□グラントゥーリスム


峠の夜は深い。
そんな事を何とはなしに思いながら、生江はAWの電気系統を一つずつ落としていく。計器盤を一通り確認してFDの後ろにAWを並ばせると久々の雰囲気になんだかちょっと興が乗ってきたのでいただけない。
最近ふとした折に思うのだ。自分の限界はまだまだこんなところでは無い筈だと。
この界隈の峠の雰囲気に言わば和気あいあいとしたものが多少なりともあったけれど、必ずしもそれが何処に出ても通用するとは限らない。この業界に置ける御大層なチームやら何やらが居座るようになり、得てしてくだらない派閥争いもまた然り。やり方こそ違えど行き着く先は結局ここなのだ。ならば走るしかないだろう。
ばらつきの収まってきたFDのそれに同調させるように生江も何度かアクセルを空ぶかし、やがて先行がゆったりと動き出す。生江が続いてAWを発進させた。
やるからには勝つ。それだけだ。





最初の右コーナーを過ぎたところでFDが一気に加速したのを切欠に二台はそのまま続く左コーナーをやり過ごし、きっちりと減速したFDとの車間をここぞとばかりに詰めるようにAWが張り付いて来る。
付かずとも離れず、微妙な距離を保ったままで早々抜きに掛かる様子もなく、ちょっとした高速区間のそのついでに勾配に倣って調子づくかと思えばしかしそんな様子もない。
だとすればどうやらコーナー勝負を狙っているのだろう。良くある例ではあるが、意識的にそういうポーズを取ってでもいない限り、その多くはキャリア相応以上の場数を踏んでいてかつ腕の立つ実力者に見られるものだ。さすがにぽっと出の余所者を一筋縄で行かせてくれる程甘くはないらしい。それでこそ史浩らの目を忍んで足を運んだ甲斐があると言うものだ。
向こうがその気ならこちらも容赦する必要もないだろう。
直線を抜けた先にある緩いヘアピン。そこで仕掛けてくる可能性も低かれど視野に入れながらFDが一気にシフトダウン。
しかし相手の方が若干ブレーキングポイントが遅い所為かどうにも車速が割に合っていないようにも見える。
「その速度で突っ込んで曲がれるってか…?」
このままの進入速度でやりきれるとは到底思えないスピードだが当然のように減速する気配もない後続車のおかしな挙動をバックミラーごしに確認した啓介が、ぎこちなくフロントガラスに目線を戻しながらそう呟いた。
似たような見てくれだけなら今までだって何度も見てきたが、その半数以上が曲がりきれずにラインを失うか綺麗な一回転かの大体どちらかである。よっぽどの向こう見ずなのか何なのか、下手を打てば再び板金送りだ。
だがしかしそんな杞憂は心配に終わった。器用にリアを流して危なげながらもクリア。
公約通り峠のバトルのおいしいところなんて言うのは決まって後半の勝負どころで、そして当たり前のように同業者はそれを狙う。従って前半に無茶をするのは単なる格好付けやそう言った類のものが相場だが、彼女のスタイルはそのいずれとも違って見えた。
鼻からの限界勝負。
一言で表すならそういう事だ。





右へ左へ流れるワインディングから次第に開けてくる視界に生江は段々と進入速度を上げていく。そうせざるを得ないのは両車両の設計事情やら何やら面倒な事から来るもので、そもそも馬力差がそうある訳でも無いのに実際問題こうも手間取るのはあれだろう。車重の軽さと所謂フロントミッドエンジンだかで上手くバランスを調整しているFDは相当厄介だ。これは前を走られるのが嫌な種類のクルマだと今更ながら生江はそう思った。
お陰でちょっと長めの高速区間が続けば意識せずとも自然とそれなりの差になってしまう。全く余計な事を。
「何かに拘って私が後ろに居ると思っているならそれこそ見込み違いよ」
生江はそう言って鼻で嗤った。
コーナー勝負を選ぶのには何も美学や理屈からではなく、結果的にそういう位置づけになってしまうだけであってそこに他意はない。リアタイヤの消耗戦に尽きるこれほど見え透いたバトルをわざわざ長期戦に持ち込むような真似はある種の自殺行為である。そんなのは勿論お断りだし、きっと相手も相手でその筈だ。
だとすれば互いに考える事なんて大体同じな訳で、いかに効率的に手っ取り早く終わらせようと言う魂胆が丸見えのそれなのだ。
必然的に仕掛けられる場所はもう限られて来る。
スピードレンジを上げながら複合コーナーをからくもやり過ごし、抜けたその先に現れるのはあまりにも短すぎるストレート。そこを過ぎた次なる連続ヘアピンが一度きりのオーバーテイクになるだろう。
AWが相手の進入速度に合わせ、いつもより早めの減速で犠牲を払い、立ち上がりを重視したドリフトで左に旋回。
クリア。
セオリー通りのライン取りで無駄らしい無駄もなく、FDに食いつき生江はこれ幸いとアクセルを開け、そうする事で先のワインディングで開いた差を一気に詰める。
前を走るFDが急ブレーキを踏めば間違いなく衝突する距離感になった。
ぴったりと食いついたまま二台が連なって三連続ヘアピンへと突っ込む。
「…ここで仕掛けてくるか」
AWの過剰な張り付き具合からそれを察知するのはそう難しくなかった。
先から仕掛けどころを探っていたのはそれとはなくわかっていたが、いざここだと思い切りをつけられるのは勝手知ったる地元の特権と言う奴か。
迂闊に減速も出来ない車間距離が意図してそうされているような気がしてどうにも癪だけれど。
そうこう迷っているうちに相変わらずの潔い突っ込みで対向車線に飛び出したAWと瞬間的に鼻が並ぶ。
あくまでも譲らないイン側をキープするFDにより近づこうと内側に入って来るAW。二台が縺れながら一つ目のヘアピンを過ごす。
綺麗に立ち上がったFDが再び加速するとやはり両者の間に少し隙間が出来るが、続く二つ目のヘアピンにより逃げ切りの先行は阻止された。
どんなささやかなミスさえも許さない道幅でのアウトインアウト。どちらかが操作を誤れば必ず互いに損害が出る。
綺麗にお尻を振って二つ目のヘアピンもクリア。
残り一つ。
間髪入れずに最終ヘアピンへと突入し、アウトから一気に仕掛けて来るAWをブロックの意味合いも兼ねてアクセルを踏み込むと慣性でFDが外側へと膨らんでいく。
ここからは単純な精神勝負だ。
どちらが限界まで耐えられるか。フロントバンパーを擦るほんの手前までAWに近づけ、道幅を塞ぐように横向きに揃った車体。
極限の緊張状態を保ちながら啓介はまだステアの角度を変えようとはしない。
漸くAWの挙動に微妙な変化が生じたから。そして生江が音もなく眉を寄せる。
露骨過ぎる幅寄せだが生憎何を対応する術もなく、完全に接触を待つばかりの体勢は意図的に仕組まれたに他ならない。わかっているのだ。それが奴の狙いだなんて事ぐらいは。
生江は逃げ場を探して辺りに目を馳せる。
車体のコントロールから集中力を削ぎ落とされるようなそれが何せ不愉快で仕方無い。どうしろと言うのだ。
そう迷ったのが生江がアクセルを抜くタイミングを遅らせた。
ホイルスピン。
「ぶつかる…!」
生江がそう言葉にする前にAWのリアが惰性に沿って流れ始めた。
路面に沿う事により上手くステアを切ってそう広くない道幅を一杯に使って半回転したAWの脇をFDが実に器用にすり抜けてそのまま下る。言うまでもないが所謂相手の作戦勝ち。
AWが勾配の上を向いて止まり、路面に描かれたそのタイヤの跡を慈しむように生江が双眸を細める。
踏み込むタイミングを躊躇したのは全く単純な道理から。自らの所有物に関する疎外感のようなそれがふと胸を過ぎったからだ。
もうとっくに自分のものになった筈の車が、偶にこうして前オーナーの愛着にも似た何かをちらつかせる。それがどこから来るものなのかははっきりとは解らないけれど、自分がトップエンドまで回し切れているとは思えないから。
もう試合続行の意思が無いのか、FDは勾配に沿って減速し、ハザードを点けて青空駐車へ滑り込んで行った。
本当に、嫌な奴。
わざわざ人の嫌がるここ一番の仕掛けどころを探るような姿勢が些か腹立たしくもあるけれど、妙に潔い勝ち逃げにはある意味生江も思うところがあって、そしてアクセルを戻して結局笑った。笑ってしまった。






最近ふとした折に思うのだ。自分の限界はまだまだこんなところでは無い筈だと。
それが今日、高橋啓介と走ってみて一つ解った。
自分はまだまだ上手くなれる。ここで立ち止まっていてもそれで楽にはなれないし、かと言って闇雲に進んでそれが楽だとも違うけれど。
この業界に置ける御大層なチームやら何やらが居座るようになり、得てしてくだらない派閥争いもまた然り。やり方こそ違えど例え行き着く先が同じなら、それはそれ。これはこれ。

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