通り雨が過ぎて、じとじととした空気が気持ち悪い夏の夜だった。
前日、兄上が城の近くで蛍を見た、と父上に話していたので、私は兄上に蛍を見に行きたいと頼んでみた。しかし、夜で歩くのは危険だからとやんわり断られ、父上にちらりと視線を送ってみたが、父上は少し微笑んだだけだった。
明りのほとんどないこの地で見る蛍はどんなものなのだろう。きっと、とても綺麗なのだろうな。見てみたいという思いが昨日から消えず、私はぼんやりと蛍のことを考えてばかりだった。
「……ほたる、みたかったなぁー」
寝衣に着替え、夜具のうえでごろごろ転がっていると、兄上が軽い足取りでやってきた。ごろごろしてるところを見られてしまった。
「あれ、もう寝るところだった?」
「……うん」
兄上は全く悪びれる様子もなく、そう、と言うと、私の前にすとんと座る。それから、私の目の前に巻貝のような螺旋をえがいた籠を突き出した。網の目が狭くよく中が見えないそれを受け取って、訝しげに中を覗き込んでいると、暗い籠の中で星が瞬いた。
「あっ、ほたる!」
「千が見たがってたから捕まえてきたんだよ」
通り雨であまり飛んでいなかったんだけど……と、兄上はそのあとも何か言っていたのだけれど、私の関心は完全に蛍に向いていたので全く話を聞いてはいなかった。
ほの暗い空間でみえる光はとても明るく、私の目に焼き付いた。彼らは命を燃やし、この小さな籠の中で懸命に輝いている。夜、日が落ちた後でさえ人工の光の中で生きていたあのころの私には分からなかったであろう感動が、胸の奥でじんわりと広がった。
「あ、あにうえ、ありがとう」
私はお礼の言葉も言っていなかったことに気付いて、あわててお礼を言った。
「千がもう少し大きくなったら、飛んでいる蛍を見に行こう」
兄上はそう言って、にこにこと笑った。私はそう言ってくれたことが夜具の上で飛び跳ねたくなるほど嬉しかった。
「蛍の命は短いから、見終わったら逃がしてあげるんだよ」
そう言うと私の頭を二、三回撫でて兄上は立ち上がった。
「それじゃあ、おやすみ。」
「おやすみなさい、あにうえ。」
挨拶もそこそこに、兄上はさっさと足音を立てながら廊下を歩いて行った。もしかしたら忙しい中私のために蛍を捕まえてきてくれたのかもしれない。
しばらく蛍をながめた後、籠の底に貼ってあった和紙をはがして、蛍を逃がした。
空になった籠を枕元に置いて、私は蛍の光を思い出しながら、眠りについた。
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