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「っ……ぅ……」

 遠くに聞こえていた戦の音が、はっきりと聞こえるようになってきた。光の差し込まない船の中、視界は相変わらず暗いままだが、私ははっきりと意識を取り戻した。いったいどのくらい気を失っていたのかは分からない。しかし、そんなに長い間ではないと思う。

 押しつぶされていた机の下から這いずりでると、頭を強く打ったせいかくらくらした。脳震盪をおこしたのだろう。頭をさすると大きなたんこぶが出来ているのに気づいた。

 私がくらくらするのは頭を打っただけではなく船がまだ揺れているからだ。ここにいてはまた怪我をするに違いない。

 私は何とかしてこの部屋から脱出しようと扉を探した。僅かに外の灯りが漏れていたから、扉はすぐに見つかった。でも、押しても引いても扉は開かない。しかし、先ほどの衝撃で戸が歪んだのか、開かないでも破壊することはできそうだと思った。

 私は踵を返し部屋の奥に倒れていた椅子をひっつかむ。ふかふかとしたクッションに刺繍の施された布が使ってある。触ってみると、丈夫そうな木になかなか凝った装飾が彫り込まれていた。しかし、そんなことは私には関係ない。遥か西方からやってきた椅子もまさか扉を破るために使われるとは思わなかっただろう。私は椅子の背をつかみ、思いっきり振り上げて、扉に叩きつけた。

 ばきり、と木の折れる音がして、外側へ扉が倒れた。戸は壊れなかったが固定されていた壁のほうが耐えられなかったらしい。光が入り込んできて私は目を細める。用済みの椅子をそっと脇に置くと、私の袖口から固い音がするものが落ちた。

「……?」

 見ると、刃の潰れたナイフが落ちている。そういえば返すのを忘れていた。何もないよりはましだろうと、私はそれを拾う。

「良し」

 本当は何も良くはないのだが、私は部屋をでて走り出した。一度案内された道を迷わず外へ向かい走り抜ける。怪我をして通路に転がり呻いている兵を飛び越えて、立ちふさがる兵をナイフの柄で叩き伏せた。どちらの兵だったかなんて気にしていられない。ただ前へ。この争いをとめなくてはならない。今それが出来るのは、私だけだ。

 甲板へでると、風が強く吹き荒れていた。篝火の火が燃え上がって、とても眩しい。一際激しく燃え上がっている炎へ目を向けると、そこに二人はいた。

「賊風情が……命が惜しかったらさっさと降伏しな」

「あんたじゃ話にならねぇな。一度黙らせてやるぜ」

 晴久と長曾我部。武器を手に向かい合い、そこだけ空気が違う。晴久はかなり気が立っているようで、風に乗って殺気があたりを渦巻いている。長曾我部の碇槍は『バサラ』で激しく燃えあがって、やる気満々だ。本気で殺し合う気だと、ぴりぴりとした空気で分かる。肌が痛いほどだった。

「っ!?」

 その時、私は二人のことで頭がいっぱいで自分のことが疎かになっていた。逸れ矢が肩を掠めて、甲板に突き刺さる。私は動揺してその場にへなへなと座りこんだ。

「――松寿」

 誰かに名を呼ばれた気がする。風が揺らいだ。酷い耳鳴りがして、私はまだ顔をあげることができない。近くにやってきた中島に腕をとられ、ようやく顔をあげると、既に決着はついていた。

「晴久!」

 煌々と照らされた船の上、刀を掴んだまま突っ伏している晴久を見て、私は叫び声をあげた。眩しい光の中へ走り出ると、長曾我部が私の手をつかんでとめる。

「待ちな、こっちはまだ……」

「離せっ! あれは、我の義兄だぞ!」

 夢中でナイフを突きつければ、一瞬彼は怯んだ。その隙に倒れた晴久のもとへ駆け寄って、しゃがみこむ。激しい出血はない。自力で立ち上がろうとする様子に私はほっとした。

「元就さま」

「何故、元就様がここに?」

 毛利軍の兵たちが私に気付き、ざわざわと騒ぎ始める。もう鉄がぶつかり合う音は聞こえない。波の音、風の音、息を飲む音、夜の海にそれだけしか聞こえなくなった。

 長曾我部は何も言わない。彼の視線が背中に突き刺さるのを感じた。いったいどんな顔をしているのだろうか。私は振り返ることができなかった。

「晴久」

「うるせー、頭でっかちの大バカ野郎」

 立ち上がろうとする晴久に手を伸ばすと、その手を思いっきり叩かれて、私は呆然とする。一人で立ち上がった晴久を見上げると、篝火を反射して瞳の光がゆらゆらと揺れていた。

「本当に、何してたんだよ、バカ野郎……戻ってこなけりゃ良かったんだ」

 晴久は瞳をごしごしと袖で擦って、落としていた刀を拾う。私を見て、私の後ろにいる長曾我部を見て、晴久は眉をひそめた。状況が彼もいまいち分かっていない。突然のことに頭が回らないらしく、彼は黙り込んだ。

 波の音と、燃える篝火の火が弾ける音だけが暗い海に響く。漆黒の海に、音が吸い込まれてしまったよう。ここにいる全ての人間が、ここが戦場だということを忘れていた。

 まるで演劇の舞台のようだと、私は思った。舞台の上の役者の、次の台詞を待つような、そんな空気に船上は包まれている。明るい灯に照らされた舞台の上で、私は口を開いた。

「晴久、一度兵を戻せ。こちらが不利よ」

 私はゆっくりと立ち上がりながらそう言った。晴久も、自分が長曾我部に負けて兵たちの士気が下がったのが分かっている。私の登場で兵たちに動揺が広がったことも。晴久は刀を納め、側にいた男に声を掛けた。

「……村上。全軍一時撤退」

 村上と呼ばれた男は暗がりで頷いた。そこから後は速い。ぞろぞろと兵たちは決められた船に戻っていく。観客が減っても妙な緊張感はとけなかった。

 毛利の兵が今いる船上から消え、私は長曾我部を振り返る。長曾我部は碇槍を担ぎなおし、私と晴久を交互に見た。

「成る程、話が見えてきたぜ。あんたが何者なのかも」

 長曾我部は笑って、言う。

「おかしいと思ってた。あんたは毛利元就の影武者かなにかなのかと思ってたが、違った」

 少し近づく長曾我部を警戒して、晴久が私の前に立とうとする。私はそれを制して、大きく息を吸った。

「そう。我は毛利元就。中国が覇者」

 私の言葉に、今度は長曾我部軍がざわめき始める。中島などは驚きを隠せず、手で口を覆い目を見開いていた。

「嘘を、ついていたわけではない。松寿は、松寿丸は我の幼名。晴久はそう呼ぶ」

「偽名だと思ってたがな。それにあんたが毛利の血をひく者だとは知ってた。でもまさか、智将本人だとは思わねぇ。俺たちはあんたに良いように操られてたわけか」

 長曾我部は自らを嘲るように笑いながら言う。わざとらしい、芝居のようだと思った。

 本当は薄々感づいていたのだろう。私があの日『バサラ』をつかった時から、気づいていたはずだ。私が毛利の血を強く受け継ぐ者だと。長曾我部はそれに気付かないふりをしていただけだと、私は今気づく。

「そなたを利用していたこと……否定はせぬ」

 私はずっと守られていた。信じられないくらい情の深い男に、良心が痛む。何も言わなかっただけだけど結果的に騙していたことは事実だから。

 熱くなっていた場が、潮風で冷やされてくる。冷えた秋の海、静かな夜の海。高揚していた気分が冷めてきたのだろう、長曾我部はため息をついた。

「何故我が兵を退かせたか、分かるか」

「あんたはこの戦い、無駄な争いだと思っている。何の利もねぇからだろ」

 長曾我部は私が無駄を嫌うのを知っている。確かにそう、少し前の私ならそう答えただろう。

「それもある。だが」

 私は首を横にふった。そして真っ直ぐに長曾我部を見つめる。

「そなたを、信用しておるからよ」

「松寿……お前」

 私らしくない言葉に、今まで黙っていた晴久が驚きの声をあげた。

 信じる、なんて私に一番似合わない言葉。奇計智将と呼ばれた私が、人を騙して利を貪ってここまで進んで来た私が、他国の領主を信用しているなどと言うのだ。信じられないという目で私を見る晴久に、私はちょっと笑った。

「晴久、我はこの男にこの命を救われた。話の続きは中国でしたい」

 今の私にその決定権があるのかは分からないが、私は晴久に頼む。晴久は少し間をあけて、言った。

「……まあ、穏便に済ますには、そうするしかねーだろ」

 長曾我部がその言葉を聞いて、少し笑ったような気がした。

 もうすぐ夜が明ける。東の空の星は輝きを失って、白む空に消えていく。船上の男たちが大声で叫んだ。鬨のようにも聞こえるそれに、晴久は機嫌が悪くなる。

「負けたわけじゃねーぞ、一時休戦ってやつだ」

 晴久の呟きは、男たちの大きな笑い声と共に暗い西の海に消えていった。


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