カウンター≒クロックワイズ | ナノ


2017.08.11 00:27:43  




 稀咲が帰ってこない。それに何故か胸騒ぎを覚えた。

 稀咲が帰ってこない事なんて珍しくない。出張や泊まり込みなんていつもの事だし、真夜中に帰ってくるのも当たり前だ。たかだか日付が変わったくらいの時間帯に姿を現さないからと不審に思うことはなにひとつない。だから普段であれば気にすることも無かっただろう。しかし、今日はなぜか胸騒ぎがした。なにか、見落としているような、そんな気持ちにさせられた。

 稀咲のいない暗い部屋の中に居ても落ち着かなくなった知沙は、自ら東卍の事務所に足を踏み入れた。情報系統を担当する知沙が事務所に立ち入ることはほぼなく、知沙自ら動く案件が来たとしてもわざわざ事務所に向かう必要は無い。知沙が担当する仕事は場所を問わないからだ。だから知沙が東卍の事務所に居ること自体が珍しい。

 人がいない廊下をヒールを鳴らしながら歩いていると、廊下の先にスーツを身に纏った見慣れた男を見つけた。知沙はそれを見つけるなりその背中に投げかける。


「半間」
「あ? おお、知沙じゃん」


 振り向いた半間は気怠い様子でゆらりとこちらを振り返る。そうして自分の方へ向かって歩いてくる知沙を見つけると、にやっと目を細めて口角を上げた。

 半間と知沙は昔馴染みだ。お互い稀咲を軸にしている間柄で、学生時代から連れ添っている。お互いのことに関しては不干渉だが、不仲ではなく、程よい距離感で良好な関係を続けている。

 半間は「珍しいじゃん」と滅多に顔を出さない知沙に言う。実際こうして二人が顔を合わせたのも一ヶ月振りくらいになるかもしれない。知沙は半間の言葉に返すことは無かったが頷くように視線を伏せた。すると、ちょうど視線の先が半間の手元で、片手にぶら下げている銀のアタッシュケースを見つけた。


「なに、仕事でもしてきたの?」
「そ。いま諸々終えて帰ってきたとこ。まあ、もうオレも帰るけどな」
「ふうん」


 自分で聞いておいて知沙は半間の話に興味を移さない。相変わらず知沙の視線は周辺に向けられていて、ころころ変わる視線は全く半間と合わない。それを気にせず半間は知沙を見下ろす。すると不意に知沙の視線がようやく半間に向いた。


「ねえ、稀咲知らない?」
「稀咲?」


 知沙の口から出た言葉に半間は疑問を浮かべる。

 稀咲と知沙は昔から常に一緒に居る。半間はそれをずっと昔から見て来ていた。それは大人になった今でも変わらず、噂通り実際に稀咲の愛人なのか知らないが稀咲が主に住処として使っているマンションにも転がり込んでいる。それを稀咲自身も許し、長年一緒に連れ添っていた情なのか、稀咲は知沙への連絡はマメだ。だからこそ知沙が稀咲の居場所を聞いてくるのが珍しかった。


「部屋、帰ってこないの。いつもならマメに連絡くれるのに、全然連絡付かないし」


 腰を手を付いてため息を落とす知沙。稀咲だってもう子供じゃねえし立場関係もあるからいちいちそんなことを気に留めても仕方ないと思うが、なんとなく知沙の雰囲気がいつもと違うことに半間は薄々気づく。そして稀咲が部屋に帰らない理由も半間はなんとなく予測できていた。


「どっかで一人酒でもしてんじゃね、今終わったとこだし」
「終わった……て、なに」


 半間の言葉に、知沙はじっと半間を見上げる。それを見下ろし、間を置てから半間は続ける。


「橘日向と花垣武道の処分」
「――!」


 その言葉にはっと目を見開く。そんな知沙に気づいているのかいないのか、半間は「ま、花垣武道の方は殺し損ねたけどな」とあっけらかんに続けた。

 半間はこの二人が稀咲とどんな関係なのか、稀咲にとってどんな存在なのか、それは知らない。また半間自身もそこに興味はなかった。ただ指示されるままに処分したまで。ただそれだけだ。だから知沙の反応は少し予想外だった。


「――稀咲、何処」


 低く静かな声が響いた。その瞬間、半間は力に引っ張られるまま大きな背中を丸めて頭を突き出すように身をかがめた。それもこれも知沙が力任せに半間のネクタイを掴み身をかがめるように引っ張ったからだ。それに半間は思わず目を丸くする。そんな半間とは対照的に知沙の顔つきは怖い。


「どうせ半間は知ってんでしょ。何処、稀咲……何処にいるの」


 ぐっとネクタイを掴む手に力を籠めながら半間を睨む知沙。その様子を半間は見開いた目をそっと細め、顔色を変えずにただ目の前を見やる。そして一つ息を吐いて、続ける。


「ホント、お前……稀咲のことになると熱くなんなあ」


 そうしてやれやれと半間は瞼を閉じた。





   * * *





 低音で流れるジャズを聞き流しながら、稀咲はソファに腰を掛けて一人で酒を嗜んでいた。ただぼんやりと視線を窓の外に向けて、度数の高い酒を喉に流し込む。それをかれこれ2時間程度続けていた。

 その時、静かな部屋にヒールの踵を鳴らす音が響いた。コツ、コツ、とその足音は徐々に大きくなり、自分へと近づいてくる。それに比例して稀咲は手に持ったグラスを思い切り傾けて一気に喉に流しむ。そしてごくり、と飲み込むと、足音はすぐそばで止まった。


「探した、稀咲」
「……」


 アルコールに浸かった眼差しでちらりと視線をやれば、見慣れた女の姿が映る。それを確認すると、稀咲はふん、と鼻を鳴らして顔を逸らし目を伏せた。


「チッ……半間か」
「まあね」
「ふん……」


 微笑む知沙を拒絶するように稀咲は忌々しそうにする。そのままテーブルに置いたグラスにボトルを傾けて酒を注ぐ。そうして音を立てるようにボトルを置き、また片手でグラスを持ち上げる。その動作を知沙はじっと見下ろす。


「一緒に殺してやったってのに、鼠みたいにうろちょろしやがって」


 稀咲は苛立った様子でそう呟くと、また勢いよく酒を煽る。見た限り酔っている様子は無い。暗くて見えずらが、顔も赤く染まっているわけでも無い。きっと酔えないのだろう、と知沙は思う。


「ねえ、そっち行っていい?」
「……」


 ちらり、稀咲の隣のソファに視線を落として聞く。しかし稀咲は答えることはせず、相変わらず窓の外に視線を向けたままだ。

 知沙は無言は肯定だと受け取り、そのまま流れるような動作で稀咲の隣に腰を掛ける。そしてテーブルに置かれた空のグラスを手に取って、少しばかり酒を注ぐ。避けの入ったグラスを掲げて喉に通せば、アルコールで喉が焼けそうになった。


「強いお酒ね。酔い潰れるならうってつけね」


 は、と息を吐いて空っぽになったグラスをテーブルに置く。そうして盗み見るように隣にいる稀咲に視線をやるが、稀咲の顔は依然として見えない。ただぼんやりと物思いにふけりながら窓の外を眺める稀咲しか映らなかった。

 橘日向を稀咲は殺した。それは稀咲にとって大きなことを示す。そして殺し損ねた花垣武道も、稀咲にとっては重要な人間だ。半間をはじめとした他の人たちは彼らの存在なんて取るに足らない存在だろう。だから稀咲ともあろう存在がそんな二人に執着する理由も見当がつかない。いや、実際稀咲はそんなことを他人に悟らせない。だから稀咲の変化に気づかない。でも――私は知っている。


「でも、まだ……まだ諦めないでよ」


 アルコールに浸る稀咲の手に自分の手を重ねる。重ねるだけの行為は一方的で空しく、意味はなさない。稀咲も振り向くことも口を開くこともしない。


「稀咲なら絶対辿り着けるよ」


 知沙の言葉を聞き流す稀咲は、内心で嘲笑しただろう。橘日向を殺した時点で辿り着く場所は無くしているのだから。それを分かっているはずなのに、何故か知沙の言葉ははっきりとしている。

 その時、ふと時計の針の音が聞こえた。何故か大きな音を立てて聞こえてくるそれは、どこか遠くで聞こえてくる。その一方で、音は耳元で聞こえてくる。なんとも耳障りで気持ち悪い。それを振り払うように稀咲は後ろを振り向く。ようやく視線を知沙に向けたとき稀咲の目に映ったのは、真っ直ぐ自分を見つめてくる知沙の微笑む表情だけだった。




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