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 遥人が両手で思いっきり、玄関のドアを引き開ける。
 勢いよく玄関に飛び込んだわりには、靴は丁寧に揃えて隅に寄せた。この家の家主に、しつこく注意された賜物だ。
 その後ろからひまり、レース模様があしらわれたビニール袋を手にぶら下げた坐が続く。
「臨也さん、ただいま! ケーキ買ってきたよ!」
「それを言ったらサプライズじゃなくなるよ」
「あっ、そうか! でも臨也さんのことだから、きっとお買い物行くって言ったときから気づいてたよ!」
 ひまりはやや考える。
 自分たちがこの家を出て行くとき、臨也は特にこちらを気にする素振りもなく、雑誌についていたクロスワードパズルを解くのに夢中になってなっていたはずだ。特別、普段と変わった様子は見られなかった。
「どうかな……臨也お兄ちゃん、人間が好きだって言うけど、自分のことにはあまり興味ないと思う」
「でも、臨也さんはすごいから!」
 決まり文句になっている言葉を口にして、遥人はバタバタと屋内を駆けて行った。能天気な遥人のセリフに、ひまりは深くため息をつく。
 すでにこの時点で、坐は家の雰囲気が普段と違うことを察していた。
「おや、これは……」
 ケーキを置こうとしたガラス製のテーブルが、珍しく散らかっていた。
 解き途中のクロスワード。食べかけの土産菓子。
 坐が目をつけたのは、くしゃくしゃの菓子の包装紙であった。丁寧にしわを伸ばしてみると、マジックペンで書かれていた文字が表れる。
『ノミ蟲はもらってく』
「ノミ……? なんて読むの? 坐さん」
 坐がなにかを見つけたことに気づいたひまりが、横から覗き込む。坐はひまりがよく見えるようにメモを近くに引き寄せた。
「虫が三つ、これもまたムシと読むんですぞ。それにしても、ノミ蟲とはまたえらく的を射た表現ですなあ」
「それって、まさか……じゃあ、臨也さんは」
 見上げる黒目がちな瞳に、坐はひとつ首を縦に振る。その表情は普段と変わりない。
「もらわれてしまったんでしょうなあ、このメモを書いた人物に」
「……坐さん、助けに行かなくていいの?」
「このメモには、某が臨也殿と“ノミ蟲”を関連づけられる記述がありませんしのう。範疇外ですな。まあ、ほんとうに助けが必要になれば、そのうち連絡がきましょうぞ」
 それもそうかと、ひまりも納得して頷き返す。坐がそう言うのであれば、心配いらないのだろうという判断からだ。
 すべての部屋を確認し終えたのだろう、奥の部屋から「あれ、あれ」と不思議そうな声をあげながら、遥人がパタパタと駆け寄ってくる。
「坐さん、ひまりちゃん! 臨也さん、どこにもいないよ?」
「もらわれたみたいだよ。物好きなひともいるんだね」
「もらわれた? 誰に? どういうこと?」
 知らない、の意図を込めて、ひまりが首を横に振る。遥人はますます首を斜めにした。
「仕方ありますまい、ケーキは三人で食べましょうぞ」
「でも、臨也さんの誕生日ケーキなのに……」
「臨也殿のことだから、そのうちフラッと戻ってきましょうぞ。その時に自慢してやりましょう、三人で食べたケーキはおいしかったですぞと」
 遥人は納得がいかなそうだったが、坐がケーキの箱を開けた途端、表情を一変させる。目を輝かせ、おおきく頷いた。






 車に乗せてからの臨也の言動は、思いがけず大人しいものだった。ぼんやりと窓の外を眺めながら、静雄の運転する車の助手席に座り、身体を揺られている。
 臨也は後部座席に乗りたがっていたのだが、トランクに特注だという電動車椅子を乗せることになり、否が応にも静雄の隣に座ることになったのだ。口にこそしなかったが、静雄にとっては僥倖だった。
 それにしても、と静雄は思う。やたらと大きな車種だったのは、ほぼ間違いなくこれが理由だろう。九十九屋という男ならば、臨也の状態を把握していてもおかしくはない。
「シズちゃんって、運転できたんだ」
「あんまり話しかけんな。慣れてねえんだよ」
「だろうねえ。ちょっとぎこちないし」
 視界の隅に、臨也のニヤニヤとした顔が映り込む。もう一度、壊さない程度の力でハンドルを握り直した。
 こんなことでキレて事故でも起こしたら、全部が台無しだ。気を紛らわせようと、胸ポケットに入れてあったタバコに手をやる。
「ん……?」
 指がカサリとした何かに触れ、つめ先で引っ張り出す。取り出された用紙を見て、静雄は東京を出る際に新羅から頼まれていた用事を思い出した。
「やべ、すっかり忘れてた。ほらよ」
「なんだいこれ。電話番号? 誰の?」
 臨也は渡されたメモ用紙を光に透かしたり、ピラピラと振ってみたりして、ただの紙だということを確かめる。まるで紙を初めて見た子どものような反応だ。
「新羅からだ。連絡よこせってよ」
「へえ、あいつがねぇ。珍しいことは続くもんだ。シズちゃん、ケータイ貸して」
「なんでだよ。手前のあんだろ」
「さっき、ほとんど不法侵入者みたいなヤツに奪い取られた挙句、床に叩きつけられちゃってさあ。その時におかしくなっちゃったみたいでね。そうそう言っておくけど、修理代は請求するから」
 こればかりは自分が悪い。静雄は渋々ケータイを手渡した。臨也はわざとらしくポンチョコートの裾で何度か液晶を拭いてから、画面に指を滑らせてケータイを耳に当てる。
『……もしもし、静雄くん? どうだい、旅は順調かな?』
「よお、久しぶりだな」
 臨也は楽しげな口調で、電話口に向かって話しかける。
『おや ! この声、臨也かい? いやはや瞠目結舌、もう会えたとは。いや静雄くんのことだから、いつかは見つけるだろうと思っていたけどさ。それにしても、まさかこんなにスムーズにいくとはね。いやあ、うんうん、間に合ってよかったよ』
「お前のその調子はあいかわらずみたいだな。友人なら普通はこっちの近況を気にして、尋ねたりするもんだろ。それより、間に合ったってどういうことだ?」
 いつか誰かから聞いた、片方の会話しか聞こえないほうが苛立ちが募る、というのは本当らしい。ふたりが何を話しているのか気になって仕方ない。
 事故を起こしたら水の泡と心の中で繰り返し唱え、どうにかハンドルを握る手に意識をもっていく。
『やだなあ、しらばっくれて。それとも君、自分のこととなると無頓着なところあったから、もしかしてそれも素なのかな?』
「だから何が」
『正直、友達との三年ぶりの再会が静雄の電話越しっていうのは、あまり気分がよくなくてね。いや静雄には感謝してるんだよ? こうでもしないと連絡の取りようもなかっただろうから。でも、これからセルティと温泉旅行なんだ。俺だって思い切り休日を謳歌したいし、憂いは払っておいたほうがいいだろ? それなら静雄は多分知らないだろうから、これを聞かせてやってちょっとした優越感に浸って、憂いを吹っ飛ばそうと思ってね』
「会話がまったく噛み合ってないし、言ってることが支離滅裂だぞ?」
 短く、呆れた声を出す。新羅が相手だと口の立つ臨也でも押し負けることがあるらしい。意外な一面もあるものだ。
『まあまあ、いいからいいから。スピーカーフォンにしてくれるかい? 隣に静雄くんもいるんだろう?』
「まあ、いることはいるけど……あまり刺激してくれるなよ。俺の命がかかってる」
『えっ、何それどういうこと? 君たち一体──』
 新羅の言葉を最後まで聞かず、臨也はケータイを耳から離す。ちらりと静雄を一瞥してから、言われた通りスピーカーフォンに切り替えた。
「ほらよ」
『あ、切り替えた? それじゃあ、ごほん。──ハッピーバースデー、臨也!』
 ハキハキとした声で祝福の言葉は告げられた。
 新羅の言葉に、車内の空気がぐらりと揺れる。
「は? ってアイツ、切りやがった!」
 言うだけ言って一方的に通話を切断されたケータイからは、ツー、ツー、と無機質な音が流れる。
 まんまと静雄は、新羅から吹っ飛ばされてきた憂いとやらを喰らうことになった。
 ──新羅、あの野郎。知ってて隠してたな。
 メモなんて受け取るんじゃなかったと、ガキのように不貞腐れる。臨也はというと、自分のことだというのに困惑した表情を浮かべていた。
「……手前、臨也。今日誕生日なのかよ」
「や……? 今日って何日……ああ、そうみたいだね。ここのところ日付感覚がなかったからすっかり忘れてた」
 スマホの液晶に映し出された日付を見て、なんの感慨もなさげに言う。もっとはしゃぎ立てるヤツだと思っていたが、この歳になるとそうでもないらしい。
「……この辺に、うまいケーキ屋ねえのかよ。情報屋さんよぉ」
 照れ臭いのを隠すために、左手で髪の毛を直すふりをする。静雄の気持ちをきっちり読み取った上で、臨也は大きく口を開けて笑った。
「知らなくもないけど……シズちゃんの奢りだろうね?」
 次の交差点を右。静雄はやたらと声のいいナビに従って、車を走らせた。
 某ケーキ屋のパティシエが、今日、五月四日のうちに二度、『Happy Birthday いざや』と変わった名前をチョコプレートに書いたことは、彼以外誰も知らない。












































『やあ。久しぶりだな。

このメールアドレスを手に入れるのには、俺もなかなか苦労したよ。お前といったら、池袋と関わっていたありとあらゆるものをすっぱり捨ててしまうんだからさ。

これはこちらの話だが、メールのタイミングが悪かったな。まさか平和島静雄がお前のケータイを壊してしまうとは。せっかくアドレスを特定したっていうのに。そこまで予想しておくんだったよ。

このメールを開くのがいつになるかは知らないが、俺からの誕生日プレゼントは無事、当日に届いたようだな。お前が化け物と比喩するバーテン服の男を、祝いの言葉代わりにするよ。まあ、お前は要らないっていうだろうけどな。

最後にひとつだけ伝えておこう。
池袋の街は、いつでもお前を、お前たちを歓迎するよ。もちろん、俺もな。

九十九屋真一』



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