長曾我部の船に無理やり乗り込んで半日、晴れ。潮の流れが急に変わったらしく、予定よりも航海が遅れていると聞いた。
今まで邪魔だからという理由で倉庫のようなところに押し込められていたのだが、島影で潮を待つことになって、ようやく私は船を歩き回ることを許された。ただし妙なことをしないよう監視付きで、窮屈でしょうがない。
「おいおい、そっちは行くな。散らかってて危ねえぞ」
確かに私は船のことは何も分からない。危ないことをしでかすかもしれない。でも、仮にも一国の主が私の後について歩くのはどうなのかと思う。中島とか、私を見張っておける人はたくさんいるだろうに、彼は暇なんだろうか。
全体的に西洋風な作り、扉もドアノブの付いた扉。いちいち開けて通らなければならないのは面倒なことこの上ない。きょろきょろと外へ出る道を探して歩き回っていると、なぜか行き止まりに迷い込む。私は方向音痴という訳ではないはずだが、迷路のような船内に首をかしげた。
海賊船とはこういうものなのかは分からないがひとつの部屋の周りにふたつ通路があって、一本だけに部屋に入ることのできる扉がある。もう一本は行き止まり。船の構造を知らないものは必ず迷うだろうし、イライラする。私は本日三度目の行き止まりに出くわして、舌打ちをした。
「無駄が多い。なんだこの船は」
「はっは、攻め込みづらいだろ?」
私は趣味の悪い船だと吐き捨てた。船など沈めればそれで終わりだ。おそらくこの船は絶対に沈まないという自信があるのだろうから、こんな作りになっているのだろうけれど。
行き止まりには刃物が飾ってあって、私はそれを眺めた。派手な柄のナイフはセンスの欠片もなかったが、海賊らしい雰囲気は醸し出していた。
「気になるか? でも偽物だぜ」
長曾我部は壁に掛けられたそれをとって、私に渡す。どうやら本当にただの飾りらしい。わざと刃をつぶしているのか、役に立ちそうにはない。
私はくるくるとナイフを回してため息をつく。なかなか外に出られなくて、疲れてしまった。すると、長曾我部が笑う。
「こっちにきな」
私の手を引いて、彼は歩き出す。最初から連れて行ってくれればいいのに、彼はわざと私を自由に歩かせて、迷わせて遊んでいたのだろうか。派手なナイフはそのまま持ってきてしまったので、後で返しておこうと袖の中に入れた。
彼は迷うことなく進んでいき、私は何とか外に出て新鮮な空気を吸うことができた。私が船の中で迷っている間に日は暮れてしまったらしく、海も空も真っ暗だ。長曾我部は星を見て、何か兵士たちと話していた。灯りが漏れないように、とか何とか言っていたような気がする。
男たちが火を消して、碇を上げる。出発するのだと言うことは私にでも分かった。火の灯りが消え星明りが甲板を照らしている。また倉庫に閉じ込められるかと思ったが、私はしばらく放置された。長曾我部が気を利かせたのかもしれない。
船はゆっくりと真っ黒な海の上を滑っていく。私は暗い海を覗き込んで一人考え事をしていた。
このまま何事もなく九州へたどり着ければいいが、中国と九州の境目、下関など無事に通れるわけでもなし。南回りで行くとしても鬼島津と長曾我部は仲が悪いと聞く。四国には時間も残されていないし、おそらく下関を強引に突っ切るつもりだろう。そうなると微妙な立場の私はどう動くべきか考えなくてはならなかった。
私の身分を明かせば、中国は何とかなるだろう。山口にも私の顔を知っている者はいるし、どうとでもなる。少々不安はあるがそれが一番安全だと思った。
「考え事は終わりか? そろそろ中に入りな」
私が顔をあげたのを見計らってか、長曾我部は私に声をかけてきた。暗くても銀の髪は目立つ。星と同じ色の髪がふわふわ、潮風に揺れている。
「もう毛利水軍の縄張りに入った。まだ平気だけどよ、何かあるかもしれねえ。だからあんたはじっとしててくれ。何かあったら困る」
たとえ私が死んだとしても、長曾我部が困ることなど何もないはずなのだが、彼はそう言った。もう私の領地に入ったらしい。この辺りは私が駆逐した海賊がのさばっていた辺りだと思われた。あの生き残りが水軍にいくらかいたはずだ。私の顔は嫌でも覚えているに違いない。
「何故だ? 毛利軍には我の顔見知りもいる。話せば分かるのではないか?」
「わかんねーよ。あいつら、領土に入ってきた時点で全力で潰しにかかる。何度か書状も届けさせようとしたが……」
そう言って長曾我部は首を振る。殺されたとでもいうのだろうか。なんだか申し訳なくなって、私は視線を落した。
「頭の固いものが多いのでな。とくに今は皆気が立っているのであろう」
そう、特に今は気が立っている。私がいなくなって、新しい領主を決めなくちゃいけなくなって。候補は一人しかいないのだからもめてはいないと思う。でも、主が変わる時は皆気が立つ。私の時もそうだった。実際にそれで異母弟は死んでしまった。それに中国はたくさんの問題を抱えている。商人との関係とか海賊のこととか。他にもいろいろ、いきなり大きくなった国だから。
風が吹いた。私ははっと顔をあげる。自然の風とは違う、この海には不自然な風だ。
「どうした?」
「風が」
「風? 流れが変わったな」
長曾我部は気付いていない。海の上に、島と島の間に、ちらちらと小さな火が揺らめいている。この空気、不味いと本能が言っている。
瞬間、海上に明かりが灯った。松明の灯りに目がくらむ。その光はあちらこちらで増えていって、ついにはこの船を取り囲んだ。
「っ……!」
「……ああ、囲まれてたみてえだな」
見渡せばどこを見ても光がある。なんて数の多さだろうか。灯りをともしてやってきたのはみんな軍船だ。見覚えのある旗印と火の光にに、私は眩暈がした。
「野郎ども、毛利が来たぜ! 気ィ引き締めな!」
長曾我部の声に応えて、夜の空気が震えた。彼らも一戦あると覚悟していたのだろう、兵士たちの熱気は星すら落してしまいそうだ。
私は身を乗り出し、毛利の船を見た。まだ距離があるし暗くてわからないが、あの中のどれかに晴久がいる気がしたのだ。空に風が吹き抜ける音が響いている。どうにかして私がいることをうまく知らせなくてはならないと思案していると、私は長曾我部に担ぎ上げられて船の中へ連れ込まれてしまった。
「長曾我部っ、何をするか!」
いくら暴れても、男はびくともしない。奥まった一室の扉を開けて、長曾我部はそこに私を放り込んだ。私は尻餅をついて、涙目になりながら彼を見上げる。
「ここにいろ。絶対に出てくるな」
真面目な顔で、彼は言った。立てかけてあった槍をひっつかんで出ていこうとする。私は立ち上がり、長曾我部を引きとめた。
「我とて自分の身は自分で守れる、そなたも知っているだろう」
「駄目だ。この船は沈みやしねえから安心しな。次にここを開けるのが俺じゃなくても、あんたならうまくやれるだろ?」
優しい声で恐ろしいことを言って、彼は私を部屋の中に押し込む。そして無理矢理に扉を閉めた。
「じゃあ、大人しくしてろよ」
「待て! 長曾我部!」
扉の向こうで何かごそごそやって、長曾我部の気配は遠ざかっていった。押しても引いても扉は開かない。鍵のかけられるような作りにはなっていないはずだが、何かで固定してあるようだ。扉を叩いても騒ぎの声にかき消され私の存在には誰も気付かない。
何とかして出なければならないと、私は自らの力で灯りを灯し部屋を見渡した。扉は先ほど閉ざされた一か所しかない。西洋風の椅子や机、見慣れない大きな寝台が小さな部屋に詰め込まれている。ここは長曾我部の私室か何かか、と思ったその時、地震が起こったような大きな音がした。
「あっ!?」
すぐ衝撃が船を襲った。一瞬体が宙に浮いて床に叩きつけられる。その上に、何か大きな物が――おそらくあの机が、倒れてきたのだと思う。衝撃と息のつまるような感覚に、気が遠くなった。
私ってこんなのばっかりで、本当に運がない。それがすごくおかしくなって自嘲気味に笑った。自分が馬鹿らしくなって、怒りさえ湧き上がってくる。
「くそっ……!」
こんなくだらないことで死ねない。これで死んだら毛利に仇なすものすべて、末代まで呪ってやると、暗くなる意識の中で考えた。
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