほうがいいだろう。席はこちらで確保しておいた。今日中には手元に届くよう手配してある』
 メールに書かれていた通り、チケットはその日中に送られてきた。夕方、アパートのポストを確認しに降りていくと、いつのまにか茶封筒が入れられていたのだ。
 ひっくり返して隅から隅まで確認してみるものの、当然のように送り主の個人情報は一切記されていない。臨也の同業者を自称するだけあって、不明朗なことこの上ない。
 新幹線が嫌いなわけでないが、今この状況が得体の知れない男からもらったチケットで乗車し成り立っている、という事実が静雄を苛立たせる。
 ピロン、とまるでどこかから静雄を監視していたかのようなタイミングで、メールの着信音が鳴った。開かずとも相手はわかる。九十九屋だ。
『駅から折原の住所までは距離がある。免許を取ったそうだから、車を使うといい。駅前の店に話をつけてある。色は黒、ナンバーは4213。俺の名前を出せば車が借りられるだろう。返す必要はない、好きに使うといい』
 指示するような文章に、こめかみがヒクつく。この男の思い通りに動くのはシャクだったが、ここまで来てしまった以上、割り切るしかない。だが、いつか必ずぶん殴ってやる。
 物騒な決意を胸に、車を借りるため指定された駅前のレンタカーショップへ立ち寄る。用意されていたのは黒のワンボックスカーだった。
 車体の前後には、丁寧なことに初心者マークも貼られており、なんともチグハグ感が凄まじい。もう少し小さな車種でもよかったんじゃねえのか、といった文句を言える相手はここにはいない。
 店員の中年男性は九十九屋の名前を聞くと、「ああ」とだけ答え、静雄に鍵を渡して忙しそうに店内へ戻っていった。多少の説明があると思っていたのだが、ひとり車の前に取り残され唖然とする。レンタルするわけでなく、預かっていた車を引き渡したという体だからだろうか。止むを得ず、ぎこちない動きでひとり車に乗り込む。
 まだほとんど利用されていないようで、車内からは新車独特の匂いがした。なんと、カーナビまで取り付けられている。比較的新しい車種のようで、鍵を差し込まなくともエンジンがかかるタイプのものだった。
 そろそろとアクセルを踏み込み、ハンドルをきっちり両手で握る。
 教習所を卒業してから日が浅い上に、右も左もわからない土地での運転だ。油断は禁物である。
 慎重に慎重に、ナビを頼りに車を走らせた。  
 池袋での運転はやたらと車が多くイライラして仕方なかったが、こういう開けた土地での運転は悪くない。窓から入る初夏の風が匂って心地よい。
『ルート案内を終了します。運転、お疲れ様でした』
 無機質な女の声が車内に響いた。慣れないながらもどうにか目的地付近に到着できたことに安堵する。
 目についたパーキングに車を停め、施錠を手で確認した。しっかり鍵が掛かっている。
 機械から駐車券を受け取って、メールに書かれていた住所へと半信半疑のまま歩き出す。臨也がいるという住所は、ここからおよそ徒歩五分。池袋からはずいぶん離れた地方都市の外れを示していた。
 このような辺鄙なところに、あの人間を愛しているだとか吹聴する男がいるというのか。
 アイツが好きそうな人間がわんさかいる場所までは、ナビ通りの道順だと車で二十分はかかる。疑いは深まる一方だ。
 もしも手の込んだ悪戯なら、九十九屋というヤツを見つけ出してぶっ飛ばす。臨也はそれから捜せばいい。
 もともとなんのアテもない状態からシラミ潰しに探す予定だったのだ。潰す場所がひとつ減ったと思えばいい。
 ──もし、本当に臨也がいたら。
 ここに来るまでに、ただひとつだけ決めていることがある。



 たどり着いたのは、やたらと大きな平屋の一軒家だった。目の前の家屋から、なにか強烈な違和感を感じる。
 ──そうだ。建物が低すぎる。
 アイツは訳もなく高いところを好み、いつも静雄を見下ろしていたはずだ。静雄の覚えている臨也の顔は、圧倒的にこちらを見下げている角度のものが多い。
 それがたとえコンクリートブロックひとつでも、そこに登れるものがあれば登らずにはいられないような、猫のような性質の持ち主だ。
 それが、このような平屋に? 
 やはりガセだったのでは。静雄の胸を、不信感が過ぎる。
 ──関係ない人間の家だったら、変な目で見られるよな。
 だがここまで来てなんの確認もせず帰れば、新幹線以外の交通費と、時間の無駄もいいところだ。
 人間違いであったら、素直に謝ろう。
 観念して、チャイムを鳴らす。インターホンから返事はなく、代わりに目の前のドアが無防備に開かれた。
「どうしたの? なにか忘れ物でも──」
 聞き間違えるわけがない。
 よく知っている、だれもが賞賛するあの声だ。もう丸三年はその声を聞いていなかったというのに、不思議と懐かしさは感じなかった。
 しかし静雄の目線に臨也の姿はない。自然とおろした視線の先に見つけた、見慣れた黒い塊に目を見開く。
 臨也も、きっと静雄と同じ表情をしている。雷に打たれたような衝撃を感じた。
「手前……」
 その姿をまったく想像しなかったわけではない。だが、実際目にしたときのショックは大きかった。
 感情と行動が直結せず、静雄は立ちすくむ。
「──なんで」
 先に動いたのは臨也だった。車椅子に乗っているとは思えない俊敏さで、戸を閉めようとドアノブに手をかける。
 とっさに静雄もドアに手をかけて阻んだ。引き戻す力に抗おうとするも腕が痛むのか、臨也は眉を顰め、ついに腕を垂らす。
 静雄は隙を見て強引にドアを開け、中に押し入った。臨也は静雄に目もくれず、膝にかけていたポンチョコートの内側を漁りだす。まだ何かあるらしい。
 ナイフを取り出す動きとよく似ていたから、初動が遅れた。臨也の取り出したものはナイフではなく、ケータイだった。それは今の静雄にとって、ナイフよりよっぽど都合が悪い。
 臨也がどこかへ連絡するより先に携帯を奪い取り、床に投げつける。つり上がった目が苦々しく細められた。
 叩きつけたケータイを拾い上げ、自身のズボンのポケットにしまう。ケータイがこれしかないとすれば、臨也が外界に連絡する手段はもうないはずだ。
 ドアを開けたときの言葉や、玄関の靴の様子から、ここに住んでいるのが臨也だけでないことはわかった。ひとまわり小さい、カラフルなこども靴。臨也とはサイズの違う男物の靴。複数人の人間とこの家で同居しているのだろう。
 だが今、ひとの気配はない。絶好のチャンスだ。
「クソ、よりにもよって坐さん不在時かよ……」
 ボソッと、聞き取れないほど低い声で何かぼやく。
 低い位置から静雄を睨みつけるその目には、怒りは宿っていても、殺意は見つけられなかった。どこか、影があるようにすら見える。
「中に入れろよ」
「ひとの家にあげてもらう側の言葉とは思えないね。まるで脅しだ。なんなら警察を呼んだっていいんだよ?」
「手前なら、呼べるならとっくに呼んでんだろ」
 臨也は露骨に眉を顰めた。表情を消し、無言で電動車椅子を操り奥の部屋へと消える。
 ついてこい、という意図と捉えていいだろう。追い払えないと踏んだらしい。
 静雄は靴を揃えて脱ぎ、のっそりと臨也のあとを追う。リビングと思われるドアの脇で、臨也は車輪を止めた。奥に置かれているカウチソファを顎で示す。
 遠慮なく、どっしりと腰かける静雄を見て、さらに臨也の顔が歪んだ。静雄が肘かけに腕を乗せたのを確認すると、完全にリビングに入るくらいのところまで車椅子を移動させた。
 なんの気もなしに、ソファの前のテーブルに目をやる。置かれていたのは淡いクリーム色をした、この県の有名な土産菓子だ。
 ついさっきまでテレビを見ながらつまんでいたようで、包装紙の上に食べかけの半分が残されている。頑張れば一口で食べられるそれを、臨也はナイフとフォークを使って食べていたようで、銀食器にクリームがついていた。
 そういえば、こういう普通でないことを面白がってする男だった。ここにきて若干の懐かしさが込み上げてくる。
「普通、こういうのってあげるものなんじゃねえの」
「……貰い物とは思わないのかい」
「わざわざここに住んでるヤツにあげるもんじゃねえだろ」
 リラックスしている静雄とは異なり、臨也は全身で警戒を訴えている。
 静雄から視線を逸らさないまま、目にかかった前髪を細い首ごとゆすって払う。雰囲気が違うのは車椅子だけのせいではなかったようだ。
「……髪、伸ばしてんのか」
「伸びたんだよ。この有様でね。美容室どころか庭すら満足に出歩けない始末さ。……ああ、確かにそろそろ切りに行かないとな」
 前髪に目をやり、鬱陶しそうに先端を指先でつまむ。臨也がそれきり黙ったせいで、広い部屋に沈黙が降りてきた。
 ここへやって来たのはいいものの、まさか本当に臨也がいると思っていなかったから、会って何を話すかというところまで考えていなかった。もともと口下手な静雄はどうすればいいのか迷って、当たり障りのない話題を選ぶ。
「雰囲気、変わったな」
「……シズちゃんは変わらないね。その格好も──反吐がでるくらい変わってない。それともわざとそんな服装できたのかい? 嫌がらせかな?」
「別に……手前に会うならこの服だろうって思っただけだ」
 臨也の目が鋭く細められる。忌諱に触れてしまったらしい。
 あれほど飛び跳ねられないようにしてやろうと思っていたのに、いざそうなった姿を目の当たりにするとどうしようもなく落ち着かない。触り心地のよいソファカバーの端に何度も手を触れて、平静を保つ。
 あの日、臨也にしたことを静雄は後悔していない。だというのに、胸の辺りがざわざわして気持ち悪い。
「その、車椅子ってよ……」
「シズちゃんさあ、そんな話をしにきたわけじゃないでしょ」
 有無を言わせない気迫に、言葉をのみ込む。
 怪我の具合はどうなんだ。
 ほんとうに歩けないのか。
 訊きたいことはひとつも言葉にさせてくれない。
 臨也は芝居がかった動きで肩を竦め、深く息を吐き出した。
「はあぁ、そこでだんまり? じゃあ俺から訊くけど──どうやって、この場所を知った」
「それは……九十九屋真一ってヤツが教えてくれた」
「九十九屋が? なんで……ていうかなに、知った顔だったの、君たち」
 臨也の顔に純粋な驚きの色が広がる。どうやら、臨也と同業者というのは事実らしい。
「知らねえよ。いきなりメールがきたんだ。手前の居場所を教えてやるって」
「……なるほど。それで俺が生きてるのを知って、とどめを刺しに来たってことか。それにしても野生動物みたいなシズちゃんが、よくそんな怪しいメールを信じたもんだ」
 池袋を駆け回っていた頃なら、臨也の挑発するようなこの言葉にも噛みついていただろう。それができないのは、現在の臨也の姿と過去のそれがあまりにもかけ離れているからだろうか。
 いつも臨也の一字一句にキレてばかりいたから、普通の会話の仕方というものがわからない。どうしようもなくなって渋々、九十九屋の言葉を借りた。
「……帰ってきてほしいみてぇだったぞ」
「は? 誰が? 九十九屋が? いやまさか、ありえないって。シズちゃん、踊らされてるんだよ。にしても……へぇ。シズちゃんって、九十九屋の掌でなら踊るんだ」
 臨也はなにを考えているのかわからない表情のまま、ぼんやりと呟く。機嫌がよくないのだけは確かだ。
「俺は、俺の意思でその九十九屋ってヤツからの情報を利用しただけだ」
「あっそう。この上なくどうでもいいね。で、知らない人間からの情報を馬鹿みたいに鵜呑みにしてまで俺を捜し出してくれたわけだけど──シズちゃんは一体ここに何しにきた? 仲良く話しして、お茶を飲むため? 違うよねぇ。俺たちそんな仲じゃないよね」
 臨也はほとんど一息に捲したてる。その声と滑舌の良さは、池袋にいた頃となにひとつ変わっていない。
「なにしに……来たんだろうな」
「はあ?」
 気の抜けた声とは裏腹に、その表情は険しい。呆れているのか、機嫌を損ねたのか、どちらにも当てはまる顔をしていた。
「なんつーか……手前が生きてるってわかって、居場所もわかって、それなら取っ捕まえねぇとって思った」
「短絡的思考だね。まるで獣だ。でも残念、あいにく取っ捕まる気はないんでね。さあ帰った帰った」
 目を眇め、ひらひらと犬を追い払うように手を振る。ここまで来て簡単に引き下がるわけがない。臨也もわかっているはずだ。
 ソファから立ち上がり、ずんずん入口へ近づく。腕を伸ばせば触れられる距離まで接近した。静雄の影が臨也の上に落ちる。
「なに……」
 一瞬の怯みは隠しきれなかった。ビクッ、と前より痩せた肩が跳ねる。臨也はそれをなかったことにして、言葉を並べ立てた。
「とどのつまり、喧嘩の決着をつけにきたってことだろ? いまさらトドメを刺す? 俺に? 遠路はるばるご苦労なことだけど、もうシズちゃんにその権利はないよ。あの時、自ら捨てただろ。君だってよくわかってるはずだ。あの夜──君は俺を殺せたのに殺さなかった。絶好のチャンスだったのに。いいか? シズちゃんは俺を殺せなかったんじゃない。殺さなかったんだよ。わかったならさっさと自分の巣に帰れ」
「いまさら手前を殺す気なんてねえ」
 臨也の顔に朱がさす。目を剥き、眉を吊り上げる。
「だったら何しにきたんだよ! 化け物に叩きのめされ、化け物のおかげで命を取り留めた俺を笑いにきた!?」
 フーッ、フーッ、と猫が威嚇するように息をする。臨也がここまで感情まかせに怒鳴り散らすのを見たのは初めてだった。
 あの夜の一件は、臨也の精神面にも大きな意味を与えたらしい。言い難い感情が込み上げて、知らぬ間に口端が上がる。
「ッ……! 離せ!」
 むんずと細い肩を掴み、車椅子から臨也の身体を抜き取る。両腕をめちゃくちゃに振り回されたが気にしない。米俵のように臨也を担ぎ上げ、臭いの濃い部屋へ向かう。
 放り投げられた臨也の重みにベッドが軋む。足が痛んだのかくぐもった声が漏れた。
 ろくに受け身もとれずに、間抜けな格好で着地する臨也は新鮮だった。体勢を整えられる前にすばやく覆いかぶさる。
「なんのつもりだ」
「わかるだろ。訊くなよ」
「わからないね。全くもってわからない。ていうか、顔、近いんだけど?」
「キスするから」
 あからさまに臨也の顔が引き攣る。本気なのが伝わったらしい。得意のポーカーフェイスが崩れている。
 まつ毛が触れ合うほど近づいたのに、すんでのところで顔を横に倒し避けられる。静雄の唇が触れたのは臨也の頬だった。
 馬鹿にするような態度にムッとした。臨也の顔を正面に向け、指で口をこじ開ける。
「むぐ! ぅあッ……んんぅ! ふぅ……!」
 臨也は静雄の手をなんとかしてどかそうと、爪を立て、力技で引き剥がしにかかってくる。
 静雄にとってまるで意味のないことだが、ふと悪戯心が芽生えた。臨也の指をこちらから絡め取って、口内に突っ込んでみる。驚いて手を引っ込めようとするのを無視して、ちいさな口をかき乱す。あぐあぐと閉じられない口で抗う様が、餌を欲しがる金魚のようだ。
「ぁう、うむぅ! んむ……んんーッ!」
 開けられたままの口から、絡まった腕に唾液が伝った。口づけるのに邪魔になって、紅い舌をつまんでいた手を引き抜く。
 口内が自由になった臨也は、途端にけほっとむせ込んだ。手の甲で口元をゴシゴシ拭い、顎に添えていた手をもぎ取られる。
「し、シズちゃん!」
「なんだよ」
「こんなことしたら……ほらあの子が悲しむんじゃない? いや間違いなく悲しむね。やめたほうがいい」
 珍しい。臨也が声を平坦に保てず、早口になっている。滑らかな頬に手を添えたまま、顔のごく近くで訊く。
「あの子?」
「君を身体張って庇った……あのロシアの。あの子と、いい感じなんじゃなかったの。でなけりゃ、あそこまでしないだろ」
「なんだそりゃ」
 静雄に近しい人間のヴァローナを、もしくはあの夜のことを話題に出せば、動揺を誘えると思っていたのだろう。なんでもないふうな反応を目の当たりにして動揺したのは臨也のほうだった。
 馬鹿なヤツだ。この期に及んで、まだ口で静雄をどうにかできると思っている。
 静雄の手首を掴み制止するのを無視して、強引に口づける。硬く閉じられた唇をこじ開け、無理やり舌を突っ込む。臨也の舌が逃げるから、追うようにして上顎をなぞった。臨也の上半身が大きく揺れる。
 不穏な気配を察し、とっさに舌を引っ込めた。ガチン! と歯と歯が合わさる嫌な音が立つ。あと少しでも遅ければ噛み切られていた。ペッ、と嫌そうに臨也が唾を吐き捨てる。
 キスは一旦諦めることにした。それならばと、臨也の股を刺激するようにぐりぐりと膝を擦りつける。残念なことに、硬くはなっていない。
「──ッ!」
 ここにきてようやく、その可能性が臨也のなかで頭をもたげたらしい。
 気づいてからは早かった。
 暴れ、力の限り静雄を突き飛ばし、ナイフの代わりに置き時計やクーラーのリモコン、投げられる全ての物を投げつけてきた。
 自由に動かない脚がバランスを崩し、臨也は鈍い音を立てて胴から床に転がり落ちた。立ち上がろうとして失敗し、気持ちだけが先走っている。
 どう足掻いても逃げられないというのに、両腕だけで這ってドアを目指す姿は健気ともとれた。
 ずる、ずる、と身体を引きずる臨也の足首を掴み上げて、ベッドに戻す。よくない体勢にしてしまったようで、臨也は苦しげな声で呻いた。自由に動かない手足を、絶望の眼差しで見つめている。
 摘みあげた身体は恐ろしいほど軽かった。これまで喧嘩の最中に何度か吹き飛ばしたことがあるが、その時よりずっと軽くなっている気がする。
 単に殺すことが目的でないと悟った臨也は激しくもがくが、それを封じることは静雄にとってとても簡単なことだった。
 今回の目的はこれにある。臨也を、犯す。
 こうすることが、臨也を自分のものにする一番手っ取り早い方法だと思ったのだ。
 中身の詰まっていないような身体を押し倒し、上から見下ろす。自分の腕の中に臨也がいるという事実に、気分が高揚した。臨也は今にも噛みつきそうな目で、静雄をきつく睨んでいる。
「ハハッ……そうくるとは夢にも思わなかったよ。恐れ入った。君は俺の殺し方をよく知ってる」
 臨也はそれきり口を閉ざした。
 もっと諦め悪く抵抗されるだろうと構えていたが、臨也はあっさりとこの状況から逃れるという選択肢を手放した。まず間違いなく、思い通りに動かない身体のせいだろう。自分のせいとはいえ、以前の臨也でら考えられない言動を寂しく思う。
 臨也にまたがったままネクタイを外し、ベストを脱ぎ捨てた。シャツのボタンは二、三、外すに留める。その間、臨也は一言も言葉を発さなかった。
 目の前の身体に、すうっと手を伸ばす。
 服の上からそっと手を這わせ、時間をかけて身体のラインを確認する。わかってはいたが、細い。目が合うと、臨也は首をひねって視線を逸らした。
 声こそ漏らさないが、臨也はどこを触ってもピクピクと薄い筋肉をひくつかせる。やたらと敏感にできているらしい。もっとも、眉間にしわを寄せているのを見る限り、本人は不本意そうだが。
 なおも臨也は、手の甲を目元にあてこちらを一切見ようとしない。
 皿の上の魚のようにおとなしい臨也の姿は、静雄を興奮させた。今から、この身体を好きにできる。
 直接触りたくなって、グレーのシャツを鎖骨あたりまで一気にまくりあげた。臨也の裸を目にして、無意識に唾を飲む。
 男にしては綺麗すぎる白い脇腹に、目立つ傷がふたつ。どちらも鋭利なもので刺された傷跡だ。静雄がつけたものではない。
 嫌な気分になり、額に力が入る。傷跡のひとつを強く指でなぞると、喉の奥が鳴ったような声を出した。悪くない。
 ふいと薄桃色の突起が目に留まり、好奇心にかられた。欲望の赴くままに、乳首を口に含む。ヒクンと臨也の身体が跳ねた。髪を乱暴に掴まれるが気にしない。
「ちょ……っと! なに、してんだよ!」
「や、気になって」
「やめろ、気持ちわるい」
 苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。言葉に嘘はないらしい。
「気持ちよくねえの」
「……シズちゃんにこんな質問される日がくるとはね。新羅なら吃驚仰天とでも言うだろう」
「こういうときに他のヤツの名前だしてんじゃねぇよ。質問に答えろ」
「わかってないね。これは合意の上に成り立っている行為じゃない。言うならば俺は凶悪なオオカミに貪られる哀れなウサギだよ? なんでシズちゃんの言うことを俺がきかなきゃいけ、なっ、ぅあッ……!?」
 ゴタゴタうるさい口を閉じるために、ズボンの上から臨也の股を軽く握った。よく通る声がひっくり返る。
 含みのない臨也の反応に胸がスッとした。これからもっと、この声を聞ける。
「ふうん……これくらいすりゃ、手前でもここはきちんと反応すんのな」
「バッ……正気かこの化け物!」
 やわやわと二枚の布の上から、男の証拠を揉みしだく。
 静雄の手をどうにかしようと降りてきた両手を手早くひとつにまとめ、頭上で押さえつけた。それでもまだ諦め悪くもがくから、苛立って骨が軋むまで力を込める。すると嫌なものでも思い出したのか、すぐにおとなしくなった。
 思わず口角が上がる。
 ──はじめからそうしてりゃかわいいのによ。
 空いているほうの手でズボンを脱がしにかかる。臨也が非協力的であったから手間取ったが、どうにか目的の姿にすることができた。
 そうすると胸の上でぐちゃぐちゃになっているシャツも気疎く思えてきて、歯と手を使い、ビリビリと引き裂いた。臨也が息を呑む。
 いい格好だ。たまらない。
 黒のイメージばかりが強かったが、着ているものを剥いでしまえばその中身は真っ白だ。
 隠しているだけで、臨也の内側にもきっと白い部分がある。
 静雄は躊躇なく、剥き出しになった性器を手の中に収める。都合のいいことに、静雄の手は臨也の唾液で濡れている。滑りは悪くない。
 様子を見ながら、ゆったりと上下に手を動かす。臨也は平静を装っているが、呼吸のスピードまでは誤魔化せなかった。
 痛くはなさそうだと判断し、動きを早める。ついでに先端をくじってやれば、臨也の反応が明らかに変わった。体温が上がり、汗が滲んでいる。
 声を堪えることはできても、筋肉が跳ねるのまではコントロールできないらしい。むしろ声で快楽を逃せないぶん、身体が過剰に反応しているように見える。
 ──とりあえず一回、出させておくか。
 単調にさすり上げ、擦り下ろすという動きを繰り返す。臨也が追い上げられていくのがわかる。そろそろ限界だろう。
「──ふぅ……!」
 見つけた弱いところを指先で引っ掻けば、臨也は大きく頭を振って達した。茫洋とした瞳に、薄い涙の膜が張られている。
「濃いな。あんまり抜いてねえの」
 臨也は荒い息のまま答えない。代わりに一度、舌打ちをした。
 しねよ。
 声にはならなかったが、唇が動く。
 臨也は再び瞼をおろし、静雄の視線を拒んだ。静雄を拒絶し、現実を遮断して、精神だけでも逃避させようとしているのだろう。
 外界からの刺激をシャットアウトしようとする臨也に腹が立った。
 こいつはいつもそうだ。自らはろくでもない愛とやらを一方的に押し付ける癖に、自分が愛を与えられそうになればするりと躱し、時にはね退け、一切受けつけない。愛してほしいと嘯くくせにだ。
 醜くどろどろしたものを煮込んだ内側に手を突っ込んで、そのさらに奥にある汚れていない部分を引っ張り出せるのは自分だけなのかもしれないと、いつからかそう思うようになっていた。
 もう、目を逸らさないと決めたのだ。
 だから臨也も、いま自分が誰に触られているのか思い知ればいい。
 汗でまとわりついていたシャツだったものを抜き取る。休憩が束の間のものだと知り、臨也はビクリと身体を揺すった。
「もう一回くらい出しとくか?」
「やめろ! いらない!」
「遠慮すんなよ。抜けるときに抜いといたほうがいいって」
「余計なおせ……っぁあ!」
 臨也が慌てて口を閉じるが、間に合わなかった。形のいい唇から聞こえたのは、まぎれもない喘ぎ声だった。白い顔が熱でほてる。こんなやつでも羞恥心というものがあるらしい。
 初々しいともとれる反応は、静雄の腰に重たい熱を集めた。これ以上、我慢できそうにない。
 臨也に触れてから、とうに限界だった。
 自身の腰に手をかけ、手際よく下半身の衣類を脱ぎ捨てた。すでに硬くなっているそれを見て、臨也の顔が強張る。
「──やめろ」
 臨也の声に温度はない。だからこそより恐怖が生々しく感じられる。
「まだ挿れねえよ」
「っ! なに!? や、やだ!」
 ドンッと臨也の横に手をつき覆い被さり、頭上で括りあげていた臨也の腕から手を離す。長時間押さえつけられていた両手は解放されてもすぐには自由が利かないようで、だらりと両脇に垂れている。
 抵抗がないのをいいことに、静雄は即座に行動に移した。取り出した自身のものと、臨也のものをひとつにまとめ、手で覆う。
「なっ……!? 嫌だって言ってるだろ!!」
「わり、俺も結構キてるからよ……」
「ひとりでしてろよ! 」
「なんで目の前に手前がいるのに、そんなことしなきゃいけねえんだよ」
 臨也がなんと言おうが、するのだ。
 耳の隣で喚き立てるのを無視して、静雄は上下に手を動かした。ようやく得られた快感にため息がこぼれる。ひとりでする時より、ずっと気持ちいい。
「は、はやッ……はやいって、痛い……!」
「……っは……やべぇな、これ……」
 静雄は夢中で扱くスピードを上げた。臨也が頭を振る度、さらさらとした髪が頬を打つ。
 普段からあまり抜かないのだろう。一度出したばかりの臨也は、辛そうに眉間にしわを寄せている。しっかりと閉じられていた唇の合わせが緩み、そこから漏れる吐息がくすぐったい。
 急に思いついた。このまま追い立てれば、声を聞けるかもしれない。
 自分の快楽を追求するのもほどほどに、臨也の反応がいいところを集中的に刺激する。
「ひあぁ! ……くぅ、んっ、んッ……!」
 唇を噛み、潤んだ瞳で嫌だと訴える顔は、静雄の加虐心に火を着けただけだった。臨也の瞳に、怖いくらい無表情な自分の顔が映し出されている。
 臨也がギュッと瞼を閉じると、器に収まりきらなかった涙が溢れでた。
 ──泣いた。
 生理的な涙は、静雄の欲をさらに煽った。
 偶然を装って、裏筋を爪で引っ掻く。
「ひッ、んああぁっ……!」
 びしゃり、熱いものが飛び散る。
 疑う余地のない嬌声だった。
 下半身の熱が重さを増す。
 その色の濃淡を確認できるほどの余裕はなかった。今度こそ自身の快楽だけを考え、臨也の性器とまとめたまま擦り上げる。臨也が出したもののおかげで滑りがいい。
「あっ、あァッ、や、あっ! むりッ、も、むりぃ……!」
「……ッく……!」
 静雄もすぐに限界を迎えた。白い熱がふたりの性器を濡らす。静雄の呼吸も、臨也に劣らず速いものになっていた。
 静雄が射精するまで付き合わされた臨也は、ぐったり放心している。
「……最悪、最悪だよ。はは……しんでよ」
 罵る言葉が、肉体的な原因でか、それとも感情的な理由でか、上ずっている。
 目元こそは疲れ切っているが、ギラギラと光りを宿す目は、池袋にいた頃と同じものだ。
 その目が欲しかった。
 カバンの中から、用意していたローションを取り出す。取り出された物を見て静雄の用意周到ぶりを知った臨也が、こちらを蔑視している。
「……最初からそのつもりで来たのかよ」
 吐き捨てるように絞り出された言葉は、しっかりと静雄の耳に届いた。
 当たり前だ。
 臨也を自分のものにする。そのためだけに、平穏な生活を捨てここまで来たのだから。
 脱力した臨也をひっくり返し、うつ伏せにする。
 ブビュ、と空気を含んだ音を立ててローションを手に取り出した。手のひらを濡らす冷たい感覚に声をあげる。
「うわすげ、ねちょねちょしてる。……こんなもんか?」
 どのくらいの量が適切なのか勝手がわからないが、足りなければ足せばいいだろう。
 べとべとに濡れた手を、やたらと張りのある尻に這わせる。
「──ッ!」
 冷たさに驚いて振り払おうとするのを、細い腰骨ごと掴んで引き戻す。
「こら、あんまり暴れんなよ。滑ってうまく掴めねえんだから」
「ハッ、やめればいいと思うけど!」
「手前、結構バカなとこあるよな」
 まんべんなくローションを塗りたくられ、艶めかしく光る尻を揉みほぐす。不自然に液体が溜まっている場所を見つけ、不意に気づいた。
 ──こいつ、尻にえくぼあんのか。
 気になって、ぐりっと窪みを押すと、猫のように背筋が伸びた。
「ひんッ! なっ、な、なに……!?」
「尻にえくぼあんだな、手前」
「知らなっ……! やめ、それやめろって!」
 ぐい、ぐい、とツボを押すように揉みしだく。程よい弾力だ。弄っていて飽きない。
「くそ、ぁっ、さいあ……っ、クソッ!」
 いつもならありとあらゆる言葉を用いて静雄を罵り、蔑んでいるところだろうが、いまの臨也にその余裕はない。腕をバタつかせ、子どものような悪態を吐くので精一杯らしい。
 尻の割れ目をすぅっとなぞる。ビクン、と魚のように上半身が跳ねた。
「すげえ反応」
「ふざけんな! ひとで遊ぶのも大概にしろよ!」
「焦るなよ」
 片手で臨也の尻を揉みしだきながら、谷間にローションを注ぎ込む。穴の位置を確認するように、窄まりにくるくると指を這わせた。くすぐったいのか、撫でるたびに腰をくねらせる。
 臨也が喚いてばたつくより先に、尻穴に指を突っ込んだ。
「うっ……!?」
「……へえ。意外と入るものなんだな」
 男同士のやり方なんて知りもしないが、とりあえずは解したほうがいいのだろう。
 負担をかけぬようゆっくり、単調な出し入れを反復する。臨也は青い顔で息を詰めてはいるが、まだ耐えられるだろうだと勝手に判断した。
 じっくり様子をうかがいながら、入り口から奥まで丁寧に押し拡げ進んでいく。途中、臨也の反応が著しく変わった場所があった。もう一度突いてみると、ひくひくとあちこちの筋肉が痙攣する。
 この辺りだったか。手探りで何度も同じ場所を押し上げる。
「ぁん!」
 慌ててシーツに齧りついたが、もう遅い。
 声を出したのは自分だというのに、目を見開き、自身の反応に驚愕している。なにが起こったのかわからない、そんな反応だった。
「あんって、手前……」
「ち、ちが……」
「違わねえだろ」
 先ほど揉み倒した尻以外の場所も、赤くなってきている。よかった証拠だ。
 臨也の中は熱く、静雄の指を締めつけて離さない。
 ──この中に挿れたら。
 ゴクリと喉がなった。想像だけで熱が高まる。気が急いて、許可も取らずにもう一本指を増やした。
「あッ!? うっ……うぅ、くぅ……!」
「痛くは……なさそうだな」
「どこに目、つけてんだよ……!」
「軽口たたけるなら問題ねぇな」
 入り口は裂けてはいない。苦しそうではあるが、時間をかければ慣れるだろう。
「ていうかさ、これ、強姦だろ……!? さっさと突っ込めばいいだろ……!」
「ああそうだな。だから俺の好きにする」
 臨也に痛みを与えるつもりはなかった。二本の指を使って指同士を離しては拡げ、ほぐしていく。
 折を見てローションを少しずつ足した。多少動きがスムーズになったところで、いい反応を示した箇所を二本の指で突き上げる。
「ああぁ!」
 不意打ちの刺激に耐えかね、きゅううと背中を仰け反らす。言い逃れできない反応に、息だけで笑う。ぐにぐにとしつこく、そこだけを責め抜いた。
「あッ……! やっ、や、はぅッ」
 嫌だと首を振るが、意思に反してそわそわと腰が揺れている。臨也の前に手を伸ばすと、出したばかりだというのに勃ちあがっている性器に触れた。
 ──もういいだろ。
 ずるり、一気に指を引き抜く。予想できなかった刺激に、臨也はまた喘いだ。
 口を半開きにしたまま宙を見つめる臨也は、強烈な色香を放っている。このような痴態を前に、我慢し続けた自分を褒めてやりたい。
「臨也。挿れる」
「は……」
 宣言した声は、温度を感じないものになって臨也に降りかかる。
 なにを言われたのかわからない、そのような態度だった。嘲笑しようとして失敗した、そんな顔をしている。
「どの体勢が一番楽なんだ? 後ろからだと、足、痛むのか?」
「……」
 ゆっくりと背中越しに振り返った臨也の表情からは、感情が読み取れない。
「なあって」
 回答を催促するが、臨也の唇は真一文字に結ばれまままだ。臨也はギロリと鋭く静雄を一瞥し、シーツに顔を埋め直した。
 どうやら答える気はないらしい。舌を打ち、髪をかきあげる。
「あとから痛えっつっても知らねえからな」
 なるべく負担のかからない体勢を選んでやるつもりだったが、臨也はとことん無反応を貫くつもりのようだ。あれだけの姿を見せておいて、最後のそれを明け渡さなければまだ逃げられるとでも思っているのだろうか。
 それならば、静雄は静雄のやり方で奪うまでだ。
 薄っぺらい身体に手をかけ、仰向けに戻す。
 顔が見たい。それだけの理由だ。
 出会い頭では見せなかった殺意をもって睨めつける端正な顔には、きっと気づいていないだろう、たしかな情欲が滲んでいた。
 細すぎる足首を掴み、左右に押し開く。臨也の顔がわずかに歪む。
「痛えの」
 臨也は頑なに何も答えない。静雄もこれ以上待ってやる気はなかった。
 臨也の穴に、硬くなった自身を押し当てる。ピク、と一瞬、臨也の片眉があがった。
「ひ、くッ……ぅぐ……!」
 できるだけ、ゆっくりゆっくり挿入を進めた。臨也の手がきつく握られ、シーツに波を作る。根気よく腰を押し当てるも、締まりが良すぎてなかなか奥に進まない。
 はやく、この中に全部入れたい。
 ──ああもう無理だな。
 十分我慢はした。
 焦れて、強引に臨也の腰を引き寄せる。
「あああぁッ!」
「く、ぁ、くそッ……!」
 キツすぎる締めつけにもっていかれそうになるのを、根性だけで耐えた。
 薄く開けた目で臨也を見ると、苦しげに何度も肩で呼吸をしている。起ちあがりの兆しを見せていた性器は、痛みで萎えてしまっていた。シーツに縋っている手は色を失い、震えるほど強く握られている。
「はぁっ、はあッ……ふうぅ……」
 虚ろな目が静雄の向こう側を見つめている。
 臨也の頬骨に、静雄の額から溢れた汗が垂れた。ピクッと頬を引きつらせ目をつむる様が、どことなく小動物を思わせる。
 親指で汗を拭い取ってやると、臨也はそろりと目を開けた。目の光は鈍いが、眉間の線は深く刻まれたままだ。
 ──そんなもんを後生大事にしやがって。
 はやく折れてしまえ、と暗く願う。
 臨也の中は、腹が立つほど具合がよかった。熱くて、何もしていなくてもきゅうきゅう締めつけてくる。
「なあっ……もうちょい、緩めらんねえの」
 キッ、と音がしたのではと勘違いするほど尖った目を向けられた。言いたいことはわかるが、静雄とて苦しいのだ。
 臨也の呼吸が落ち着いたのを見計らい、腰を揺する。慣らすためのゆるやかな動きだったが、それでも双方への負担は大きかった。
 挿れてもなお強いられる我慢ほど、つらいものはない。臨也は臨也で、どうにかして内部を抉る衝撃を逃がそうと、大きく開けた口で必死に息をした。
 熱い呼吸音が、まだ昼だというのにカーテンを閉め切ったうす暗い部屋に響き渡る。
 ──限界だ。
 中途半端に動いてしまって昂ぶった熱は、もう抑えきれない。臨也の腰をがっちりと掴み直す。
 静雄の空気が変わったことに気づいたのだろう。臨也は力のろくに入らない腕で、上半身をずり上げる。
 逃げようとしている。
 気づいた瞬間、遠慮も配慮も彼方へ飛んでいった。
「ぅあああ! あっ、やッ、んくッ!」
「臨也くんよぉ……なに逃げようとしてんだよ。あ?」
 自分でも驚くほど、冷えた声だった。臨也が大袈裟に身体を震わす。
 影を潜めていた嗜虐心が姿を現した。優しくしてやろうという気持ちは失せてしまった。
「ち、ちが……そんなんじゃ」
「違う違う違う、そればっかだな手前は、よぉ!」
「やぁッ! ……あぅッ、ぃあっ! あ! あ、んぁッ!」
 ガツガツと華奢な身体を貪る。臨也が派手な反応を示したところを突いてやると、背中を弓のように反り返した。
 ヒュッと喉から空気が抜ける。大きな目からぽろぽろと涙が溢れて止まらない。
「やめっ、やめぇ……ッ! そっ、そこは、やだぁって!」
「ああ、ここな。嫌なわけねえよなあ、ここ突くとぎゅうぎゅう締めつけてくるんもんなあ」
「あぁ! や、だぁ! だめ、ゃ、ああぁっ!」
 ひ、ひ、と浅くか細い呼吸はそれなりに憐れみを誘うものだったが、静雄の気は治らない。
 もっと乱れた姿が見たい。
 加虐心の対象は、身体を揺する度ぺちぺちと静雄の腹を殴る存在に向けられた。
 前に触れれば、臨也はびっくりして息をのむ。カクカクと首を左右に振り、必死で限界を主張する。
「はっ、はなし……! もうでない! やだ、ヤだぁ!」
 ついさっき、逃げようとしたせいで静雄の逆鱗に触れたことなど忘れ、なりふりかまわず腰を引いて逃れようとする。それでもどうにもならないとわかり、臨也は悲鳴のような声をあげた。
「やめて……!!」
 振り絞る声を無視し、好き勝手にいじくった。臨也の身体は、打ち上げられた魚のようにシーツの上で何度も跳ねる。すでに芯をもっていたそれは、あっという間に硬くなった。
 呼応して中の締めつけも増し、静雄はがむしゃらに腰を振った。
 ややあばらが浮かぶ、薄っぺらい胸の上下が激しくなる。目は潤み、頬はほてり、口元はよだれでぐちゃぐちゃだ。臨也の中もきゅんきゅん蠢いて、すごいことになってる。
 ──これイクな、きっと。
 静雄は容赦なく、見つけたばかりの弱いところを狙い突き上げた。仰け反る首の角度が増し、臨也の脚がぎゅううっと静雄の身体を締めつける。
「あっ、ひぁっ! ああぁッ……!」
「っ……! ふーッ……!」
 静雄の腹を臨也の熱いものが濡らす。激しい締めつけに汗が噴き出した。どうにか、奥歯を食いしばってやり過ごす。
 臨也の表情筋は緩みきっていて、濡れそぼった目元はずいぶん幼いものに見える。
 力なく横たわり、荒い呼吸を繰り返す臨也の耳元に唇を近づけた。息を吹き込みながら、内緒話をするように囁く。
「臨也……臨也。愛してる」
 愛、という言葉に臨也は著しく反応を示した。臨也は頑なに閉じていた瞼を押し上げ、目を瞠る。信じられないものを見るような、そんな目をしてた。
 剥き出しの表情に妙な高揚感を覚える。臨也が、静雄の言葉でここまで狼狽えるとは。
 静雄の感情の変化を、目ざとく、正確に読み取ったらしい。
 臨也は静雄の胸を殴り、顔を殴った。どこにそのような力が残っていたのか、棒のようになった腕を肩の力だけで振り回す。
 こういうところも数少ないかわいいところなのだが、いまは鬱陶しい。
 脅しの意図を込めて、両手首を握る手に力を込める。臨也の顔は痛みの恐怖を連想して強張った。
 これも以前なら見せなかった顔だ。静雄は一抹の寂しさを感じた。よほど、あの晩の殺し合いが堪えたらしい。
 だが、思えば腕が動くこと自体が不思議なくらいの大怪我であった。そう考えると、やはりなかなかしぶとい。
 いまだってそうだ。
 身体の自由を封じ込められても、静雄に向ける目には、殺意がどろどろに煮詰められている。
「裏切り者……!」
 腹の奥から絞り出した声だった。感情の激しさを表すように、カタカタと全身を小刻みに震わせている。
 なにに対しての裏切りなのかはすぐにわかった。
 臨也をいたぶっていることでも、性対象として見ていることではない。
 これが臨也に対しても、自分自身に対しても、れっきとした裏切りであることはよくわかっていた。
 臨也は、平和島静雄と折原臨也という関係性を裏切ったことが許せないのだ。
 ぐらっ、とわき起こった感情ごと噛み殺し、臨也の中を蹂躙する。臨也はなにか言いかけて、急いで口をつぐんだ。
「う……ぅ、はあッ……!」
 限界まで高められていた性器は、あっという間に熱を取り戻した。達したばかりの臨也は苦しげに顔をしかめる。ぐしゃぐしゃに汚れていても、歪んでいても、それでもその顔は美しい。これが愛しいという感情だろうか。
 ふっと近づき、無防備な唇にキスをした。
「──!? んあっ、んっ! ふあぁ……」
「ふう……ッ、は……!」 
 あと少し。あと少し。
 うねる臨也の中で腰を動かし続け、ついに静雄は臨也の中に熱を吐き出した。
「あッ……!? やあっ、あぁ……!」
「はー……はあ、はぁ……」
 臨也の腰を掴んでいた手を緩め、刺激しないよう静かに引き抜く。手を離した瞬間、ガクン! と一気に臨也の全身から力が抜け落ちた。
「……おい? 臨也?」
 声をかけても反応はない。どうやら気を失ってしまったらしい。
 好き勝手に臨也の身体を貪ったのは他でもない静雄自身だが、さすがに罪悪感が生じる。
 どうすればいいのかわからず、じっと間近で顔を観察しているが反応はない。二、三分経っても気がつかないから不安になり、頬を軽く叩いてみる。
 刺激を受けた臨也は、意外にもあっさりと意識を取り戻した。ゆるゆると目をあけて数回瞬きを繰り返す。無事に意識を取り戻したのを見て、胸をなでおろした。
「おい、大丈夫か?」
「……うッ……!」
 静雄を視界に捉えるなり、みるみるうちに端正な顔が青ざめる。口元を押さながらベッドから転がり落ち、足を引きずってトイレへ駆け込んだ。ドアを閉める余裕はなかったようで、嗚咽が寝室まではっきり聞こえる。
 薄っぺらい身体を半分に折り曲げ、生々しい音を吐き出す。これ以上にない、生理的な拒絶反応が痛々しい。
 何度か繰り返して、ようやく落ち着いたらしい。ふう、と腹の奥から重たい息を吐き切った。
 力なく振り返った顔は色を失い、疲れ果てている。しかし臨也は弱った姿をそれ以上見せようとはしなかった。
 差し伸べた手を払いのけ、壁を頼りに立ち上がる。見るからにフラフラだ。
「そんなに嫌だったのかよ」
「嫌に決まってるだろ! 俺と、君が……平和島静雄が、折原臨也に、なん、て……!」
 睨みつける臨也の目の水分が厚くなり、ギョッとする。瞬きしたら、こぼれてしまいそうだ。
 ついさっきまで涙を流す臨也を間近で見ていたのに、まるで違う。中学生が、同級生の女の子を泣かしてしまったような気持ちになり、静雄は焦る。
 生理的なものとは質が違う涙だ。臨也の裸より、よっぽど見てはいけない気がした。
「なっ、なんだよ! 泣くなよ!」
「泣いてない!」
 静雄から顔を背け、手の甲で一度乱暴に目元を拭う。
 それはそれでなんとなく気に入らなくて、線の細い手首を掴む。軽い力で掴んだつもりだったが、臨也の身体は簡単にぐらりと傾いた。
「なに。もう気は済んだだろ。帰ってよ」
「手前も一緒だ」
「しつこいな。俺はあの街には戻らない」
 臨也は静雄を振り払い、洗面台で口をゆすぐ。口内をきれいにしたおかげか、目に光が戻ってきた。
 洗面台の縁に腕を置いて身体を支えながらこちらを振り返る。支える腕は頼りなく、いまにも崩れ落ちそうだった。
「シズちゃんはさ、俺を連れ戻して一体どうしたいの。追い出したのは君だっていうのに」
 自嘲気味に笑う臨也を見て、変な場所がキリキリ痛む。
 そんなもの、静雄だってわからない。
 静雄は問いかけには答えず、臨也の身体を洗面台から引き剥がす。バランスを失い胸に倒れこんだ臨也を抱え、寝室にあった無駄に大きなソファにそっと乗せた。
 臨也の身体はあちこちに行為の気配を残している。裸のままだと目に悪い。
 床に落ちていたおかげで、行為の前と変わらず綺麗な状態のタオルケットを投げかける。
 臨也は不思議とおとなしかった。タオルケットを口元まで引き上げて、じっとこちらの様子を窺っている。まるで野良猫だ。
 警戒、というほど瞳の光は濃くはない。静雄の真意を探っているような、そんな目つきだ。
「今日の俺を見てわかったろ。俺はね、もう以前と同じように街を跳び回ったり、シズちゃんの理不尽な暴力を躱して逃げたりなんてできないんだよ。過去の幻影に振り回させるほどバカバカしいことはない。そんな俺を連れて帰ったって、君は一層以前の俺とのギャップに苛立つだけだと思うね」
「……俺は別に、手前と喧嘩してえから戻ってこいって言ってるわけじゃねえ」
「ふうん? どうだか。今はそう思い込んでいても、連れて帰ってみれば俺の言った通りになるよ。結局、憂さ晴らしのために何をしても心を痛まないヤツがいると便利だからね。シズちゃんにとって俺は、都合のいいサンドバッグだったってことだ」
 言いながら、臨也は壁時計にしきりに目をやる。寝室に入ってから、これで五回目だ。
 この家に踏み入ったとき、臨也の住居に複数の人間が出入りしているのはすぐに気づいた。
 タイムリミットが近いのかもしれない。
「同居人か」
 臨也は答えない。ただ、じっと静雄を見つめている。
「手前、いま一人じゃねえだろ」
「話がころころ変わるよね、シズちゃんって。どうして?」
「靴が……手前のものじゃなさそうなのが、いくつかあった」
「ああそう。まぁなんでもいいや。そろそろ本気で帰ってくれないかなあ」
 臨也は否定も肯定もせず、静雄に撤退を要求する。以前の臨也なら素早くナイフを投擲して無理やりでも追い払おうとしただろうが、いまの臨也にそれは不可能だ。
「手前のことが好きだって言っただろ」
「……耳が腐り落ちそうなセリフだ」
 臨也はこちらも見ずに吐き捨てる。
「自分がなにを口にしているのかわかってるか?」
「ああ」
「平和島静雄が、折原臨也に向けていい感情じゃない」
「んなこと知るかよ」
 乱暴な言葉とは裏腹に、タオルケットに包んだ臨也をやさしく抱きかかえ、横抱きにする。
 攫ってしまてばこちらのものだ。この日のために免許も取ったのだ。車も返さなくていいと言われた。
 臨也を連れて、どこまでも行ける。
「なに、すん……! 戻らないって言ってるだろ!」
「べつに、いいんだ」
「え?」
 怪訝そうな声を上げ、静雄を下から覗き込む。臨也から目を逸らさぬまま、静雄は告げた。
「場所なんてどこでもいいっつってんだよ。池袋に帰って九十九屋っていう男がちょっかい出してきたり、手前がまた妙なこと企んだりするんなら、むしろほかの街のほうが住みやすいかもしれねえな」
「……俺の意思はどうなる」
「そんなもん、あとからついてくる」
「……ハハハハ! そうか、そうだった。シズちゃんってそういうヤツだったよね」
 ひとしきり笑って満足したのか、臨也は肺が空っぽになるのではと思うくらい、深く深く息を吐き出した。
「とりあえず、服を着てもいいかな? さすがにこの格好では外に出たくないからね」



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