<夢の国へ>
名前はコテを鏡の前に置いた。ヘアスプレーをかけて整えると、身支度も終わりだ。我ながら今日は上手に巻けたと思う。可愛いって言ってくれるかな、そんな風に考えながら、くるんとなった毛先に触れて小さく笑った。
その時だ。ブブブ、と携帯のバイブが鳴った。光ったディスプレイには“着いた。”の文字。時計を見ると約束した時間の5分前だ。慌てて机に置いていたバッグを手に取ると、玄関へと向かう。ピアスが小さく揺れた。
「おはよう!」
「遅ェ。」
「ごめん、ごめん。」
門の前で待っているローは、ジーンズにジャケット。シンプルな恰好なのだが、彼によく似合っている。そこらへんのモデルより、かっこいい。ローとは付き合って数年経つが、未だにこのトキメキは消えない。
「ローが早く着いただけでしょ?ほら、見て。今ちょうど、約束の時間!だから遅くないもん。」
「...ふん。」
名前は慣れたように、ローの車に乗り込む。うるさい女だ、とでも言いたいのだろうか?少し不服そうな顔を見せながら、彼は車を発車させた。
「まさか一緒に行ける日が来るなんて思わなかったなー。ふふ、ほんと今日楽しみにしてたんだよー。」
「着いたら一番最初に何に乗る?うーん...やっぱり絶叫系がいいかなぁ?ローはさ、何が一番好き?」
「ショーも見たいもんね。どう回るのがいいかなぁ...。朝は空いてるから乗り物から回ったほうがやっぱりいいのかな!でもなぁ...。」
静かな車内の中で、名前の声だけが響いている。ローは一言も言葉を発していない。だが、これはいつものことだった。名前が話し、ローが時々返事をする。
「いい加減、少しは黙れ。」
「そんな言い方しなくてもいいじゃない。今日、とっても楽しみにしてたんだからさ!」
「...ったく。」
飽きれたように溜息を吐く。名前はそんなローを気にも止めず、横で嬉しそうに喋り続けている。そして刺激してしまったのか、今度は手振りまで追加されて、余計に名前の話は止まらなくなってしまった。
(うるせェ。なんなんだ、女って生き物は。意味も無くひたすら話すメリットは一体なんだ?俺には理解できない。)
「ねー!ロー、聞いてる?」
「ああ。」
信号が赤に変わる。車を停止させたからか、名前は身を乗り出すようにしてローを見た。可愛く思われたきゃ、少しは黙れ。そんな思いで、ローは名前を見返したが、全く届いていないのだろう。
「絶対、嘘!全然返事してくれないんだもん。もう一回言うから聞いててね?」
彼女はそう言うと、つい先ほど話した内容を繰り返し始めた。
(お前こそ、ちゃんと聞いてんのか?なんでもう一度言う必要があるんだ。)
そんな疑問がローの頭の中をよぎる。しかし、何か口を挟んで、これ以上うるさくなるのも何かと面倒だ。適当なところで相槌をつきながら返事をしてやる。
「ね、すごいでしょ!隠れたマークがいっぱいあるんだよ。」
「ふーん。」
「鍵穴とか、壁の模様とかいろいろあるんだって!いろんなところで見つけたら、きっと楽しいだろうなぁ。どんなところにあるんだろうなぁ。」
「...一緒に探すか?」
「え、ほんとっ!?」
まるで小さな子供が玩具をプレゼントされる瞬間のように、目をキラキラと輝かせて名前は笑う。綺麗めなお姉さん風に装っているのに、中身はただの子供だ。そんなところがローの心を燻る。ほっとけないのだ。
(...嬉しそうな顔しやがって。最初から探そうって言えよ、馬鹿。仕方ねェ、付き合ってやるよ。)
*
「ん?ロー...。これ何?」
少し渋滞した道路に出た頃。後ろに続く車を確認しようとした名前が、後部座席に置かれた白いクマのぬいぐるみに気が付いた。そっと手を伸ばす。
「わっ、ふわふわ。」
柔らかい手触りながらも、なめらかな生地。小さなクリっとした目が愛らしい。よく見ると、ベポと書かれたネックレスをしている。
「ベポ...?」
「そのクマの名前だ。」
「へー!」
「可愛いだろ。」と返すローはどこか自慢げだ。
「可愛いけど...なんでぬいぐるみが、ここにあるの?女の子からのプレゼント!?」
「違ェよ。」
「違ェって何よ。最低、ローってば最低っ!!」
「だから違うって言ってんだろ。」
「まさか自分で買ったとでも言うの?」
「ああ。」
「嘘...。」
「本当。」
名前の目が丸くなる。「自分で買った。」と言うローの顔は、嘘をついているわけでもなさそうだ。触り心地もそうだが、確かにいいお値段がしそうな作り。あながち嘘でもないらしいが、疑問は残る。
「どうして買ったの?」
「そのふわふわが可愛かったから。」
数年一緒にいるが、可愛いものが好きなんて聞いたことも無い。店で必至に選んでいるローを想像すると可笑しい以外の何物でも無かった。信じるべきか、疑うべきかと名前が悩んでいると、ローのほうから話しかけてきた。
「悪いか。」
少しスネた顔。そんな顔をされては、選択はただ一つだ。信じるしかない。
「え、や...ローってそんな一面あったんだ。」
「たまたま気に入っただけだ。」
「可愛いとこあるんだね。」
「うるせェ。」
ほんのりと赤くなる頬。照れているローを見るのも、これまた珍しい。これから初めて二人で行く夢の国。ローのその顔が、名前の期待をさらに高めた。