20

 人の足音や話し声、生活の音が微かに聞こえてくる。体が重たくて動けない。しかし、私は目が覚めたようだ。重たい瞼を無理やり開けると、ぐらりと世界が回った。頭を強く打った時のようにじわじわとした痛みが私を襲う。

 私は気持ち悪かったので、もう一度目を閉じた。前にも確か、こんなことがあったような気がする。体調が悪くなると心細くなって、目を閉じたまま何か握りしめる物を探してしまう。そうしていると、額にひんやりとした手が置かれたのを感じた。

 私はそれが、幻覚か何かなのだと思った。幼い頃、母上の幻覚を見たのと同じように私は今度は杉様の幻覚を感じている。あの城を追い出されたとき、私を救ってくれた杉様。母親の代わりに私を支え、育ててくれた杉様。毛利元就である私にとって、あの人は母親同然の方だった。

「杉、さま」

 確かに私はそう言おうと口を動かしたのだが私の耳に届いたのは空気の微かな震えだけで、それは声というにはあまりに弱弱しい。私はもう一度ゆっくりと瞳を開く。また視界は揺れたが、今度は先ほどは見えなかった銀色が視界の隅で揺れた。

「お? 起きたか」

 聞きなれてしまった声が聞こえ、男がひょっこりと私の顔を覗き込んでくる。私は長く、息をはく。

「……なぜ、そなたがいる」

 今度は上手く声を出すことができ、私の耳にもしっかりと自らの声が届いた。それを聞き、長曾我部は眉を顰める。

「何故、じゃねぇよ。帰ってきたらあんたはぶっ倒れてるし、可之助は取り乱してるしよぉ。ただでさえ大騒ぎだったってのに……」

 そう言った長曾我部は目の下に隈をつくって疲れたような顔をしていた。自業自得だと私は呆れたが、それと同時に浮ついていた心がストンと落ち着いたような、そんな気がした。

 私は何時までも寝ながら話を聞くのは見苦しいだろうと思い、体を起こそうと腕に力を入れた。しかし、力を入れたところがびりびりと痺れたような感覚に襲われ、動かない。例えるならば金縛りにあったような、そんな感覚。意識ははっきりと起きているのに、体はまだ眠っているような感覚。

 何だか私は焦ってしまって、必死に体を動かそうとする。それに気付いたのか、長曾我部は私の体を支えて起き上がらせた。

「体がついてきてねぇみたいだな」

 その言葉に、私は首をかしげた。長曾我部は難しい顔をして何かを考えている様だったので、私の様子には気づかない。

 頭はぼんやりして、体も動かないのでふらふらと倒れそうになる。しかし今の私には重力に逆らうこともできない。しょうがないので長曾我部の腕にぐったりともたれかかっていると、彼はひょいと私を抱え上げ、すっぽりと腕の中へ納めた。

 私は長曾我部の腕に抱かれ、しばらく何が起こったのか考えていた。

「……これは何ぞ」

 しばらく考えて、いろいろとおかしいことに気付き、私は長曾我部に文句を言う。

「ぶっ倒れて頭打ったらあぶねーだろ。女なんだから、もうちょっと体は大切にしろよな……」

 長曾我部はため息交じりに呟く。私はそれをぼんやりと聞きながら、彼の腕に少し力がこもったのを感じていた。

「……ん?」

「ん? どうした?」

 私の顔を覗き込む長曾我部の顔をじっと見て、私は2、3度瞬きをした。そして、さっと血の気が引いていくのを感じた。

「いつ、気付いた」

 長曾我部は私の言葉が聞き取れなかったのか、意味が理解できなかったのか、目をぱちぱちとさせている。

「我が、女だといつ気付いたのだ!」

 私は混乱してしまって、声を荒げた。長曾我部の腕から逃げ出そうともがくが、体が言うことを聞かない。私はどうしていいか分からなくなって、ふるふると体を震わせる。

「少し前だな。男にしてはやわらけーし、小さいし……でも、確信を持ったのは今だぜ?」

 ちらりと見た長曾我部の視線を辿って、私ははっとした。胸がやけにすっとすると思ったら、私は今胸にさらしを巻いていない。薄い寝衣ではくっきりと、体の線が分かる。控え目ながらも男にはない二つのふくらみも、柔らかな腰の線も私が女であると主張していた。

 気が遠くなるのを感じ、ふらりとすると、長曾我部の腕に力がこもる。私はびくりと身を固くした。

 今まで私を守っていた嘘が、ひとつひとつ剥がれ落ちていく。私は、女であるのが恐ろしい。男であると、そう思われているだけで私は安心できていたのに。その嘘が、私の本当の姿が暴かれてしまったら、私は急に動けなくなってしまう。目の前の男が、急に恐ろしくなって、本物の鬼に見えてくる。

 しかしながら、長曾我部の腕は相変わらず優しかった。私の乱れた襟元をそっと直して、海の色の瞳を細める。

「なに、あんたは今まで通り生活してりゃあ良い」

 耳元でささやくように言われ、ぞくぞくと背筋を何かが這っていくように感じた。顔が近い。吐息が耳にかかる。胸が痛い。

「あんたが女ってのは黙っておいてくれよ。俺が女囲ってるなんて知られたら、野郎どもがうるせぇからな」

 長曾我部はそう言って、私の髪を撫でる。サラサラと、髪がこぼれ落ちていくのを、私は黙って見ていた。

「何かあったら、俺か可之助か……ああ、後で女中にあんたのこと頼んでおくか。女同士の方が言いやすいこともあるだろ」

 長曾我部は私を置いてどんどん話を進めていく。しかし、特に反論もなかったので私は黙ってそれを聞いていた。

 それよりも、私は自分の胸の轟きを何とかしようと必死だった。どくどくと、心の臓が張り裂けてしまいそうなほど脈打っている。体が熱く、どうにかなってしまいそうなほど苦しい。

 この感情は悪いものだと思った。押さえつけられないほど激しい感情は身を滅ぼすだろう。怒りや、憎しみ、人の激しい感情を今まで私はどれだけ利用してきたことか。激しい感情は、悪い物だと知っているのに。私はこの感情から逃れられない。

 せめて、この場から逃げ出そうと、私は必死にもがく。言うことを聞かない自分の体を呪い、悔しくて恥ずかしくて、私は涙が溢れそうになる。

「……もう少し寝た方がいい。いろいろ聞きたいこともあるが、あんたが良くならねぇとな」

 長曾我部は私を夜具の上に転がして、ぽんぽんと頭を撫でた。大きな欠伸をして、男は立ち上がる。

「何か食うか?」

 長曾我部は私に問うが、私は首を横に振った。はやく、はやくひとりになりたかった。

「……水くらい、飲んどけよ」

 長曾我部はそう言い残して、ふらふらと去っていった。

 私は、体調が悪いのだと自分自身に言い訳する。少し、気が弱くなっているのだ。

 あんな男助けなければよかったと思うと同時に、あの男が生きていたことに喜んでいる自分もいる。これは、気の迷いだ。それ以外のなんでもない。この胸の痛みは、この感情は気の迷いなのだと、必死に自分に言い聞かせた。


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