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 それから何日かの間、ひたすらに逃げる機会を窺っているもののなかなかチャンスは巡ってこない。それどころか静雄の横暴ぶりに拍車がかかり、少しでも意に沿わない態度をとると徹底的に仕置だの躾だのと手酷く痛めつけられた。これでどこも折れていないのが不思議なくらいである。肉体的にも精神的にも、いつ限界がきてもおかしくはない。時間は臨也を焦らせるばかりで、なんの解決策も見出してはくれなかった。
 突然無音の部屋にシンプルな携帯の着信音が響く。久しぶりに鼓膜を叩いた機械音に驚いて、臨也は思わず肩を震わせた。画面に浮かび上がった文字を見て静雄は顔を顰める。ここからでは相手が誰なのかはわからない。だが静雄の少ない友人の半分は臨也の知り合いでもある。どうにか今の状況を伝えられればと思ったが、静雄は臨也を鎖に繋いだまま部屋を出て行った。これでは相手を推察するどころか、声を届けることもできない。
 複雑な顔をして出て行った割に、静雄はすぐに部屋へと戻ってきた。その顔には焦りなどは見られない。むしろどこか晴れやかだった。それが臨也の不安を膨らませたが、どちらにせよ静雄の心境になんらかの変化があったのは明らかだ。揺さぶりをかけるなら今しかない。
「シズちゃんさ、いつまでこんなことしてるわけ? 最初にも言ったけど、君が一人なのは俺だけのせいじゃない。どちらかというと、それじゃ君が俺に依存してるように聞こえるけど」
「依存してんだよ、とっくにな。そんなのお互い様だろ?」
「……なにそれ、本気で気持ち悪い。君と一緒にしないでくれる? 俺はシズちゃんに依存なんかしていない。君がいなくなったからって、俺の世界は何も変わらない」
「臨也」
 静かに名前を呼んだ静雄の目を見て、まずいと頬の筋肉が硬くなる。晴れやかだった静雄の顔は、臨也に暴力を振るう前のやけに色のないものへと変わっていた。
「あんまり俺を怒らせるな」
 ダンと叩きつけるようにベッドへ押し倒され首輪が突っ張る。もしかしたら、とは風呂の一件で感じていた。でもまさかと動揺を押し殺し、刃物のような薄い笑みを浮かべる。
「なに、また暴力? よくないなあ、そういうのって。だから君は化け物なんだよ。感情のストッパーがない」
「……言いたいことは、それだけか」
 平坦な声が余計に臨也の心をざわつかせる。これは悪い前兆だ。
「なあ臨也。俺、ようやく吹っ切れたみてえだ」
 静雄は穏やかな調子で告げると、臨也の着ていたワイシャツの襟元に手をかけ一気に引き裂いた。クリーム色のボタンがいくつか弾け飛んで静雄の顔を叩く。電話による外からの刺激に静雄が揺らぐことを期待したが、この瞬間あの電話は臨也にとってよくないものになってしまった。
「……本気? シズちゃんてそっち気があったんだ。さすがに知らなかったなあ。……俺を辱めてどうしようっていうの? いつもの仕返し?」
「そんなんじゃねえことくらい、もうとっくに気づいてんだろ」
 それ以上は答える必要がなかった。臨也は黙って静雄を冷めた目で見つめる。
「死ねよ、化け物」
 蔑むように口元だけで笑う。静雄はすっと目を細め、おもむろに手を振り上げ臨也の頬を打った。パシンと空気の裂ける乾いた音が響く。かなり加減されていたようで音ほど痛みはなかったが、この状況で顔を叩かれたという事実に臨也は少なからずショックを受けた。いつでも力づくで臨也をどうにでもできるのだといった裏が、ありありと伝わってくる。
「顔は殴りたくねえっつったろ」
 理不尽な静雄の台詞をあげつらうことすら、臨也にはできなかった。いつもは燃えるように怒る静雄が、氷のような冷たさを湛えた怒りを瞳に宿していたからだ。
 静雄は固まった臨也を笑い、好都合だとばかりに身体に手を這わした。生理的な嫌悪感から、一瞬にして全身がゾワッと粟立つ。べろりと臨也の露わになった色素の薄い乳首を舐め上げられ、思わず上がりそうになった声をかみ殺す。気持ちが悪い。
 静雄がハーフパンツと下着をまとめて脱がしにかかった時、ようやくこれからされることの実感が湧いてきた。このまま静雄に犯されるくらいならと、臨也は舌を噛み切るために勢いよく歯を立てる。静雄は目ざとくそれを察知して、臨也の歯が舌に触れる前に自らの指を突っ込んだ。
「んぐ!」
 かなりの勢いで噛んだというのに、静雄の指からは血も流れない。身体のあちこちを触れた静雄の指が口の中にあると思うと、吐き気を催した。臨也は力一杯静雄の指に歯を立てる。死ぬことすら自由にできないのかと、屈辱や諦念で視界が歪んだ。そのまま指で散々に口内を蹂躙され、ようやく引き抜かれる頃には臨也の顎は疲れきっていた。
「つぎ馬鹿なこと考えてみろ。……これ付けるからな」
 これ、と静雄の持ち上げたものにやおら目をやる。真っ赤なボールに穴が複数空いている、犬の玩具のようなそれの名前くらいは臨也も知っていた。ボールギャグと呼ばれる口枷の一種だ。つくづく悪趣味だと静雄を睨みつける。
「はっ、澄ましてる面よりずっといいじゃねえか」
 怒りのあまり言葉にならず、ふーっふーっと威嚇するような息が漏れる。ありったけの力を振り絞って抵抗すると、鳩尾に重たい一撃を落とされ呼吸が止まった。抵抗できなくなった臨也の身体を静雄は蹴るようにひっくり返し、目に入ったからという理由で尻を殴る。
「ケツって脂肪がついてるから傷つきにくいって聞いたんだけどよ、手前の場合他とたいして変わんなそうだよな」
「っひ!」
 痛む尻を力任せにぐにぐにと握られ、喉の奥がひゅっと狭まる。細い呼吸の間に微かな悲鳴が混じった。
「痛えの、気持ちいの。なあ、どっち?」
「ふ、く……っは……!」
 痛いに決まっていると横目で静雄を睨みつけると、鳩尾を庇うように腹を抱えていたのを強引に四つん這いにされ強く尻を叩かれる。どうやら生意気な態度をとった罰のようだった。
 痛みに耐えかねて崩れそうになると、その罰でまた叩かれる。きりがなかった。終わりの見えない仕打ちを精神力だけでどうにか耐える。叩くたびに身体を揺らす臨也が面白いのか、静雄は何度も烈しく尻を叩き続けた。
 そしてとうとう耐えきれなくなり力なく臨也が崩れ落ちると、先ほどの仕打ちは嘘だったかのように静雄は優しく尻をさすった。ひくっと臨也の身体に力がこもる。目で確認しなくとも腫れて赤くなっているのがわかるくらいに、臨也の尻はジンジンと痛み熱を放っていた。
 完全に抵抗する気力を失った臨也の足を開いて、静雄は萎んだままの性器を口に含んだ。ぬるりとした感触に、臨也の身体が強張る。
「やっめろ! ……あ、くそ、しね! はなせ!」
 引き剥がそうと静雄の頭を両手で押しやるも、静雄は意にも介さずに口内で性器を弄び続ける。裏筋を舐り上げ、先端を硬くした舌で突き、時に吸うように口をすぼめてと、あらゆる手法で責め立てられ臨也は快感に震えた。静雄はそれだけでは飽きたらずに、ゴツゴツとした両手で竿の根元や袋を揉みほぐしていく。あまりの刺激の強さに、気づけば臨也は押し返していた静雄の頭を抱え込むようにして快感に耐えていた。
「あっだめ、もっ……は、なせ……!」
 視線を落とすと上目遣いに臨也を見つめる鶯色の瞳とかちあって、ぞくぞくとしたものが脳を駆け抜け熱が弾ける。静雄の口に出してしまったと、感じる必要のない罪悪感に臨也は顔を歪めた。静雄は臨也の複雑な心境など露知らず、躊躇いなくそれを嚥下する。飲まれた。自分の出した、汚いものを。
「や、なに考えて……!」
「臨也のもんなら飲めるに決まってんだろ」
 このような、男のモノを咥えて平然としているような静雄など、臨也は知らない。本当に目の前にいる人物は静雄なのだろうか。静雄は特に気にしたふうでもなく、ショックを受けて呆然とする臨也の尻穴の辺りをふにふにと弄りだした。
「はじめてか?」
「え……」
 質問の意図がわからず、臨也は困惑した瞳で静雄を見つめ返す。
「処女かって訊いてんだよ」
「な……!」
 あからさまな単語に臨也は言葉を失った。そのような経験などあるはずがない。臨也は男だ。男というものは挿れる側だという認識しか臨也にはなかった。いや、知識としてはあったが、自分が受け入れる側の立場になるなど想像したこともなかったのだ。
 臨也の顔が複雑な感情で赤く染まったのを見て、静雄は処女みてえだなと嬉しそうに笑い例の茶色い紙袋の中からローションを取り出す。
「はじめてじゃ痛えと思うからよ。ちょっと冷てえけど我慢な」
 冷たいと前置きをされるも、臨也の身体は反射的に跳ねた。静雄の指が揉みほぐすようにして臨也の中へ入ってくる。排泄感に似た刺激にう、とくぐもった声が漏れた。くそったれと静雄を胸で罵る。そうすることでしか自我を保っていられなくなりそうで怖かった。
「痛くはねえ……な?」
 臨也に答える余裕などあるはずもない。怨嗟の言葉が胸でぐるぐると踊る。男なのに挿れられているという事実と、内臓を抉られるような不快感に涙が滲んだ。
「ふざ、けんなよ……こんな、とっとと挿れて、出せばいいだろ……!?」
「あのなあ……手前も気持ちよくならなきゃ意味ねえだろうが」
 静雄は呆れた顔をして、中で指を動かし続ける。気持ちよくなどなるわけがない。現に臨也の肌はびっしりと鳥肌が立っていた。
「こんなの、いらない……気持ち悪いだけだ。化け物が、こんな真似するなよ……!」
「臨也。確かにこの力は化け物じみてるかもしれねえけどよ、それでも俺は人間だ」
「そんなの、認めない……絶対、認めない……!」
 静雄は食い下がる臨也に取り合うことなく、くいくいと押し広げるように媚肉に指を沈めていく。静雄の指がある一点に触れた瞬間、電気に似たものが身体を駆け抜けて臨也は目を見開いた。
「っひ……!?」
 快感、だったのだと思う。強すぎてそれがなんなのか、正確に認識できなかった。静雄は反応を返した場所をやたらと執拗に指で突いては、穿るように刺激した。
「ぅあ! やっああ、あ、ひ!」
 やめろと、変態と罵ってやりたかったのに、まともな言葉を発することもできず臨也はただ喘いだ。感情と刺激がめちゃくちゃに混線してぼろぼろと涙がこぼれていく。
「泣くほど気持ちいいのかよ」
違う。気持ちいいはずがない。同性に、静雄に弄られ、びりびり、いやだ、わからない、へんだ。
「ひっう……! やだ、や、だ! うそ、あ、やあ!」
 逃げようと腰を引いても、静雄が大きな手でがっしりと固定する。痛いくらいの快感に、あちこちの筋肉が引き攣って臨也を苦しめた。
「やめ、て! あ、だめ、くるしっ……」
 意外にも静雄は素直に指を引き抜いた。だがそれは臨也の願いとは別の目的のためであり、静雄は抜いた指を二本にして再び中へと指を沈める。
「や、だ、ふざけんな! 離せよ! や、さわんな! もう、いやだ!」
 がむしゃらに暴れ静雄を殴るも、力の抜けた臨也など静雄の脅威にはならない。静雄は構わずに、臨也の弱いところを探して抽送を続ける。これ以上わけのわからない刺激に身体が侵されていくのに耐えられなかった。
「う、んくっ……ひあ! あ、あ……あッ」
 中で指を押し広げるようにばらばらに動かされると、臨也の頭は真っ白になる。本能的に自らの腕に爪を立てて、どうにか刺激に耐えた。痛みで快感を誤魔化そうと、臨也は血が出るまで深く爪を食い込ませる。やっと見つけた方法だというのに、静雄はそれを見咎めてやめろと手を引き剥がす。悔しさで、怒りで、涙が止まらない。
「もう、ん! おわら、せ……! はや、いれ、ろ……よ……!」
「いや、もうちょい慣らさねえと痛えだろ」
「はあっ……う、痛いほうが、マシ、だ! いいから、はや、く!」
「……知らねえからな」
 静雄は困ったようにため息をつき、促された通りカチャカチャと音を立ててベルトを外していく。そして臨也が怯える間も与えずに、一気に中へと挿入した。入り口の皮膚がみちみちと裂け、あまりの痛さに臨也は息を詰める。
「いっ……!」
「だから、言ったろ……!」
 挿れてから静雄はなかなか動こうとしなかった。静雄自身がきついという理由もあったのだろうが、静雄が臨也を気遣っているのだと気づいて怒りで頭が熱くなった。暴力に変わりないことが、何故わからないのだろうか。一刻も早く終わらせたい、その一心だった。静雄が射精すれば終わるはずだと回らぬ頭で考え、臨也は自ら下から突き上げるように動く。
「う、っ……ん、くあ!」
「……っ!おい、無理すんなって」
「は、やく……イけ、よ……!」
「……くそ!」
 臨也の拙い動きに煽られたのかそれまでとは一変し、静雄はガツガツと臨也を突いて揺すった。内壁をまくられる度に、未知の感覚が臨也を苦しめる。早く、早く。頼むから終わってくれと、ただそれだけだった。
「あ、く、はあっ……うんん!」
「っ……!臨也、出る……!」
 静雄のものが怒張し、一段と激しく臨也の中に昂ぶりを叩きつけた。ようやく終わる、解放されると安堵したのも束の間、それはすぐに絶望に変わった。どくどくと静雄のものが脈打ち、臨也の中が熱くなる。静雄が臨也の中に欲を吐き出したのだ。尻の中がぐちょぐちょして気持ちが悪い。最悪だ。これ以上現実を見ていたくなくて、襲いかかる暗闇に逆らうことなく臨也は意識を手放した。


「ああ、やっと起きたか」
 目を覚ました臨也は静雄の声に反応を返さず、まず自分の状態を確認しようと上体を起こした。あんなにも汗をかいたはずなのに、身体のベタつきは消えている。シーツも汚れていない。悪い夢であったのだろうかと僅かに期待したが、動かずとも痛む腰が現実を突きつけた。
 つまり静雄は臨也が気を失っている間に自己の満足を満たすため、甲斐甲斐しく世話を焼いていたということだ。どこまでも自分本位である。それならばあのまま放っておいてくれたほうが、よっぽど良かったというものを。
 静雄を視界に入れぬように俯き、拒絶のオーラを発する。いつにも増して静雄を見たくなかった。その低い声が空気を揺らすことに嫌悪する。肺が汚れるようで同じ空気すら吸いたくなかった。
 布団に目を落とす臨也の視界に、ミネラルウォーターが横から入り込んでくる。カッとなって差し出された静雄の手ごとペットボトルを払うと、ゴトッと鈍い音を立ててベッドの上に転がり落ちた。勝手に犯し、勝手に気遣い。随分なめられたものだ。
「なんだ、また飲ませてもらいてえのかよ」
 臨也の反抗的な態度が癪に障ったようで、静雄は脅しの言葉を口にした。これだから化け物は嫌いなのだ。力で人間を支配しようとする。いくら静雄が否定しようとも、ついに静雄はレイプ魔という立派な化け物に成り下がったのだ。殺せないくらいならこの手で本物の化け物にしてやろうと思っていたこともあったが、まさかこういった形になるとは予想外だった。
 臨也は舌を打って転がったペットボトルへ力の抜けた手を伸ばし、どうにかキャップを開けて喉が満足するまで水を流し込んだ。用のなくなったペットボトルを静雄の顔めがけて投げつけてやりたかったが、そのようなことをして痛い目をみるのは臨也のほうだと理解していたので乱暴にサイドテーブルに置き直す。
「そのよ、腰、大丈夫か」
 静雄はわずかに声のトーンを落とし、ぼそぼそとした調子で尋ねた。静雄の手前勝手な優しさに臨也の表情が凍てつく。大丈夫なわけがあるまい。さぞかし静雄はご満悦なことだろう。何にも答えたくはなかったし、答えるつもりも毛頭なかった。
 静雄は気遣うように臨也の腰を撫でる。その骨ばった手を振り払いたい衝動を押し殺し、痴漢されるか弱い少女のようにきゅっとシーツを握りしめておぞましい感覚に耐えた。
「シャワー浴びるか? 一応拭いたけどよ、汗かいちまったからな」
 シャワーはもちろん浴びたかったが、それは静雄が同伴前提であることに臨也も気づいていた。それならば明日までこの身体でいるほうが、まだ我慢できる。臨也が変わらず何も答えずにいるのを疲労感のためだと思ったのか、労わるような台詞を吐いた。
「疲れちまったよな、明日にするか」
 静雄は猫なで声で甘やかすように、汗で湿った臨也の髪を梳いた。反吐がでる。臨也が無抵抗なのをいいことに、静雄はもう寝るぞと臨也の身体を抱き寄せた。静雄の髪からすうっと人工的な香りがする。臨也が気を失っている間にシャワーを浴びたのだろう。全くいいご身分だ。
 静雄に犯されて臨也の決心はより強固なものになった。この傷が癒えたら、どんなに時間がかかっても必ずここから逃げ出してやる。臨也が部屋から逃げ出す度にタイミングよく現れる静雄だが、それでも仕事を放り出すようなことはしないだろう。今は休みでも取っているのかもしれない。それならば休みが終わるのを待つだけだ。
 必ずチャンスは訪れる。それまでに体調を万全にするためにも、従順なふりするべきだ。静雄に従うなど屈辱以外のなにものでもなかったが、この生活がいつまでも続くよりはずっといい。臨也は静雄にバレぬよう慎重に機会を窺うことにした。


 翌日静雄は臨也の体調を気遣う素振りを見せつつ、いつも通り仕事に行く準備を進めていた。それがフリなのかそうでないのか確かめる術を、臨也は持たない。家を出る前に静雄はもう一度、逃げるなよと念を押した。臨也は静雄の言葉に素直に頷いた。まだ、逃げない。逃げるべきタイミングは今ではない。
 臨也は静雄が出かけてからすぐに風呂場へと駆け込んだ。鏡がこの身体に何が起こったのかを語っている。臨也が気づかぬうちに、たくさんの鬱血痕がつけられていたようだった。白い肌の面積のほうが少ないくらいに、臨也の身体は痣や鬱血痕で覆われている。とても人間のものとは思えなかった。静雄のあの手が、口が、臨也の身体を好き勝手に蹂躙したなによりの証だ。
「うっ……! ぐ、え……」
 込み上げてきた吐き気に耐えきれず、臨也は風呂場に胃の中のものを全て吐き出した。汚い。自分の身体の何もかもが汚くみえて仕方がない。鏡の中の臨也は控えめに言っても、とてもひどい顔をしていた。
 元には戻らなくとも少しでもこの汚れた身体をきれいにしようと、勢いよくシャワーのハンドルをひねる。視線を下げると臨也のために静雄が用意したという、サロン用のシャンプーが目に入った。こんなものと目の裏が赤くなるが、静雄と同じリンスインシャンプーを使うよりはまだいいかと判断しそちらを使用することにする。静雄と同じ匂いを放っていた髪から解放されることに、重たい息を吐いた。
 そうして髪を洗い終え、続いて丁寧に身体を洗い流していく。泡とともにつけられた跡も剥がれ落ちてくれるように願ったが、当然それほど簡単に消えることはなかった。静雄の気配がこびりついているような気がして、一度だけでは足りずに二度、三度と皮膚が赤くなるで泡をこすりつける。何度洗っても汚いままの身体に、臨也は途方に暮れて皮膚を掻きむしった。
 これではいつまで経っても浴室から出られないと適当なところで切り上げ、すっかり配置を覚えてしまった棚からタオルを取り出し身体を拭いて髪を乾かす。
 静雄がいない時間は、こうして自由に部屋を動き回れるというのがまた皮肉だ。静雄が部屋にいる時は物理的に拘束され、いない時には鎖を解いている静雄の意図が臨也はわからずにいる。
 先ほど胃の中の物を吐き出して、多少なりともすっきりとした。胃がキリキリと痛むが、体調を整えるためにも何か軽い食べ物を口にしておこうと冷蔵庫を覗く。
 少食だとはいえ、臨也は成人男性だ。一般の成人男性と比較したら食べる量はやや少ないかもしれないが、それでも腹は減る。しかし冷蔵庫の中にはミネラルウォーターが数本詰められているだけで、食べ物は何一つ入っていない。
 いま思えば静雄は出先からきっちりと一日分の食材だけを持ってきていたし、食材が余ることなどないから何かを冷蔵庫に保存するようなことはしていなかったのだ。静雄がいなければ食事すらとれないという事実に愕然とした。
 まるで介護をするかのように静雄は臨也の食事、排泄、その他全てを管理し続ける。そのうち臨也は眠りにつくことが困難になっていた。困難になったといえば語弊がある。眠りたくなくなってしまったのだ。
 夢での静雄は現実の静雄と区別がつかないどころか、現実より一層臨也を手酷く傷つける。特に暴力を振るわれた日は、それはもう思い出すだけで吐き気が込み上げるようなひどい夢を見た。静雄の前で寝たくなどないから静雄が出かけているうちに睡眠をとろうと思うのだが、眠りに就くことができるのもほんの僅かな時間で、臨也はうなされる自分の声ですぐに目を覚ます。夢の中にさえ、臨也の逃げ場はどこにもない。
 一刻も早く、外へ出たかった。日の光を浴びたい。肌で風を感じたい。臨也の求めるものは、ここには一つもない。


 静雄は帰ってくるなり臨也が一人で浴室を利用したことに気づき、浴室に鍵をかけた。それからは二日に一度のペースで風呂に入れられることとなる。基本的に臨也はそういったことに関して潔癖で、毎日湯船に浸かるのはもちろん、できれば朝にもシャワーを浴びたいというタイプであったからますます気が滅入った。
 新宿にいた頃、風呂は臨也の自律神経を整える上で大切な役割を果たし、同時に楽しみの一つでもあった。しかしそれは今、最も屈辱的な時間へと変わってしまった。
 風呂の度に静雄は臨也の性器を弄び射精を促す。もともと性欲の薄い臨也にとって、この頻度で強要される射精は苦痛でしかなかった。臨也の気持ちに反して反応してしまう性器など、いっそのこと切り落としてしまいたいと何度も思ったほどだ。
 臨也が風呂場に用があるとするなら、その場にあるこの家唯一の鏡にであった。自分の健康状態を客観的にチェックし、脱出までの日数を逆算するのだ。ここ数日は一切の抵抗を放棄していたので新しく傷が増えるようなことはなかったが、代わりに臨也の目元にはくっきりと濃い隈が刻まれている。
 もう何日まともに眠っていないのかわからなかった。ここから脱出できれば以前のように眠りにつくことができるのかも、臨也にはわからない。それでも臨也は根気よくその機会を待ち続ける。願わくは臨也の心身に限界がくる前に、そのチャンスが訪れることを祈った。




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