眠たいのに眠れない。体のだるさと、止まない頭痛とひと晩戦って、私はもうヘロヘロだった。
食事を持ってきた女中たちに酷い顔をしている、体調が悪いのかと騒がれて、それがあまりに煩かったので余計に頭痛がひどくなる。騒ぎを聞きつけた中島に頼んで、女中たちを追い払ってもらい、私はようやく一息つくことができた。
「しかし、本当にひでぇ顔。兄さんちゃんと寝てるのかい?」
中島に呆れたように言われ、私はため息をついた。ため息をついただけで辛い。肺の中に疲れがくすぶっているようだ。
「どうも体が動かぬ。寝るべきなのだろうが、眠れぬのだ」
私はそう言って、布団に顔を埋める。
夢見が悪いという訳ではない。眠くならないのだ。子供が遠足の前に興奮して眠れない、そんな感じに近いと思う。
しかし、私は眠たいのだ。体が疲れで悲鳴をあげている。体を動かそうと思っても、上手く動かないほど疲れ切っている。
「そういやあ、アニキも昔そんなことがあったな」
中島が不意にそんなことを言ったので、私は顔だけそちらに向ける。中島は頭をかきながら、思いだすようにぽつりぽつりと話し始めた。
「アニキは昔っからすぐカッとなるし……短気だったからすぐ『バサラ』を使っちまって、よく城はボヤ騒ぎがあったんだ」
アニキが子供の頃の話だ、と中島はあわててつけ足した。
その話を聞いて、私も暴走させたな、とぼんやり昔のことを思いだす。もしかしたら、強い力をもつ者はみんな一度は暴走させるものなのかもしれないと思って、自分だけではなかったと少しほっとした。
「そのあとはだいたい体が動かないって言ってたな。意識ははっきりしてるけど、体の方が動かない。気持ちに体がついてこないんだって。体力つけた後はなくなったみてぇだけど」
「……やはり、力を使いすぎたか」
布団に突っ伏しながら、中島の言葉を反芻して考える。
おそらく、私たちは気力の方が先に回復してしまうのだろう。『バサラ』は気であり精神力のようなもの。気持ちは前へ行こうとするが回復しきっていない体はついてこない。そのズレが今の私の状態なのだ。
体力があれば、きっと今回のように倒れたりはしないのだ。精神と体は当然だが繋がっている。多くの水を運ぶためには大きな器が必要なように、強い『バサラ』を使うためには強い体が必要なのだ。
私はぼんやりと、自分の限界を見たような気がした。
「雨に打たれて必要以上に体力消耗したんじゃしょうがねぇって。兄さんも飯食って横になってればすぐよくなるさ。じゃ、俺は船の方見てこないといけないからこれで」
さりげなく私に食事を勧めて、中島はいそいそと出て行った。最後まで私を兄さんと呼ぶあたり、やはり長曾我部に口止めをされているのだろうかと思いつつ、少し顔を上げる。すぐそこに女中が朝置いて行った食事がそのまま放置されているのが見えた。
体が怠くて起き上がる気にはなれない。お腹がすいたとは思わないが、食べないと危険な気がする。最後にものを食べたのは、倒れる前におにぎりひとつ。その前もあまり食べていない。水分も、とっていない。
辛いし怠い。もしかしたらこのまま、死ぬかもしれないなどと考えていると戸が音をたてて開いた。中島がもどってきたのかと思ったが、違った。
「おいおい、大丈夫か? 飯も食ってねぇじゃねーか……」
どたどたと大きな足音をたてながら、長曾我部が私の枕もとにしゃがみ込んできた。私は首だけ動かして、長曾我部を見上げた。
「ったくよぉ、女中が騒いでるからどんなもんかと思ってきてみれば、本当にひでぇツラしてやがる」
とにかく水を飲め、と体を起こされて、差し出された水差しを受け取った。私は一口水を飲む。体に水がスーッと広がっていくのが分かるような気がした。体が急に楽になる。脱水症状が起きていたのかもしれない。
水差しの中の水を全部飲んで、私が水差しを返すと、急に手をつかまれた。私は驚いて手を引っ込めようとしたが、びくともしない。からの水差しがころんと畳の上に落ちて、転がった。
「傷だらけだな」
何をされるのかとびくびくしていると、長曾我部は私の手を見てそんなことを言った。
輪刀という特殊な武器は、扱いが難しい。その形状ゆえに自らを傷つけることもしばしばある。あまり気にしたことはなかったが、やはり私の手は固く傷だらけで、武人の手だった。私はなんだか無性に恥ずかしくなる。
「……女が刀を握るなど、やはり……おかしいのだろうな」
その上私は領主であるのだから、という言葉を心の中でこっそり唱えた。うすうす気づいてはいるだろうが、兵を騙し、領民を騙し、私はとんだ道化である。
長曾我部は私の腕をつかんだまま、私の顔をまじまじと見た。酷い顔をしているのは分かっていたので、袖で顔を隠す。そうすると、長曾我部はそれがおかしかったのか笑った。
「そうか? 力もってるやつはその辺の兵より強いぜ。サヤカも……慶次のねーちゃんも……」
長曾我部は私を励まそうとしているのか、いろいろな話をした。私と同じ『バサラ』を持つ強い女たちの話。でも、私とひとつ違うのは、彼女たちはどうどうと女として戦場を駆けていること。そうやって生きられるのが、私はうらやましかった。その生き方を認められているのが、うらやましい。
「我が特殊なのだな。このようなことになるのならば、我は力などない方がよかった」
私は、今度はこうなったそもそもの原因を恨んだ。たとえ今のように家が大きくならなくても、皆と平穏に暮らしていけるなら、それでよかった。私が力がなかったら、女のままだったら、きっと、せめて、月夜丸くらいは助かったはずだ。
もしも、なんて考えるだけ無駄だが、ここにいて何もしていないとそんなことばかり考えてしまう。もし、私が普通の『千』のままであったなら。この四国の人々のように、暖かい人々に囲まれて暮らしていけたような、そんな気がするのだ。
「力など、なければ……」
私はもう一度、言ってみる。
望んだ世界を思い描き、私は瞼を閉じる。体がどろりとしたものに覆われて、沈んでいくような気がした。叶わないと、分かっているから苦しい。でもそれはひどく甘い。決して叶わない望み、その世界は私を現実から遠ざけていく。
しかし、長曾我部が私の手を強く握ったので、私は現実に引き戻された。
「でも俺たちは、あんたの力で助かったんだぜ? 夜の海で陸を見失ったときほど恐ろしいもんはねぇ。あんたの光は俺たちにとっては希望の光だった」
「きぼうの、ひかり……?」
その言葉の意味が、私は最初、分からなかった。
「あんたには礼を言っておかなきゃいけねぇと思ってたんだ」
そう言って、長曾我部が笑う。胸がふわり、暖かくなったような気がした。ふっと気づく。この感情は喜びだと。
「っ! 借りを返しただけだ。礼などいらぬ!」
私は感情が顔に出そうになったことに気がついて、咄嗟に顔を逸らし、隠した。私の力が誰かを助けたのだと、ようやく気付いて、どうしようもなくうれしかった。
「何だ、照れてるのか?」
「照れてなどおらぬ!」
多分私は、耳まで真っ赤だ。分かる。それくらいうれしくて、それぐらい戸惑っているから。
長曾我部が声をあげて笑っている。私はそれが、多分嬉しい。
体が動かなかったことなんて忘れてしまって、ああ、お腹がすいたかもしれない、と私は思っていた。
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