カウンター≒クロックワイズ | ナノ


2017.07.08 23:36:02  




 もうすぐ日付が変わる頃の時間、知沙はリビングの上等なソファに腰を掛けながらワインの入ったグラスを手元でくるくる回していた。そうしてグラスに口を付けて一口飲み込み、窓に向かってグラスを掲げて真っ赤なワインを見つめた。静かな部屋の中に響く音と言えば時間を刻む時計の針くらいで、知沙は壁に掛けてある時計に目を向けてから一つ息を吐いた。すると、ようやく玄関の扉が開く音が聞こえて来て、すぐにリビングの扉が開かれた。


「おかえり。今日は遅かったのね」


 首を背後に向けて背もたれ越しに扉の方を向く。するとそこにはようやく帰って来た稀咲が居て、首元のボタンを開けてネクタイを緩めていた。

 稀咲は知沙に気づくと一瞥するが、すぐにその視線は逸らされた。そして忌々しそうにしながら口を開く。


「ユダと嗅ぎまわる鼠の対処に行ってたんだよ」
「ふうん」
「まあ、ユダの方は手を下す前に勝手に死んでくれたけどよ」


 そう言ってジャケットとネクタイを乱雑にソファへ投げると、今度は袖のボタンを外して腕まくりをする。窮屈なスーツをきっちり着こなす稀咲がこうして身だしなみを崩すのはきっと此処くらいだろう。

 知沙はじっと稀咲の背中を見つめた。その瞳はなにをも見逃さない眼差しだった。


「機嫌、悪いわね」


 静かな部屋に落とされた声はやけに響いた。その声に稀咲は動きを止めると、ちらりと背後を振り返り知沙を見やる。その視線には苛立ちや不愉快などが含まれている。それでも知沙はじっと稀咲を見つめ返したまま続けて口を開く。


「最近は特に」
「嫌なら出てけ」


 稀咲はそう言ってすぐさま知沙の言葉を切り裂いた。まさに一刀両断で、それ以上を黙らせる行為だった。それに知沙はそっと肩を竦めて、やれやれといったように背もたれに腕を付いて頭を乗せる。それでもやっぱり視線は真っ直ぐ稀咲に向けられている。

 稀咲の機嫌が悪いのは、まあ分かる。橘日向という存在を処分してからというもの、稀咲の機嫌がよかったことなんてただの一日も無い。そして今日稀咲自身が動いたという事は、橘日向関連の事なのだろう。ユダという東卍の裏切り者も、東卍を嗅ぎまわる鼠も、自分には分からない案件だ。だが、稀咲自身が動く、という部分を見れば、見えない不透明なことも徐々に透明になっていく。だから、言った。


「望んだ未来ではなかったね」
「……」


 その言葉に稀咲が答えることは無かった。ただ沈黙だけが続き、時間を刻む時計の針の音だけが響きわたる。

 なにも発さない稀咲の背中を眺め続けると、知沙はそっと視線を逸らし静かに瞼を伏せた。そして手に握った古い小さな懐中時計を見下ろす。


「全部……全部完璧な計画だった」


 その時、まるで独り言のように稀咲が呟いた。それに顔を上げ、知沙は再び稀咲を見やる。稀咲は相変わらず背中を向けていて、その表情は見えない。その声音から感情は見えない。それでも、知沙は瞼を閉じて頷いた。


「うん、完璧だった。穴なんて無かったよ」


 そう、全て完璧だった。稀咲の計画は十年という長い月日をかけて完成する、まさに完璧な計画だったのだ。ここまで順調に進んで来て、誰もが稀咲に跪いた。稀咲は権力と力を手に入れたのだ。全て、完璧だったのだ。

 ソファから腰を上げ、背中を向ける稀咲のそばに歩み寄る。そうして両腕を広げて、そっと稀咲の身体に巻き付けて身体を寄せる。


「だから、その完璧な計画をもっと非の打ち所がないものにしよう」


 背中越しに稀咲の体温が伝わってくる。抱きしめ返されることも、手を添えられることも無い、ただ空しいだけの独りよがりの行為。それでも知沙は口元に笑みを浮かべている。


「大丈夫。稀咲と私ならできるよ」


 知沙の言葉はどこか自信に満ちた声色だった。それを稀咲は理解できない。いや、理解しようとも思っていなかった。だから稀咲は知沙になんの興味も示さない。ただじっと虚空を見下ろすだけだ。


「だから、――」


 その時、なにか金属が擦れる音が聞こえた。それに気が逸れて稀咲が視線を下ろしたときには、もう何も見えなかった。




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